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ボーイミーツガールは過去の話

長年オタクをやっているとお気に入りのクリエイターの作品についてはどこからともなく情報が入ってくるもので、新海誠の「すずめの戸締まり」についても本人のアカウントをフォローしてるわけでもないのに、公開直前のTwitterスペースのURLが流れてきたり、メディアのレコメンドで見かけたり、舞台挨拶に行ったオタクの感想文を眺めたりしていた。「秒速5センチメートル」を初めて見た中高生の頃はえらく感動して数年に渡って毎年どこかのタイミングで繰り返し見ていて、次の作品が出たら真っ先に観に行こうと意気込んでいたものの、ライフステージを少しずつ進むにつれてもっと大切なものにかき消されていった。「君の名は。」が上映されたときは特集のラジオ番組を熱心に聞いてはいたものの、映画館には何故か足が向かず、終演ギリギリの季節もすっかり変わり果てた頃にガラガラのシネコンのレイトショーで見て、数か月前に見た友達の感想ツイートを読みながらふむふむと唸ったのを覚えている。3年経って「天気の子」が上映されたときは映画館すら行かず、翌年のテレビ放映を部分的に見て「もう見たし別にいいかな」なんて思ったりもした。それでもオタクたちは定期的に新海作品の話をネタにあれだこれだを語り始めるので、見ておいたほうがよかったかなとかわずかに思うのだけど、わざわざ見返すことはしなくて、気付いたら今に至る。

まあ、どう考えてもなんとなく見ないのはよろしくない。あれだこれだ批評するなら一度くらい見ておくべきだ。かといって批評する気もなく、いつからか諸々の能動的にエンタメに感動する意欲をどこかに置いてきており、あれこれ述べられるとしたらそうして変化してきた自分自身くらいのものだ。こういうことが年をとるということなのだと母という偉大な人生の先輩が教えてくれたことがある。それでも母はなんだかんだ夜勤も絡む肉体労働の合間で自分の好きな深夜アニメをリアタイで追っかけていたりするから少し尊敬していたりする。恥ずかしいから言わないけどね。

話はそれたけど、公開されて1週間くらいが経った頃合いにたまたま時間が出来たので近所のイオンシネマに行った。19時半の上映開始というのは覚えていたけど悠長に飯を食って10分ほど遅刻する分には気にしてなくて、券売機にwaonをかざして、しまいかけてる入場ゲートの係員に券を見せた。会社の福利厚生を使えば10%オフとかなんかそんな特典もあったような気もするけど、とりあえずサクッと見て帰ろうという気持ちだけがあった。席も辺鄙な通路側で、およそこだわりのある人間の映画の見方ではない。すべてがどうでもよかった。なお10分遅刻しても普通に券は売っていたし、係員も通してくれたし、本編も始まっていなかったので、今度からは無駄な予告編をスキップしたいときは積極的に遅刻しようと思う。

ネタバレになるのであまり詳しく話の流れを書くのは憚られるが、ここまでの作品を踏襲してフォーマットはやはりセカイ系のボーイミーツガールであって、出会いがあり、仲良くなり、最後にはセカイかキミか私か全てを「選ぶ」のである。少年少女が大人になる過程は、自分の例を引いてきても一般に言われるようにその先の多くの時間の使い方を決める選択の場面に違いない。それを不可思議現象の中で果てしなくドラマチックにやっている。それなりに丁寧に描かれた恋愛を見てきたり、人生の回り道でそういう場面にいたこともあるわけだから、出会って縁を繋いでいく描写については性急さを感じた。つまるところ選択が飛び抜けて重く、そこまでの気持ちの過程があまりついていけなくて、いまいち物語に入り込めなかった。これは私が年をとっただけという説もある。

ひとつだけあえて書くとするなら、腹を抱えて笑ってしまった一幕がある。そういう笑いの取り方をしてくるのかという意外さで思わず声を抑えつつもゲラゲラ笑っていたのだが、周囲にはあまり響いていないようだった。これまでの作品であまりなかったコミカルさと予定調和で、お約束のようなものなのだが、多分何かのコメディのオマージュなんだと思う。詳しいことはよくわからないんだけど。

見終えた後の感覚もあっさりしたもので、エンドロールが終わって照明がじわじわとついたらスッと立ち上がって会場を後にした。他に覚えているのは入るときにもらいそびれた駐車券を忘れずにもらったことくらいだ。

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