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みんなちがうからみんないい

最近の私は『みんなちがうからみんないい』

という言葉を改めて推奨している(ほぼパクリ)

今となっては使い古された言葉ではあるが、

昨今、腹の底から叫びたい。


〇〇ってなに?系の質問には

これといった答えがついてこない。

愛ってなんだろう?と問われたら、

どこかの宇宙刑事的には

振り向かないことらしいし、

定義化すること自体が難しく、

難しいがゆえに哲学なんていう

学問にすらなっている。

その学問ですら答えには

たどり着いていなかったり、

それこそ人により様々な解があるはずだ。

そんな難解な問いと日々

私たちは向き合っているのだ。


「やさしいひとがすきー。」

はて、優しいとはなんでごじゃるか。


「あなたって性格悪いね!!」

はて、いい性格とは

いかほどのものでごじゃるか。


正義とは何か、悪とは何か、

愛とは何か、友達とは何か。


日ごろから私たちは

様々な事を自問自答している。

「やさしいひとがすきー」

という言葉一つとっても、

それぞれの「優しさ」が

心の中で確かなものでなければ

易々と【優しい】という言葉を

口にできなくなる。

しかし昨今、あらゆるものが簡略化され、

それがマニュアルとなり、

この哲学的な問いに対する答えですら

多少のマニュアル感を

肌でひしひしと感じている。

人は間違いを嫌う。(特に昨今の我が国)

ここで『間違い』というと

語弊があるため言い換えておく。

人は『人と違う事』を嫌う。

だから、自分の中でひねり出した解釈を

堂々と発言するのも違うし、

なんにでも『誰かのお手本』を求める。

更にあらゆるものが簡略化されていく中で、

答えだけを求める文化も絶賛同時進行中だ。

時代は音もたてずに変わっている。

今では人と違う事を嫌う側が

マジョリティとなり、

一般的な解答こそが正とされている。


話を戻してみる。


『みんなちがってみんないい』

という言葉が使い古されたため、

言い訳程度に使われる頻度が多く、

主に逃げ道として

使用されているケースが散見される。

だから、あえて

『みんなちがうからみんないい』

と言っている。


マジョリティーが、

間違いない!と言っていることを

マジョリティーが言ってるんだから

間違いない!と言っている事が

間違いではないか?

という所を考えてほしい。


このままでは、昔は冗談で言っていたはずの

『赤信号みんなで渡れば怖くない』

なんて奇妙な世界が完成してしまう。

これでいいのか?と一度立ち止まってほしい。

それに加えてネットの普及、

だれでも発言できる場が

たくさん出来たことにより、

匿名リンチが各所コメントで

散見されるようになってきている。

重箱の隅に残った米を平気で掴んで

飛ばす人たちまで現れている。

直接の被害がないのにも関わらず、

「それは間違っていると思います」

「そうだそうだ!」

と人数が増えてきたあたりで

気がつくと、起こった出来事よりも

ひどいことを口々に浴びせている。

「俺の前に来て言え」である。

みんなは私に大丈夫か?

と問うてくる事があるが、

みんなは逆に大丈夫か?

私はウォシュレットは使わない。

自分のケツぐらい自分で拭ける。

ウォシュレットは使わないが

ウォシュレットそのものでありたい。

下からたたき上げるという意味で。

形だけじゃなく、

飾り立てるわけでもなく

がなり立てる。


ここで再度、〇〇ってなに?という質問には

答えがない事を確認しておきたい。

そのうえでもう一度言う。

みんなちがうからみんないい。

否、みんなちがってもみんないいのだ。


同じ考えの人は一人もいない。

その中で追及、オリジナル。

そういう世の中にするためには鬼になる。


おわり。

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