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頭の中、全部書く。 2023/8

この記事は、絵を描くのをやめようとした時期に書いたものを微調整したものです。
当時の暗い気持ちをそのままに綴っているので、重い感情が苦手な方は、ブラウザバックを推奨します。



こんばんは。ニッコリです。
普段はn_nという名前で絵師活動をしていましたが、昨日の深夜、X(旧Twitter)で活動休止宣言をしました。
記事に需要なんかないだろうけど、一人間として記録しておきたいなと思って今書いています。頭の中を言語化して整理して、今後の目標も決めたいし。
今日は「絵師編」。
ちょっとTwitterでは呟きづらいことも書きたいので、誰も見ないことを願って掃き溜めてやろうと思います。かなりの長文ですが、お付き合いいただけますと幸いです。

幼い頃から絵を描くことが好きで、高校2年の誕生日にiPadを買ってもらってからデジタルは5年程です。
参考程度に↓

こんな絵とか

こんな絵描いてます。どちらも1年前の絵ですが、雰囲気作りに関してはこの時の方が上手かったかもですね…
あとヘッダーの絵も7月に描いたものです。



活動休止の理由

1.体調不良


まず体調不良ですが、原因は「うつ病」です。完全にやられました。
何というかこれは、初めてのことではなく再発です。高2の頃に一度経験して、その時は入院もしました。
元々ネガティブ思考が人より強い自覚はあるんですが、自覚があったとて変えられないんですよね。本当にクソみたいだなこの病。(現在通院して治療中)

それに伴って、動けなくなったりお腹も痛くなったり難聴を発症したり……
これは話し始めると大変なので、健康になりたい編とかにして書こうと思います。もしこれを見ているクリエイターが一人でもいれば、反面教師的に捉えてもらいたいです。
体調管理って本当に大事なんだな。(できてない人)

2.技術不足

そして二つ目の理由「技術不足の実感」。
これがやっぱり大きすぎる。思うところが多すぎて何から話せばいいのか。番号振って頭を整理しながら話します。

-1.アルバイト

私は絵画教室の講師をアルバイトで勤めていて、受験生にデッサンを教えたり、小さい子と工作したりということを毎週末しています。

ある日、受験生の講評を行った時。若い講師から順に生徒さんの作品を講評するのですが、簡単に言うと先輩講師と真逆の事を発言してしまいました。
その時は水彩画の作品なのでしたが、自分が受験で実際に経験したのはデッサンで、水彩画に関しては決して得意とは言えません。
分からないなら得意な視点で話をすればよかったのに、今思えば何だかあやふやな発言だったような気がします。そして「あれ私、偉そうに教えられる立場じゃなくね…?」と。
これはいつもの調子なら勉強すればいいだけの話なんだけれど、今の状態の自分には上手くこなせず、それも何というか…もどかしく苦しい。
とはいえこれも一つのキッカケでしかなく。

-2.大学

主にこれが体調を崩した原因ですが、中身まで話すと混乱しそうなので割愛。
授業や就活などのマルチタスクに追われて自分のペースが守れなくなったり、何をしていいか分からなくなったり。
次の話にも繋がりますが、もしかしたら他の人より上手に生きられていない…?と今更気付いた。
体調不良も相まって、技術が「大学生としての自分」を補填しきれずに現実逃避の真っ最中。そんな感じです。

-3.友人

予め言っておきますが、これは友人は何も悪くないです。自分を認められないまま他人と比較する、知性の乏しい自分が悪い。

私には、旧友と大学の友人を含めた“仲良しお絵描き友達”が何人かいるのですが、みんな絵が上手くて誇らしいです。でもそこには色々感情が含まれています。

絵を描くことが好きなのは間違い無いのですが、ずっとダメなんですよね。
一番仲のいい幼馴染はいわゆる神絵師で、私の絵には無い凄まじい魅力の持ち主です。中学の頃には既に万フォロワーいたと思います。

実力というかエネルギーというか、結果を見れば圧倒的に彼女らの方が格上で、小中学生時代の自分も下手なりにそれは理解していました。
学校という社会は結構残酷で、いつも必要とされるのは自分以外で、それを見ていた。神絵師になれなかった側の人間。
強いて自分の長所を挙げるなら、勉強はそこそこ出来ていた方ですが、あの頃は上を目指しすぎていて、高校2年の鬱の時に挫折しました。(今は数ⅠAすら頭に残っていない)流石にあの時は、プライドのドミノが派手に崩れる音がしました。

話が少し逸れました。戻ります。

最近になって他の友人らも万バズを経験したり、沢山絵を描いて経験値を徐々に上げていき。自分が寝込んでいる間に流れてくるタイムラインが、心に傷をつけていく。
そんな友人に「いいねが足りない」と言われた時には唖然としてしまった。一つ投稿をあげると数百いいねは確実にもらえているのに。知らない間にこんなにも見ている景色が違っていたんだ、と。

「結局自分だけが全て中途半端だな。周りの目とプライドで進路を選択したけれど、努力の方向性を間違え続けた結果がしょうもない今か」
「友達は気を遣ってRTしてくれているのかな、申し訳ないな」
「もしずっと健康だったら、もっとやりたいことを出来ていたのかも」

全方位に迫る劣等感。
また置いて行かれる、という焦燥感。

最近は友人の絵を何気ない会話の流れで何人かに見せた時「なんていうか、レベチ!」と褒めていることも気になってしまった。
自分の絵を見せた後だったため、それは私と比べてなのか?と心の中で思ってしまったんだけれど、この被害妄想っぷりはうつのせいですか?
なんていう風に考えていることは誰にも言えなかった。というか、こんな嫉妬に満ちた稚拙な話をわざわざ時間を割いてまで聞いてくれる人も周りにはいないし、何よりうまく話せない。(その結果ここに書く事にした。ここまで見てくれていたらありがとう。)

自分は立ち止まっていても世界は動き続ける感覚が、耐えられないんでしょうね。

今後

ここまでつらつらと現状を綴りました。初めてしっかりと言語化したので何だか複雑な気分。

自衛のために一旦活動休止にはしましたが、ここで終わりにしたいわけじゃない。
私は良くも悪くも諦めが悪い。挑戦の数だけ諦めや挫折も、そこに費やした時間も沢山あったけれど、絵だけは何故か続けてこられました。どちらかというと体に染みついて離れない、と言った感覚かもしれません。

一時的に「辞めたいな」「向いてない」と思うことは幾度となくあったけれど、たとえ少し期間が空いても本気で筆を折ろうとしたことは無く、気がついたらペンを持って描いてしまいます。

聴力は低下してしまったけれど、目と右腕がある限りは描いていたい。そういう気持ちまでもを無かったことにはしたくないと思い、noteを開いた。

もし少しでも自分と同じような境遇や心情で悩んでいる人がいたら、これからはその人の力や希望になれるような存在になりたい。
単に自己の欲求を満たすだけの行動ではなく、そんな活動をしていきたいなと、チープな言葉を残して終わります。

以上、自戒の念を持って記録しました。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

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