「会ってもらえない」というのは悔しい。(1日1枚しゃしん201215)

画像1


久しぶりにRadiotalkでライブ配信をしました。

(昨日もしたんですが。)


実は明日面接が控えていて、その対策についてアドバイス頂きたいと思い、12時ごろから始めました。

そうしたら優しいトーカーさんがきてくださり、色々とアドバイスをしてもらいました。とても参考になりました。ありがとうございました。

今回面接を受けることは、親にも兄弟にも、誰にも相談できず不安だったので、とても嬉しかったです。


私23歳のムイは、今までまともに面接というもの経験したことがありませんでした。

高卒で入った会社は、知り合いの知り合いの方に紹介していただいた会社だったので、面接というか挨拶程度でした。あまりよく覚えていません。

その後のバイト先も3つほどありますが、あまり〝面接〟って感じはなくて、確認事項の再確認くらいでした。

そんなこんなでまともな面接に参加したことがなく、面接対策や企業分析のやり方もまともにわからないわたしでしたが、今回は初めて〝面接〟というものを経験...するはずでした。


「本求人に関しましては、採用予定人数に達した為ムイ様の面接、および採用を見送らせていただくこととなりました。」

こりゃびっくり。本当に見送りってあるんだ。

知りませんでした。

「採用されないだろう。」とは思っていました。だから面接を楽しみにしておくことができたのかもしれません。経験の一つとしてやってみたかった。

もちろんこれがダメだったからといって、他でも面接させてもらえないということではない、ことは分かっています。


だけど悔しかったです。

「何を大袈裟な」なんて言われるかもしれないんですが、「会ってもらえない」というのは悔しいものでした。予定人数に達したのならば、わたしが応募するのが遅かったのかもしれないし、ただ面接する時間が惜しいだけの人、と思われたのかもしれない。


どっちにしろ、23歳にして悔しさを覚えました。


わたしにキャリアはありません。経験もありません。今更わたしには何もないのだと自覚し始めています。

キャリアとはなんなのかよくわからぬまま社会に出て、突然会社から飛び出て、3年間己の精神と向き合うだけでした。

わたしはなんとなくですが、「いつか誰かが振り向いてくれるんじゃないか。」わたしはそんな淡い期待を小さい頃からよく抱いていました。

必死に頑張ることを避けて、他力本願な人生。

ここ一年くらいは、将来そうならないために勉強もしてきたつもりでした。でもそれも結局はつもりでした。

誰も振り向いてくれないのは、別に振り向かない誰かが悪いんじゃなくて、存在を主張する覚悟がないわたしがいるだけだと、物理的な痛みを伴って初めてわかりました。


悔しい。悔しい。

振り向かせたいです。


でもここまで、人生とは何か、キャリアとは、仕事とは、を考えられずに生きてきた自分を全否定もしたくないんです。否定したらもっと歩みが止まる気がするから。




また明日です。


「こいつは救わねば。」と思ってもらえたら是非サポートお願いします。