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毒親と贅沢で罰当たりな子供。子育て中。

いま子育て真っ只中。我が家は妻が優秀なので、親が「こうなってほしい」ではなく、純粋に子供たちに自己実現してもらおうと考えて、習い事や経験をさせるという考えで進んでいる。

それは当たり前では?と思うかもしれないが、当たり前と思うのは幸せな証拠であって、少なくとも自分はそうではなかった。妻もそうではなかったことを付け加えておく。

☆☆☆

私の家庭では、父が全ての権限を握っていた。その父は自分の考え以外は一切認めない。母は、お父さんが正しい、しか言わないから実質同じである。

父は自宅で整骨院を開いていた。幼い頃から家を継ぐことを期待されていたと思う。うちは本家、といっても何代か続いているだけで資産はない。
窮屈に思い、継いで欲しいの?口に出すと、そんなことを言われると悲しいな、それは自分で考えることだ、などと言われて決して認めようとはしなかった。


最悪だった大学受験の話をしたい。20年経った今でも悔しい思いが蘇る。本気で向き合って挑戦してみたかった、と。

春の3者面談をよく覚えている。
学校側は、「Dくんは本気になったらもっと伸びる。東大か国立医学部を目指しなさい。」と言った。
親は喜んだ。医学部にいけば最高だ。自分がつないできた家を継いで、息子がそれを発展させてくれたら親としては本望だろう。


自分としては医学は興味とは真逆の分野だ。高校生物すら履修していないし、一切興味がない。人体解剖も怖い。人と話すのも苦手だから将来像が何も描けなかった。

逆に幼い頃から大好きなのが地理で、高校に地理の先生がいなくて授業を受けたこともないのに、勝手に偏差値80、全国100番手くらいにいた。全国100位は県でみたら1位か2位。学校も放っておかずに急遽地理の先生を系列校から呼んでくれた。

ただし自分がこの先の人生で、その道を目指す自由があるなんて思っていなかった。親から地理の勉強は贅沢だと言われた。
だから高校3年生になって周りが目の色を変えて勉強を始めても、特に未来に希望や目標はなく、そうなれば当然やる気もなかったので、焦りだけを抱えつつ一切家庭学習はしなかった。


今思うと恐ろしいが、そんな状況でも国英理はからきしながら数学は偏差値70を超えていた。学校としても実績を期待していたのかもしれない。


しかし高3の夏休みに転機が訪れた。親の言葉を借りれば「奈落に落とされた」くらいの転機だ。

模試の成績で「東大を目指す一泊二日の箱根勉強合宿」メンバーに入ることができたので、その合宿に行った。親もその気になってくれることを期待していたのだろう。
到着して早速1日中勉強し、夜は一流大学や医学部の大学生に話を聞ける時間が設けられた。

東大、東工大、京大など名だたる有名校の先輩方の中に、一橋大学社会学部の学生の方がいた。
その方に話を聞くと、まさに自分が本当に好きな分野の話で、それを深く勉強して将来に繋げることができる、これからの人生でそれに深く関わっていく道がある、そんなことを初めて知った。さらに実際にその道を歩もうとしている人に出会って、幻が現実になった。俺もそうしたい。心からそうしたいと思った。

人生で初めて本気になったと思う。

家に帰り、親に言った。
「俺文転して一橋大学を目指すよ」

親は愕然としていたが、知らんぷりしてそれから2週間毎日朝から晩まで勉強した。今まで定期試験前ですらしたことがない家庭学習だ。なにせ一橋大といえば社会分野では最高峰、これだけ本気になっていれば応援してくれるのではないか、とも思った。
 

だがそんな甘い期待は当然通用しなかった。
医学部を目指して家を継いでもらえると思ったら、全く違う道に進み出してしまった息子。
親は全力で説得にかかった。

一橋大学に行ってもサラリーマンになって終わりだとか、大学院には行かせないとか、理科に全く興味はないというが医者は総合職だから全てが生きるとか、さんざ説得した後に言われた言葉を、呪文のように覚えている。

「東大合宿なんて行かせなきゃよかった」
「見聞が広がってしまうからな」

そして夏休みの登校日に、信頼していた数学の担当だった教頭先生に呼び出された。親が学校に根回ししていたのだ。
「Dよ、本当にやりたいことがあるのか?」
「はい」
「具体的に言ってみなさい」
「、、、」
情けないことに、何も言えない。インターネットもないし知識もなかった。ただそこに行けば道が開けると思っていただけだ。
「だったら今まで通り医学部を目指しなさい。いいね」
「はい」


それからまた勉強を一切しなくなった。
代わりに毎晩2時間くらい父と話をした。話をした、というか99対1くらいで父の話を聞いていた。どうしても納得いかなかった。納得いかないから父にそれをぶつけては延々と持論を聞かされた。9月から1月までほぼ毎日話を聞いたが、一切納得いかなかった。

とうとう、とにかく受験を終わらせることだけを考えて家から遠く遠く離れた国立歯学部を受けた。とにかくすぐに親が来れないところに行こうと思った。医学部が歯学部になるのは親としては、継げることに変わりはないから別に良かったんだろう。学力的には私立医学部も行けたが、当然そんな金は我が家にはない。

当時我が母校は数学1教科で受けられたから、それは余裕をもって合格することができた。

☆☆☆


受験が終わり、親は安堵しただろう。
だけど私が受験を終えてふっと頭に浮かんだのは、恐ろしいことだった。

この家で自分を殺して生きるのか、ここからきっぱり離れるのか2つに1つだと。

こんな生い立ちの歯医者だから苦労した。
だが24歳で歯科医になって、この道で生きていかなくてはどうしようもない。借金して勉強会に行き、厳しい先生に怒鳴られながらなんとか一人前になったと思う。

そして結局サラリーマン歯科医をしているが、開業が勝ちというわけではないだろう。自分にトップは向いてないと思うし、フリーの特権を活かして出張オペなどしている方が生まれ持った能力を生かせる。特定の分野ではそれなりにデキる歯科医であると思う。
ただ親が言った「医者は総合職」はウソで、理系職+接客業だろう。そりゃそうだ。


妻は今思えば、自分が憧れていたような考え方の持ち主だった。余りにも自分と違うから苦労もかけている。いま子育てをしていて、自分のような思いを子供にさせることは絶対にない、と言えるのは間違いなく妻のお陰だ。私はそんなに強くないから、放っておいたら父のような部分が顔を出す。それを妻は良しとしない。なあなあにしたりはしない。 

お陰で決意している。自分のような思いを子にはさせないと。

自分の親とはしばらく会っていない。
子育てが終わるまではそんな余裕はないかもしれない。そこまで大人になれない自分を、許して良いのか、贅沢な奴だと叱るべきなのか、それはわからない。
17歳にもなって自分のことを決めれないのは自分が悪いのかもしれない。だけど幼い頃からの刷り込みは恐ろしいもので、本当に自由な道を歩くことができるなんて1ミリも思ったことはなかった。


わからないけど、とにかく今優先すべきは子供たちだと思う。彼らが自分の足で立って、思う道を歩み、無事私の手から離れていったとき、初めて自分の親と向き合える気がする。

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