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【新生活】息子よ、29年前の僕みたいになるな。

きのう、息子を高校の寮に送り出しました。

薬を忘れていくわ、鍵を落としていくわ、こんな日まで手のかかる彼が愛おしかったです。最後は「もうええわ!」と漫才みたいな空気だったけど、帰ってきて散らかったままの部屋を見たら寂しくなってきました。

願わくは、新しい環境で躓かないように。

というのも、29年前の僕は見事に躓いたので。

今回はちょっと昔話をしたいと思います。

僕は福島県郡山市の高校に通っていました。

公立の男子校。僕が108期なので、歴史はかなり長めですね。それだけに独特な伝統行事もありまして。

入学直後に行なわれる「応援歌練習」もそのひとつ。

応援団に「歌」を教わるんですけど、その指導にカルチャーショックを受けました。

新入生たちは放課後、校庭に集合。

500人ほどがズラ~っと並ばされます。壇上には応援団長。そのほかの団員は列の間をぐるぐると見回ります。

全部で10曲ほどでしょうか。生徒手帳に歌詞が書いてあり、それを見ながら団長のあとを復唱していくという。

新入生に課せられたルールは2つ。

①姿勢を保つこと。

生徒手帳を持った腕は前方に伸ばして水平に。これを何時間もキーーープ。腕が下がってくると、見回りの団員に肘の部分をバシンと跳ね上げられてしまいます。

そのときに醸し出す雰囲気が恐いのなんの。男塾の塾生みたいな風貌なんです。

②許される返事は「押忍」のみ。

歌を暗記している合間、団長や団員がちょいちょい喝を入れてくるんですよ。それに対し、必ず「押忍」とリアクションしなくてはなりません。

もちろん「オッス、オラ悟空」みたいな軽い感じじゃないですよ。

「ゥ押オオオオオオオオッッ忍!」って腹の底から叫ぶ。

あなたは想像したことがありますか? 「YES」しかない世界のことを。不便極まりないんです。実際、当時こんなことが起こりました。

「おまえら、わかったのかァァァ?」
「ゥ押オオッッ忍!」
「わかってねえだろォォォ!」
「ゥ押オオッッ忍!」

イヤ、どっちィィィィィィィィ?

こっちは腕を上げているのがしんどい。一方、あっちは叫びすぎて声が枯れている。「その質問、いる?」と心の中でツッコミを入れたのを覚えています。

こんな試練が、なんと1週間も続きました。

そしてこの文化に馴染めなかったことが、僕を躓かせることになります。

僕は大声を出すのが苦手。強制されるのが苦手。だから、応援歌練習をズル休みするようになっていました。

これが良くなかった。

応援歌練習が終わった途端、応援団は別人のように優しくなりました。そして、最後までやり切った新入生たちとの間には一体感が生まれていました。

野球部を応援するときも、文化祭のときも、みんなは楽しめているのに、僕は後ろめたさがあって乗っていけない。卒業後、OBが集まる場でもやり切ってないから、応援歌が出て来ない。

みんなと一緒に我慢したら良かったんです。ジェダイの教えにもありますよね、忍耐(patience)って。ゴールは見えていたのに逃げてしまうなんて、ヨーダにメチャクチャ怒られますよ。

「郷に入っては郷に従え」

息子よ、僕みたいにはなるな。

僕が卒業したあと、応援団は存続の危機があったと聞きました。

しかし2001年、野球部が21世紀枠に選ばれて甲子園初出場の悲願を達成。OBたちの大合唱は新聞でも大きく取り上げられました。

その後、共学になっても応援歌練習という行事は残っているようですね。なんと、昨年は女子が団長を務めたとか!

残念ながら、新型コロナウイルスの影響で最後の夏を奪われてしまったんですが、開成山公園にある野外音楽堂で演舞披露会が催されたそうです。

その姿に、200人が拍手を送ったと新聞には書かれていました。

よろしかったら、こちらも読んでみてください。息子へ「天国からの手紙」です。


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