障害者だけど認められたあの日

生まれつき右足が左足より10cm短いという障害をもっています

周りから変な目で見られるのは日常茶飯事
高校の時はいじめではないですがバカに
された事もありました 足が短いから運動
出来ないのかとか足にクレーターが入ってるとか意味のわからない事も言われました

高校が1番自分の中で辛い日々でした

それに比べ小中の時はみんな健常者と
変わらない対応とってくれ楽しかった

自分にとって転機が訪れます

高校にいってからは自分なんかこの足のせいでこんな酷い目に合うんだ こんな足に
産まれてきたから人生つまらないんだ
と塞ぎ込んでしまいました

高校を2年間で中退という道を選びました
そして18歳の時とある居酒屋にバイト面接
に行きました 店長が見るなり〇〇(本名)君
足が悪いの?って言われた時 自分は、はい
でも人一倍一生懸命にやります。そして
ここで今までの自分を捨てて新たな自分に出会いんたいんです。と店長に伝えたら

店長は「うちなんかでいいの?〇〇君の熱意を受け止めたちょっと待っててな」5分後
オーナーが来ました オーナーと何やら話していて そしたら社員やらバイトの人達が呼ばれて 店長「彼の名前は〇〇君とても熱意があって〇〇君は障害者だけど健常者のように扱い私は〇〇君を雇う事にするみんな
彼を宜しく頼むよもし〇〇を虐めたりしたら容赦なく罰を受けてもらうそれぐらい私は彼に期待してる みんないいかな?」

一同がはいと返事をした。 そしてオーナー
が「〇〇君、いやケイこれからよろしくな」
おれは泣きそうになったけど笑顔でよろしくお願いしますと応えた

親にも店長に言われたまんまの事を言ったら喜んでいた そんな優しいなら頑張れと
応援してくれた そこからおれは必死で
厨房で料理を覚えて作った 怒られる事も
あったけど努力して怒られたからなんだという気持ちで夢中で仕事を覚えた 2ヶ月経ったくらいにお客様に料理提供できるようにまでなり 入って5ヶ月目で焼き場に入り焼き鳥や鉄板焼きなどの仕事を任せられた そしてお客様から兄ちゃんが作る焼き鳥は最高に美味いよって褒められた事で
どんどん腕をあげていった

その矢先だった自分に必死で料理や焼き場
を教えてくれた料理長のMさんが突然
亡くなってしまったのです 自分にとって
師匠だから涙がとまりませんでした。

次の日店長から「なぁケイ料理長やってみないか?みんなケイなら任せていいって言ってくれてるんだケイなら従うって全員いってるんだけどやってみないか?」 即答で
はいと応えた!

そしてその日の夜「今日からMさんの代わりに料理長をやる事になりました皆様より月日が短いにも関わらず任せてくださりありがとうございます皆様自分についてきてください」と言ったらみんな大歓迎してくれた

Mさんは悲しい事が嫌いだった 俺の事を
泣かせた時は裏でごめんなケイなら出来るからおれは言ってるんだ お前はおれの跡継ぎだ だから頑張れが口癖だった

そんなMさんの為にと自分の料理長就任祝いでその夜は皆で盛り上がった

そして顔なじみも出来た いつも自分の前に
座るTさん65歳のおじいちゃん 顔なじみなので来ると「よっケイくんきたよーいつものね」それがいつもの会話 そして2年目になった時、Tさんが「ケイくんいつもありがとうねこんなじいさんの相手してくれてここに来るのが1番楽しみでなばあさんにもケイくんの事話すと喜んでる気がしてな」Tさんの
奥さんは6年前に亡くなっていて独り身だったTさんはそんな事を急に言い出した

「Tさん何言ってるんですか 自分も毎日Tさんと話してるのが楽しいですよもっと沢山おれの料理食べてくださいよ」 
T「そうじゃなどうだいケイくん20歳になったんじゃろ 奢るから一緒に呑もうや」店長に許可を貰い一緒に呑んだ 凄い楽しかった

それが最初で最後のTさんとの呑みだった
毎日夜来るはずのTさんがその日の夜は来なかった 「店長今日来ないっすねTさん」
店長「どうしたんだろうな」 2日経っても3日経ってもTさんは顔を出さなかった
それから1週間後だったTさんの息子と名乗る人が居酒屋にきてこう言った「先程父が亡くなりましたずっとケイくんとまた呑みたいって〇〇に行きたいって言ってました今までありがとうございました」

もう店じまいしてたのでその場に全員が
泣き崩れてしまった。

それ以来店は繁盛していたものの
自分が5年目になる頃に居酒屋は閉店した

自分を認めてくれた 店長 オーナー
社員の方々 バイトのみんな そしてTさん
そして何よりも当時来てくださったお客様

全てに感謝しております 本当にありがとうございました とても楽しい5年間だった

障害者だけど認められたあの日

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