六本木の思い出

ゴールデンウィーク直前をもって会社が六本木よりお引越しだったようで。思い出5選。

1. 六本木の摩天楼

就職活動をしていた頃、この会社に内定をもらうまで53回面接をしました。
最終まで進んだか!?となったら、また何故か最初の方にあった人にまた会う、終わりの見えない賽の石積みのようなプロセス。

もちろんみんなそういうわけではなく、4-5回でサクッと決まる人もいて。要は僕が採用ボーダーラインの際すぎただけなんですが。

合否が決まるまではいつ何時でも、呼ばれたら秒で駆けつけることを求められ、ある時は他社の内定者懇親会で、豪勢なブッフェ料理を一往復でどれだけアーティスティックに皿に盛れるか、と刻苦していた最中にも電話がかかってきて、

「今から会ってもらいたい社員がいるから、面接がてら六本木の中華料理屋これる?」

昭和の24時間企業戦士が持っているカードは、「はい」か「Yes」の2択。岸辺露伴はダメ。秒で行きます。


昭和にはこのオプションはなし

就活の手引きで、懇親会等でブッフェをガツガツ食べるのはNGと言われているのは、マナーを意識してのことではなく、第2,3ラウンドに余力を残す満腹マネジメント力を問われているから、が正解です。

また、ある時出てきた能面フェイスの面接官からは、風邪をひいていて声が出ないから「何か適当に話して」。

これは3択か。

1. 就活生が付け焼き刃で覚えた大前研一式ロジカルシンキングを駆使して、経済の課題を鮮やかに解決…
2. やはり王道の日本のガソリンスタンドの数でも数えてみる…
3. 小話披露…

輝かしい履歴書がないから1.2はキラキラ就活生と差別化出来ずダメだ。3か。
ガクチカも(当時はそんな言葉なかった)、取ってつけたようなサークルの副代表、海外ボランティア、バイトリーダー的な話は、多分もっとダメだ。

当時バイクを買いたくて、即金日雇いのバイト(日当1万円)に行った話を繰り出してみる。

リクルートの名著「ガテン」で見つけたそこは飛脚マークの系列の梱包会社。

電話をしたら、「今日来られますか?」
簡単な研修を受けて即日入れますと。

何度も巻き戻されて画質が悪くなったビデオを見る。お母さんのような人が出てきて解説してくれる。

環状のベルトコンベアを「ゆっくり」と流れる「小包」の番号をじっと見て、円から20本放射状に広がる、持ち場のベルトコンベア番号(僕は蒲田エリアで81番だった)と同じモノが流れてきたら、そちらに引き込んで仕分けをする、という単純作業。ビデオの中で作業をしているのも、また「お母さん」。

ベルトコンベアに手や足を挟むと大変危険なので気をつけるよう、お母さんはしっかり説明する。10分で研修は終了。

出発前に、必ず2ℓペットボトルの飲み物を2本以上持って行くよう言われる。
山のレース以外で、そんな必携品を指示されたのは初めて。

現地にはバスで連れていかれるんですが、バスは護送車のような窓に網のついたもの。

窓から外があまり見えないので、どこに連れ(護送され)て行かれているのか分からず、着いた工場もなんか塀が高くて、ドナドナ詐欺を疑う。

到着。最初の注意事項。
ロッカーには貴重品は入れないでくださいね、なくなりますから。
不安バロメータがサチって、スカウターのように壊れる。

ドナドナされていた時の不安な気持ち

現場に足を踏み入れた際に目と耳に飛び込んできたのは、超高速で回転する環状ベルトコンベア、野太い怒鳴り声、重い装備を床に落としたような音。
聞かされていたVHSのミッションの説明と、要素は正しそうだが、KPIの入力値が全然違う

・コンベアを担当する人 → お母さんではなくSASUKEでしかみたことない屈強な半裸マッチョ
・コンベアの流れる速さ → ビデオが1/3速だったのか、リアルはタイパ重視なのか、3倍速
・コンベアを流れるモノ → 小包ではなく、グランドピアノとか電柱とか

何しろ流れてくるスピードが違うので、極めて高い動体視力が求められるなか、とにかく何か動かなければと思い81番(蒲田エリア)を見つけて、グランドピアノを引っ張ってみるも、どう考えてもニュートン力学の範疇は超えていて、自分が環状コンベアに持っていかれてしまい、手や足を引き込まれるどころではない惨事になりかけます。

ベルトコンベアを流れる荷物の感じ

そこへ、自分より5つは年下であろうSASUKEマッチョから、ちゃんと見てろ、あぶねーぞ、死ぬぞっと怒鳴られ蹴りを喰らう。
その蹴りで「おまえはもう死んでいる 」(by ケンシロー)

このような恐ろしい体験の数々は枚挙に暇がないのですが、この日雇いバイト、まだ勤務4時間くらいを残した真夜中に、その日の日当を手渡されてしまいます。

すると、あろうことかSASUKEたちはその場で日当を賭けてゲームを始めてしまいます。
ものの5分で日当を失った人はどのようなモチベーションで残り4時間をタダ働きするのでしょうか。

そして日当が倍になった人たちの半分は、夜勤明けの飲み代でみんなに奢って残金ゼロ、残り半分はパチンコ屋に流れて、更に勝率が低い勝負に出て大半負けているので、日当期待値1000円、みたいなところでした。

「このような経験を通じて、私はブルーカラーの仕事には適正がないと思い、ホワイトカラーの仕事をしたいと思うに至りました」

身振り手振りも交えて、熱弁をふるったものの、能面は中将のような面になってしまい、部屋の空気がとっ散らかっただけでした。

この時は職種の違いも全然分かってなくて、営業ならまだしも、僕はトレーダーにこのどうでもいい話を浴びせただけで、せめて1.2のどちらかを繰り出すべきでした。

彼を知り己を知れば百戦殆からず。不勉強な就活生。

中将の能面

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入社してから何年かは、月曜日にシャツ・靴下・下着を5セット持って、金曜日に持って帰って洗濯、その間は机の下で寝袋、という生活でした。

休日・祝日も基本全部出勤していたので、住民票移転も真剣に検討し、Amazonのあらゆる荷物も会社に送り付けようと画策していた時もあったのですが、中身を全て検閲されると聞き、寝床まで社内監視カメラに見張られているくせに、プライバシーが気になりやめました。

ある夜。

「やられた。警備を掻い潜った侵入者がいる。そいつがこの倒れているやつを一撃で撲殺したんだ。何で俺のシフトの時に…」というのが警備員さんの気持ちでしょうか。

そこに倒れているモノをいきなり揺さぶり、トランシーバーで通報した瞬間に、その死体が生き返ってうわーって叫んだので、その警備員さんもうわーってなり、大騒ぎ、お騒がせしてしまいました。

この生活に慣れてくると、疲れすぎて着替えるのも寝袋に入るのも面倒になり、またひっそりと机の下ではなく、そのままフロアに雑魚寝していた、ということなんですが、ただスーツを着たやつが倒れているだけなので、死体と見紛われても、警備員さんが妄想を膨らませるのも無理はありません。

山のレースでも言いましたが、おもむろにそこらで転がるのは公害なので、Do not disturbの札は必携品です。

※当時の話です(昭和ですね。不適切にもほど…)


2. 六本木の無限回廊

結婚式で友人が新郎の会社での様子、ということでスピーチの中で話してくれた内容です(原文ママ)

「同期なので、ちょこちょこ一緒にランチに行くんですね。で、彼はさっき一緒に食べに行って帰ってきたのに、またランチに行くんですよ… 先輩から「ランチ食べたー?」って聞かれたら「食べてません」って言って。で、また帰ってきて誘われたらまた行くんですよ…」

誘われたら断らない信念を持ったやつ?的な褒め言葉だったような気がしますが、単に無限の胃袋だっただけです。

ただ、3回のランチがうまく和洋折衷、みたいになってくれれば良いのですが、中華3連コンボとかだと、いきなりハードシングスです。

油淋鶏 x 黒酢酢豚 x 口水鶏とか必殺技級のものをコンボで喰らうと、胃もたれを超えて、油の二日酔いみたいになり、午後の業務は全く捗りません。

とにかくこれのお陰で、入社してから体重が15キロくらい増え、スーツのパンツのサイズ直し、というキャピタルで何でも解決する癖がついてしまったのも大きな副作用でしょう。

新卒にして部長クラスの貫禄の腹回りを身に纏うことができました


3. 六本木のオアシス

12年も前に書いていたようです。
なうとか言っていて酷すぎる… でも、この時まだ20代だったし、世の中も今みたいじゃなかったから、許されるかな…

https://www.facebook.com/share/p/cSuGe53hycdBNJFj/?mibextid=WC7FNe

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スタバ。

閉店の片付けをして、まさに店を閉めようとしている時に滑り込み、『何かすぐ出るコーヒーありますか?』と聞いたら、もう全部洗浄も終わった機械を三人がかりでもう一度動かし、粉も一から入れてドリップを作ってくれた。

しかもone more coffee価格の100円で、グランデで入れてくれるサービス、インスタント用のコーヒー3袋のおまけに、『金曜日なのに遅くまで残業お疲れ様です』という泣かせる言葉と共に。

1時間後くらいにまた通りかかったら、まだ洗浄・片付けをしてました。

『金曜日なのに遅くまで残業(バイトなのに)させてしまってごめんなさい』と思いながら、心のオアシスを見つけた金夜残業なう。
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ゴールドマン・バックスとも言われていました。

ここから有名なスタートアップの起業家が出たり、↓のジムからもミスユニバースの人が出たりと、何かと関連施設で働く人がキラキラと輝いていて、オフィスに住み着きすぎてドラキュラのような光過敏症になっていた僕は、その眩しさで灰になりそうでした。

4. 六本木のラビリンス

森ビルが実施する年次の避難訓練では、48階から地上階までの非常階段の脱出ゲームを求められます。

普段はヒールでも、この日になると、サッと机の下からスニーカーを取り出して履き替えるちゃんとした人もいるし、翌日から3日に亘る筋肉痛に恐れをなして、巧妙に外部ミーティングを入れて敵前逃亡する人もいたり、有事への備え方も色々です。

その地獄の階段で、毎週階段を往復するトレーニングをしていました。

また、所謂クレージージャーニーなレースに出る前は、有給を取り、わざわざ職場の非常階段で15往復、などということも。
景色が変わらず、今自分が何階にいるのかわからず、容易に迷宮入りします。

人々が出勤する時間になると、たまに健康意識の高い方が階段を使うので、自社が入っている階でなるべく目撃されないよう、また目撃されても身バレしないよう、帽子とサングラスを着用し、速足で昇降していました。

が、ある日Googleが入居するフロアから、ザックを背負った虚無僧風の方が同じように階段の往復を始めたことがあります。

「同業か…」と思いつつも、明らかに僕よりも重装備で、ハイパーハードボイルドな旅に出るであろう人なんだと思いますが、その日は何度もすれ違い、お互い息遣いのみがユニゾンする空間で、非常に気まずい思いをしました。

その後その人とは、ジャングルの秘境のレースでばったり会って、互いを意識しながらレースを進めるものの、怪我をしてしまった僕を助けたばっかりに、彼も完走できなかった、でもそこで生まれた友情と信頼関係がお互いの一生を変えることになった。

などといった王道ジャンプ的胸熱展開は一切ありません。

その頃世界情勢が怪しく、ビルには「特別警戒実施中」という大きな看板が正面ゲートに立っていたのですが、不審者はこんなとこにいるはずもなく、非常階段のようなところですよ、と山崎まさよしにも突っ込まれそうです。

尚、この階段昇降は結構便利で、外出続きで次の訪問までの時間がちょっと空くと、訪問先(の近くのビル)でもフル活用し、先々のオフィスにはお世話になっていました。

丸の内界隈のビルの階段は大体踏破したので(新東京ビルは良かったです)、階段マイスターと自称しても経歴詐称にはあたらないでしょう。

括りに、この異空間では、仮眠をとっている人がいたり、逢瀬が行われていたり、人に聞かれたくない話を携帯で話している人がいたり、プライベートな空間の代替としても使われているので、お互いギョッとするのも非常階段あるあるです。

六本木のラビリンスはマハラジャではなく、ここ非常階段です。

5. 六本木の鉄人

アイアンマンと呼ばれるレースに向けた練習に際し、とにかくトレーニングをインドアで済ませたい出不精だったので、会社脇のディップネスで3キロ泳ぎ、会社ジムのエアロバイクで150キロ漕いで、そのあとトレッドミルで35キロ走るというようなことをしていました。

始める前には、殺傷能力の極めて高いカロリー爆弾的お菓子やコーラなどを、500円の予算(バナナは別)を守れなかった子どものように袋に詰めて持ち込み、ひたすら接種しては消費するニセ永久機関(外界に変化を残しすぎ)。

ジムの早朝スタッフが、2回転目いうことで夜勤にもいらっしゃったのですが、そこでまた会っちゃって、ギョッとされました。

自転車とランニングの間にSUITSのビンジウォッチも完了してしまいましたが、内容は一切頭に入ってこなかったです。

そんなジムですが特別なマシーンがありました。

数々のサブスリーランナー、毎日トレッドミルでフルマラソンの距離を走る猛者、パラリンピアンなど、とにかくレジェンド達を支えてきた、一番右のランニングマシーン。

一番右はエリート達が使うもので、素人は火傷するぜオーラが出ていて、僕はこれに脚を乗せるまで3年かかりました。

老朽化によりマシーンの入れ替えがあった直後のことです。

「何かあのマシーン下ってない?」

レジェンドたちが口々に己の感覚で勝手なことを言い出します。
マシーンの表示は傾斜ゼロ。
でも、確かに何かいつもより走れる気がしていて。それは自分の走力がついたものだと思っていました。

修理技師が早速やってきて、あれらやこれやら調整するものの、機械が傾いていない、と言っているので中々原因は特定できず。

その日は解決できず、アナログな水準器で翌日測ってみると、それは確かにほんのわずかに下り傾斜がかかっていたことが分かりました。

デジタル < アナログ道具 < 匠の感覚
AIに代替されない世界

地軸の傾きのずれや、コリオリの力も感じとることができる、S級妖怪のようなアスリートがゴロゴロいる怖いジムでした。

レジェンドミル

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一つも仕事の話が出てこなかった。

六本木と共に会社も卒業しました。
※六本木最終日にカフェの店員さんがくれたこれを、勝手に自分の卒業のためのメッセージと勘違いしました。自意識過剰すぎる

勘違いコーヒー
退職しました

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