ご近所さんみんなが家族だったんだね。
あの頃のままの景色たち
おばあちゃんが会いたいって言ってくれたから、今年の年末は実家ですごすことにした。年明け、しばらく行けてなかったおばさんにお線香を上げにいきたくて、おばあちゃんお手製のおせちをお土産におばさんの家へと向かった。
ついでに幼少期の思い出を頭の中に巡らせながら実家の近所を散歩してみることにした。子どもから大人になっていろんなことが変わったけど、地元の景色たちはあの頃からそのままみたいに変わらないままだった。
ふと「ああこのあたりに住んでいる人たちはみんな自分にとって家族みたいな存在だなあ。」という気持ちが込み上げてきた。
僕の実家はいわゆる田舎で近所に住んでいるのは60歳以上のおじいちゃんおばあちゃんたち。僕にとって近所のみんなは、家族みたいな存在だった。
やさしい思い出たち
学校帰りに「こんにちは!」と元気よく挨拶をすると必ず嬉しそうに返事をしてくれるおじさん。歳を重ねて背筋がシャンと伸びているおじさんに挨拶を返してもらうといつも誇らしい気持ちになっていたよ。近所で山火事があったとき、おじさんの対応力は頼もしかったね。
いつも飼い犬のクロと仲良くさせてくれてクロが亡くなったときに顔合わせもさせてくれたおばさん。「クロ死んじゃったんだ。」その言葉を聞いた時の寂しさと静かなありがとうがこみ上げた感覚は20年近く経った今でも覚えているよ。辛いときも学校帰りにクロとじゃれあうことが僕にとっての心の癒やしだったんだ。今でも残っているクロの小屋を観ると懐かしい気持ちがこみあげたんだ。
いつも自家製の野菜をくれた農家のおじさん。学校帰りににらの匂いをかぎながら帰宅していたのが懐かしいな。自転車のチェーンが外れて困っている時に、工具をもってきて治してくれたよね。
家にあそびにいくといちご練乳アイスをいつもくれたおばさん。おばあちゃんの妹だってことは物心つくまで知らなかったよ。最後に会いたかったけど会えなかったね。正直全然実感がなくて、今でも生きている気がしてるんだ。おばさんの家の庭に咲いていたからコスモスは今でもなんだか特別な花だよ。
そんな思い出のすべてがやさしくてあたたかい。あの地域に住んでいるみんなが、僕にとっては家族だったんだ。
あたたかい家族たちにありがとう。
書いていてやさしいきもちが胸の中にこみ上げてきた。このやさしさは全部みんながくれたものだ。ちゃんと頭で理解していなかったけど、僕はやさしさや愛情をたくさんもらっていた。小さいころずっと明るい気持ちでいられたのはみんなのやさしさがあったからだったんだなあ。
いろんなものが被さって見えにくくなっているけど、今でも自分の中にみんながくれたやさしさはちゃんと残ってるって気づけてよかった。
僕はそんなみんなが今はどうしているかをちゃんと知らない。家に帰ってからお父さんとお母さんにみんながどうしているかを聞いてみた。会いたかったけどいきなりインターホンを押しておしかけることはできなかった。でも本当は二度と会えなくなる前に会っておきたいんだ。次帰ったら写真を撮らせてもらいたいな。そうだ。そうしよう。
小さいかもしれないけど、自分にとっては大きいこと。生きる楽しみができて嬉しいな。生きてたら絶対にそんな日がめぐってくるから。そんな日にいい姿を見せれるように、しゃんと胸を張って幸せに生きていこう。ありがとう。みんな。
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