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①U太くん(四星球)を育ててくれている街は?

いつも通りの呼び方で、いつも通りの話し方で進めていきましょう。まず、U太くんを育ててくれた・育ててくれている街といえばどこでしょう?
それはもう、徳島ですね。

【U太(左):四星球/ベース&マネージャー・事務所社長】
四星球(U太から左→右)モリス:ドラム&ポセイドン
北島康雄:シンガー&脚本・演出 まさやん:ギター&小道具

 2002年、北島康雄とU太を中心に四星球を結成
メンバーチェンジを経ながら2009年
現メンバー4人に落ち着く(オフィシャルHPより)

オフィシャルサイトのプロフィールでは、出身は兵庫県姫路市ですよね。
そうです。高校まではずっと姫路で、大学で徳島に来て1年生の時に組んだのがこのバンドで。
そもそも徳島の大学に進学した理由というのは?
先生になりたくってね。僕ら、こんなバンドやってますが(笑)教育大学なんですよ。全国に教育大学がいっぱいある中で、地元の教育大学の推薦を受けたんですけどダメやって。それで行けるところを探したら鳴門教育大学が出てきて、何とか滑り込んだっていう感じで。
当時、具体的に何の先生になりたかったの?
僕ね、中学校とかの英語の先生になりたかったんですよ。それで受験する時に例えば小・中学校を選べて、その中で何科・何コースっていうのを第三候補ぐらいまで選べて、僕は英語/体育/国語にしたんだったかな?それで蓋を開けたら小学校の国語科になってました(一同笑)。

SATANIC CARNIVALでの1コマ
(2024年/@幕張メッセ)

もしかしたら、バンドマンではなく国語の先生になっていた可能性というのが…?
そうやね、小学校の先生になっていた可能性は高いっすね。大学がホンマにメッチャ田舎でね、1学年も100人しかいなかったんですよ。鳴門市の中でも買い物に行こうにも車を持ってない人は渡し船を使ってスーパーに行くようなとこで(笑)。周りに何もないし、やる事もないから昼休みとかは同級生とフットサルしたり、夜は友達の家に行ってゲームしたり、そんなんばっかだったし。1~2年の頃ってこんな言い方したら何ですけど、そんなに勉強しないじゃないですか(笑)。
大学生全員がそうではないけど、確かにそうね(笑)。
それで、仲の良いグループの中に(北島)康雄がいて。インディーズのバンドとか、とにかく音楽に詳しくて。僕は音楽には詳しくなかったけど、(元々)バンドをやってたことがある、と。逆に彼は、音楽には詳しくてもバンドはやったことがない、と。“じゃあ、バンドやってみる?”って。2人ともバスケットボール部に入ってたんですけど一緒に辞めて、それでバンドを始める、みたいな感じでした。
バスケを辞めて、音楽の道でしたか。でも大学1年で組んだバンドが今に至る、ってすごい!
(笑)、そうね。(部活が)メッチャ厳しかったのもあるんですけどね。バスケットボールも好きだったんですけど、何やろなぁ…新しい刺激的なことを考えると、バンドをやって人前でライブをやって、ライブハウスにも出るって…外に出て行く・大学のエリアから出ることになるじゃないですか。その方が魅力的に感じたんやろうな、っていう感じだったんやと思います。
なるほど、“大学のエリアから出たい”っていうのは分かる気がするな。そもそもだけど、U太くんが先生になりたいって思った理由は何だったの?
これはね~…ざっくりやけど、「GTO」な気がします(笑)。結構ミーハーなところがあって、バスケットボールも「SLAM DUNK」なんですよね。バンドをはじめたのもテレビでGLAYを見たからで(一同笑)。全部、テレビです。
小学校ぐらいから寝る前とかにラジオを聴き始めてて、音楽は好きでカラオケとかも好きで。で、“見るよりはやる方が好き”みたいな性格で、そこから楽器を買って。コピーバンドでライブハウスに出たりとか、してたんですよね。

わたしが四星球というバンドを
最初に認識したのは2010年前後のこと
盛岡・いしがきミュージックフェスティバル
“マイクケーブルを伸ばしてお客さんと
大縄跳びをやっているバンドがいた”
というのを耳にしたことでした
(※写真は同フェス時ではありません)

GLAYをテレビで見て音楽を始めるのは分かるけど、ギターとかボーカルじゃなくて、いきなりベースだったの?
そう、僕は完全にJIROさんからで。僕が知らなかっただけやと思うけど、当時、テレビに出ててベーシストっていうキャラクターを確立したのがJIROさんやと思ってるんですね。ファッション的な部分でも色々と出られてたし、雑誌を見ても趣味の部分とかがすごく見えてたんですよね。“ベースアイコン”として目に留まったのがJIROさんでした、っていう感じで。
だから初めて買ったベースもJIROさんと同じ形で同じ色で、メーカーは全然で安い、みたいな(笑)。でもそこからちゃんと、色んな音楽を聴くようになってベースのパートとかも聴くようになって、色んなバンドのコピーもしていった感じでしたね。
最初に1人でコピーして弾いたのはGLAYで、初めて人前でライブをしたのは中学の時に体育館で何かの発表会があったんですけど、その時にSHAZNA「Melty Love」をやりましたね。
ほうほう!
でも(当時は優しい先輩ばっかりいるような学校じゃなかったので)、先輩の目に留まり“何、目立ったことしてんだ!”と。危なかった時期もありましたね(笑)。
へぇ~、中学でもう人前で演奏してたのね!
そうですね。初めてライブハウスに出たのも中2の時とかで。仲良かった、遊んでくれた高校生の先輩がいて、その人とバンドを組んで姫路のベータっていうライブハウスでやってましたね。ベータっていう所は、僕らの15周年ツアーでもやらせてもらったりしてますし、僕の高校の先輩にはbachoがいて。
え!?
(北畑)欽也(vo&gt)くんとか(伊藤)知得(b)くんとか、1個上の先輩で。高校の時とか、姫路のライブハウスシーンでは絡んでなかったんですけどお互いにバンドをやってることは知ってて。ウチらが10周年の時とかもっと前かな、のタイミングで徳島に呼ばせてもらって一緒にイベントをやったりとかして。そこから定期的にツーマンをやったりしてますね。

そうなんだね。ツーマンと言えば6月28日(金)にファイナルだった今回のツアーは対バン形式でしたけど、まぁ本当に対バン相手が幅広くて!
そこはバラバラにしようっていう意識が毎回あるんですよね。今回に関しては9mm Parabellum Bullet、ジュースごくごく倶楽部、OAUがいるというのが振り幅を際立たせてくれてるとは思いますけど(笑)、今までバンドをやってきたならではの交友関係とか繋がりも見てもらいたいな、というのは意図的にはあったりするところですね。

今ツアーの対バンはこちらの皆さま🎶

【「②「U太くんの大切な1曲は?」に続く/7月12日更新予定】

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