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④花男くんが描いている、これから

【③「花男くんが大切にしている言葉」から続く】

では最後の質問です。これから花男くんがやってみたいことだったり、夢や目標などを教えてください。
ちょっと大きいテーマで言っちゃうんですけど、いつか自分が燃え尽きて命の最後の日が来た時、“人生っていう旅は、楽しかったな”って思える人生を送れたら最高だなぁ。
旅だと思うんですよね、生きてることも、音楽活動も。やりたいことやチャレンジしたいことがあっても、ビビってやらないよりはチャレンジすることに向かっていくことが旅で、常に旅に出ている自分でいたいなぁと。旅の最中でも思い通りにいかなかったり、逃げてしまったり投げ捨ててしまったりすることもまだまだあると思うんだけど、それこそ“ドッコイ!生きてやろうぜ!”って、そういうことも笑い話に出来るようにデコボコを生きながら生涯を終えられたら…抽象的で申し訳ないですけども。
あとは自分の子供たちがまだ小さいから、社会人とか大人になった時に“親父はバカでお金もあまりなかったかもしれないけど、親父みたいな生き方をしてみたいな”って思ってくれたりとか、“父さんが曲を作ってくれて嬉しかった”とか、俺が歌ってることを家族皆が嬉しいなって思ってくれる瞬間を作れたら嬉しいなぁ、とは思ってますね。
その辺は心配ないぐらい、SNSなどでご家族とのお写真も見かけてほっこりさせてもらっていますよ。
いや〜、ネットには良いことばっかり出すから(一同笑)。修羅場の瞬間なんか沢山ありますよ!
でも大概、誰しもそうじゃないかな?
そうだよね、どこの家庭もきっとそうだよね(一同笑)。でも、子供が大人になった時でもやっぱり俺は歌ってたいし、歌い続けていたいなぁ。
改めて、花男くんは“歌う”というところは揺らがないんだね。
“歌う”っていうことだけは全く、バカみたいに揺らいでなくて。とにかく、歌ってるっていうのは何があっても生き方として決まってて、それしかない、みたいな。いろんな仕事もしてみたんだけど、俺に残ったのは音楽だった…だから、音楽しか残ってない(笑)って言えば良いのかなぁ?

そんな花男くんは今、北海道内を周る『ドッコイ生きてる雪の中ツアー』中ですが、ライブの場所もライブハウスばかりではないですよね?
ライブハウスと呼べるような場所がない街が半分ぐらい。このツアーも今年で11回目なんですけど、2〜3月の北海道って雪が深くて運転が大変になっちゃうからツアーバンドが来るのがぐっと減るんですよね。そういう時期に地元の人間が音を鳴らしてみよう、地元のバンドでライブを増やしてそれがライブハウスのためにもなったら良いし、ライブハウスがない街でも音楽で楽しい時間が出来たら良いな、って始めたんですよ。それでやってるうちに“ウチの街でもやってくれないかな?”って話があったり、俺が行ったことのない街で“歌える場所ってあるかな?”って、紹介してもらったりして。
北海道出身のくせに行ったことのない街が多いし、実際に行ってみたら、小さなまちでも都会に負けないカッコイイ人たちが…いるんですよね。都会でプロになろうと思ったけど諦めて今、地元の親の仕事を継いでるヤツとか、年齢を重ねて子育ても落ち着いて音楽を始めてみようっていう方とか。そんな各地の色んな人と出会いながら、今年は北海道だけで10箇所を周ってるんですけど、1年に1回、地元の人たちと一緒に音楽を作る、っていうのを、楽しみながらやってるんですよね。
それはすごく素敵!!
でも例えば、PA(=音響)を仕事としてはやっていない方が担当してくれる場合とかもあって。それも含めて俺は楽しもうと思ってやってるけど、やっぱり本番で大変になったりとか。でも、そういう人たちも一緒に音を鳴らしてるわけだし、一生懸命やってくれている人だったら“もっと打ち合わせを重ねて、来年もやりましょうよ!”って言って、また一緒に作っていったり出来る。そういうことも含めて、“ドッコイ生きてる”ってタイトルを付けてて。
なるほど!
だから何かトラブルがあっても“あ〜、ドッコイやってんなぁ!”って、合言葉みたいに言いながら(笑)面白くやってますね。イベンターさんがいたりライブハウスがあって、っていうことはどれだけ環境が幸せなんだろうって思ったりしつつ、でも何より大事なのは愛情なんじゃないかな、とも思ってて。
この前、69歳になる方がサプライズで、プロフィールとかライブのスケジュールとか、好きな歌詞を書いて手作りで作ってくれたツアーのパンフレットがあって。“俺のことを知らない人にも知ってもらうために”って。でもそこに書いてる歌詞が間違えてるから(笑)聞いたら、その方が“歌詞はYouTubeを流して確認しながら、何度も映像を止めて、それで書いた”って。俺が“歌詞カードがあるじゃないですか!”って言ったら、“あ、そっか〜!”って(一同笑)。そういうのもね…何だか、愛おしいじゃないですか。

まさに、“愛おしい”って言葉がピッタリだと思ってました。愛おしくて、お金には換算できないものをツアーで得ているのかもしれないね。
本当、そう。それこそこの前、人口よりも牛が多いって言われる別海町でのライブで80人ぐらい集まったお客さんの半分ぐらい、俺のことを知らなくて。何でこんなに集まってくれたんだろう?って思ったら、その69歳の方が知り合いの方にハガキに手書きで、DM(=ダイレクトメール)を書いて(笑)送ってくださっていて。
昔はDMって確かにハガキだったけど、今はメールとかSNSを使ってやっちゃう。物販を買っていく方も“ハガキが届いたからさ〜”って話してくれて、何か、頭をぶん殴られたような気持ちになって(笑)、俺、感動しちゃって。今だからこそハガキに温もりを感じたり、パンチ力もあると思うし、自分も…アルバムが出る時とか、手書きでハガキを書いてみるとか出来るわけですもんね。そういうことを今だからこそやらなくちゃ、って69歳の方に教わったと言うか。
別海っていう街は、太陽族の休止後にZICO HOUSEっていうカフェの方を友達に紹介してもらって。元々オリンピックの選手だった方がやっているお店なんですけど、“爺ちゃんから子供まで楽しめるカフェにしたい”って、名前をZI(=爺)CO(=子)HOUSEって名前にしたって聞いて。街のレジェンドみたいな人がそんなカフェをやってて、子供も爺ちゃんも婆ちゃんもね、そこに集まって、本当にね、イキイキしてるんですよ。

『ドッコイ生きてる雪の中ツアー』も
いよいよ佳境!
今回のツアー中、花男くんは北陸の皆さんにも
こうして思いを寄せています。

「ひとのちから、まちのちから。」と題してインタビューを始めた理由の答えを提示してもらったようなお話です。わたしは岩手県盛岡市で毎年開催され、花男くんも何度も出演している『いしがきミュージックフェスティバル』でMCをしているけど、ある時Hawaiian6がステージで“街が人を作るんじゃない、人が街を作るんだ”って言っていた言葉が、忘れられなくて。
このインタビューの企画書にその事が書いてあって俺も、なるほど全くその通りだなぁって思ったんですよ。もし、っていう話なんですけど、太陽族がもっと売れたりしていたら、“田舎町に来てやったぞ”みたいな気持ちで北海道の色んな街に行ってたかもしれないし、ポジティブに考えると、ズッコケてボコボコになって北海道に帰ってきたもんだから、“俺で良ければ歌わせてください”っていう気持ちで、今も色んな街に行けてるところがあるんじゃないかなぁってすごく思ってて。
そうだ、また別海での話になるんですけど、オープニングアクトで6歳の子と小学生、中学生が歌ってくれて。それを見ながら何かもう、舞台袖で泣けてきちゃったんすよ。小学生の子はHump Backの「拝啓、少年よ」を歌ってて、俺、萌々ちゃん(=林萌々子/Hump Back)と繋がりがあるし歌ってる動画を撮って送ったの、“小学生の子が歌ってるぜ!別海っていう街にもHump Backの曲が届いてるぜ!”って。そしたらすぐ“嬉しい!”って返事が返ってきて。そのやり取りを小学生の子に教えたら、その子もお母さんも、すごく喜んで。田舎町でも奇跡みたいな感動ってあるなぁ、ってウルウルしちゃって(笑)。
別海といえば、今年春のセンバツ・高校野球の21世紀枠で出場した高校がある街ですよね。何かもう、話を聞いてるだけでもウルウルしちゃう!
もしかしたら、自分が歌わせてもらえてるから…たとえ小さくても、そういう感動が生まれるのであれば…歌い続けて良かったなぁ、って少し、思えるかなぁ。うん。

『ドッコイ生きてる雪の中ツアー』
別海青少年プラザにて
(2024年2月25日)

花男くんが動いて、歌を届けに行っているからこそ生まれる出来事じゃないかな。
上を見たらキリがなくて自分はまだまだだなって落ち込むこともあるんだけど、でも、今ちえさんが言ってくれたように、自分なりに活動していれば、自分にしか出来ない感動っていうのを皆で作れるんだなぁって。そう感じられることは、幸せな気持ちになりますよね。
そう思いますよ(ちょっと涙目)。でもこれ、我々の知り合いが読んだら“2人していい人ぶっちゃって!”とか言われちゃうかな(一同笑)?
ね!でも、本当の話なんだもん!!

花男:1979年札幌生まれ。バンド・太陽族の活動休止後、
ちいさな音楽工場「宮田モータース」を北海道小樽市に立ち上げ。
泥付き野菜のような音楽を産地直送で届けるように
全国へ旅を続けながら今日もどこかで歌っている。
「人生一度きり。その傍でそっと歌いたい」。
オフィシャルHPより)

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