見出し画像

③バカビリーさんが大切にしている言葉

この回では、バカビリーさんが大切にしている言葉を聞きます。
「親には迷惑をかけるな」と「メリハリをつけて人生を楽しめ」。それと震災後はBRAHMANのTOSHI-LOWが言ってる感じで、「行動だけが現実」かな。

2015年に幕張メッセで開催された
BRAHMAN「尽未来際~尽未来祭~」で
BRAHMANの言葉を借りれば 行動することを通して
色んな人とも繋がっていくことが
出来るのかもしれない と思ったりします
この後お話に出てくる“太田さん”も入ってピース

前者2つの言葉というのは?
(高校卒業後)石川を出る時、小~中学と町内でソフトボールをやってた時の監督に挨拶に行ってさ。監督もヤンキー上がりみたいな人だけど、“悪いことはしても警察には捕まるな、親には迷惑をかけるな”って。それだけはちゃんと守りたいなと思ってね。だから、親から頂いた身体だし入れたいけどタトゥーも入れないでおこう、ピアスもしてない。大小色んなかわいいことはやってるけども、何より捕まってもいない(笑)。
その上で“メリハリをつける”っていうのは、サイコビリーって(自分自身も)こんな頭してるし、見た目で“どうせコイツらチャラいんだろ!”って仕事では舐められるじゃない。どうせ舐められるんだから逆に、仕事はちゃんとやってやるよ!って。バイトであろうと何であろうと、仕事はキッチリやる。やることはやって、遊ぶ時は狂ったように遊ぶ、そういうことかな。
良きです、良きです!では、TOSHI-LOWさんが言っていることは?
東日本大震災の後、東北に中々行けない中で報道を見てても、もどかしさがあった。あの時代に、SNSを見てるほうが色んな情報が流れてて。
震災から1年7ヶ月経った2012年10月、「狼の遠吠えツアー」っていうタイトルを自分の中でつけて、東北に旅に行ったの。自分の目で見なきゃ分からない、五感で体感しないと分からないって思った、うん。

こういった放射線測定器を持って
福島を訪れていました

その時のことを聞かせてください。
福島県いわき市から岩手県宮古市まで、内郷げんこつ会(以下、内郷)と一緒にね。距離感が全然分かんなくて、2泊3日で海岸線沿いを下道で行くっていう無謀な(笑)計画で。
(福島県)南相馬市小高のあたりかな、ここから先は立入禁止って書いてあって警備員が立っているのを見てさ。本当に忘れないけど…澄んだ空で星がすごい、綺麗に見えてさ。(立入禁止手前の)行ける所まで行こうって車を走らせたら、車の中でもガイガーカウンターの数値は上がっていくし、外に出ようもんならとんでもない数値になるし。見えないけどここはすごい状況なんだな、って。数字は正直だから。山の中を走ってれば“突然イノブタが出てくっぞ!”なんて、内郷が言ってたりさ。

イノブタの足跡
(高橋ちえ撮影/2018年)

イノブタが畑まで入ってきている話は福島でわたしも実際に住民の方に足跡も見ながら教えてもらったので、今でこそ頭数は減っているようですが事実ですよね。続きを聞きます。
そんな山でさ“ここの農家のおばあちゃんが自死したんだよ”ってさ…それを聞いて、うちも実家が農家だからさ。もう先がないと思ったからなのか…想像すると涙が止まんなくて。
北上して、宮城県名取市でセブンイレブンっぽいと思って寄ったら(営業をしていない)跡地でさ。駐車場にあるわけがないもの…お墓の束(つか)石だったり、ウサギのぬいぐるみがあったりするのを見ながら、自分の想像を絶してたよね。それで石巻に行って、鉄槌のメンバーのお兄さんに案内してもらって日和山に登った。エピソードとして1つ、小学生って言ってたかな、女の子が、津波が引いた後にお母さんと日和山に行って上の方を見たと。その子が「〇〇くん、下に降りておいでよ」って声をかけた時、お母さんは“何を言ってるんだろう?”って思ったらしいんだけど、よく見たら〇〇くんが電信柱に突き刺さっていたと。津波の脅威を…すごいことが起きたんだな、って俺は泣いてしまった。俺が泣いちゃいけない、でも“貴重なお話をありがとうございました”って、ただ、泣いた。

日和山で高橋ちえ撮影の1枚(2013年)
手すりに貼ってある手前の写真が
かつてこの場所から見えた光景
写真奥に広がるのが震災後の光景です
建物がなくなっていることが
よくわかります

ちょうど気仙沼市で「気仙沼サンマフェスティバル」っていうのをやってて、こんなのやってるんだ〜って立ち寄って。トレーラーのステージ横にある楽屋みたいなところで日本酒だったかな、かっ喰らってる人がいたんだけど“細美武士(ELLEGARDEN/MONOEYES)だよ”って、内郷が紹介してくれた。それがみーちゃんとの初めての出会い。さらに支援ブースを見て回ってたらミサンガを売ってて、石巻へい輪プロジェクトの人にも初めて会って。俺はその時、この旅路のこれまでのことを、泣きながら彼女に話してさ。
そこで繋がったのでしたか!
みーちゃんのステージを見て人気者なんだなぁって思いながら、夕方で夕陽は綺麗だし、港が横で漁船が通る中で「Make A Wish」を皆で大合唱してて。すごくいい光景だなぁ、って思ってさ。まだ気仙沼市内にデカいタンカーがあった時だからね。
津波の勢いの凄さを感じながら、岩手県大船渡市のフリークスに向かったの。そこでNAMBA69がちょうどライブをやってて。みーちゃんと同じく面識はなかったんだけど…内郷がAIR JAM 2012(宮城県)の「東北ライブハウス大作戦STAGE」に出てたから俺を招待してくれたんだけど、バックステージに行ったらナンちゃん(=難波章浩)が誰であろうとご挨拶をして頭を下げてたの。ハイスタが売れっ子なことぐらいは知ってたけど、売れっ子なのにわざわざ1人1人に頭を下げるんだ、っていうところに俺は魅力を感じてた。
そんなエアジャムから1ヶ月ぐらい経って、大船渡でライブを見させてもらってたら若いお母ちゃんと子供が来てたんだけど、ナンちゃんが子供をステージに抱き上げたりしててさ。すごくアットホームなナンちゃんの姿を見て、やっぱり好きだな、と思って。それで挨拶をさせてもらってから弾丸で、宮古に走った。

宮城県石巻市に作られた
子供たちの遊び場に
描かれていたペイント(2013年)

まだ三陸道ができる前で、今より時間がかかりましたよね。
行く前に、(クラブカウンターアクション宮古の)太田さんに“お世話になります”って連絡をしたんだけど、未だ会ったことのない、何者かも分かんないヤツに“ウチの店の2階に泊まれ!”って言える心意気。東北の人の優しさを感じたよね。
話がエアジャムに戻るんだけど、この旅をするきっかけになったのは、BRAHMANが“93歳のおばあちゃんが、お墓に避難しますって言ってたんだ”っていうMCをしてて。腹を括って俺は、東北に行くことにしたんだよね。そんな状況ってどういうこと?って思ったし、嫁さんに“自分の目で東北を見に行きたい”って直談判して、行かせてもらったんだよね。

バカビリー/防災士】
石川県生まれ 高校卒業と共に上京
建築関係の仕事をしながらサイコビリーのDJとして活動
 東日本大震災後に故郷の石川に戻り
建築の仕事と農業をしながら防災士の資格を取得
 2024年始に発災した能登半島地震の復興に尽力し続ける

 趣味はホラー映画を観ること
(奥様曰く“ボランティアじゃない?”)
好きな食べ物はスイカと回鍋肉と焼肉

東北での出来事も今、バカビリーさんが動く原点になっている。ということで、2024年・秋の時点で、バカビリーさんが能登に足を運んで見て感じている現状を教えてください。
能登・輪島市もメインの道路はさすがに片付いているけど、今も町道や市道でも崩れてるところはあるんですよ。“まだ片付いてないんか、迂回するしかねーな”っていう場所が市の中心部でもある。(中心部であっても)元々そんなに人が通んないとこなんだろうけど、屋根がまだズドーンと道を塞いだまんまだったりね。
屋根が倒れてる話で行くと、輪島市のビルが倒壊した映像は誰もが目にしているはずですしそのままの状態が続いていると耳にしています。
それは今、やっと解体が始まりましたね(10月~/今年度中に完了予定とのこと)、あれは震災遺構になるかもしれないような建物で、あの倒れ方は異常だから原因究明をちゃんとしないといけないということで中々、手もつけられなかったんだよね。
火災が起こった(同じく輪島市の)朝市通りも公費解体は進んでいるけど、今後どうなるのかは今、色んな噂は聞くね。地元の特産物を何百年と売る通りが続いてたんだけど(補足:起源は平安時代の物々交換から始まっているという一説もある)、俺は震災前にその光景を見てないのよ。そもそも輪島に観光にも行ったこともなかったしね。
地元だからこそ行ったことがない、っていうのはあるあるですよね。
今でこそ毎週(支援活動で)行ってるけど(笑)、(金沢から)往復250キロぐらいあって遠いしさ。良かったんだろうな…っていう光景は、だから全然知らない。でも今回、震災があって能登半島を回ってみて、自然豊かで綺麗な場所だったんだろうな…って思う。綺麗な海が隆起したりすごい現象が起きたけども、おだやかでゆったりとした時間が流れてる、それが能登半島なんだろうなぁって想像できる。
あんなにのどかな所なのに火事場泥棒が入って(補足:各メディアも事実としてそれを報じている)、家の中を荒らされてさ。すげー怖い思いしたと思うとさ、悔しい。だから被害を受けなかった金沢の人たちがもう少しさ、ボランティアだったり…力を入れてくれないのかなぁ、入れて欲しいなって今も思ってる。
ちょうど先日、岩手・ヘラルボニー代表の方がSNSで“若者のボランティアの姿がほとんど見られないのが象徴的”と発信をしてました。が、現状のインフラや金銭的なことを考えると“ボランティア活動に参加するハードルがあまりにも高い”とも(全文はこちら)。難しいです。
ボランティアに来てくれた方が体感したことを客観的に、割とズバッと書いてくれたなと思って。地元の人間が言うと“ボランティア?”みたいなところもあるから、俺はもう誘わないようにしてる。仕事で土木の現場に行くと重機がガンガン動いてる、この中で1人が365日の1日だけでいいから来てくれませんか、って思う。もどかしさを今も持ったまま、うん…この正月から、ずっとね。
少しでも ちょっとでも 能登の方々が前を向けれますように”って俺、この前もSNSで書いた。大変な状況だけど、ウチらは絶対に見捨てない。継続していくつもりでは、あります。それは東北で出会った人たちに教えてもらったことだからね。心の強さやたくましさ、そして人の優しさを。

騎馬武者ロックフェス2024では
バカビリーさんのトークに
たくさんの方が耳を傾けてくれ
トーク終了後も寺子屋のように
バカビリーさんを囲んで話しました
(お写真OKな方々と一緒に/ありがとうございました)

【「④バカビリーさんの今後の夢や目標」に続く/11月29日(金)更新予定】

いいなと思ったら応援しよう!