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現実逃避と自己憐憫

2分に1回死にたくなるから、現実逃避と自己憐憫の2本立てで、なんとかここまでやってきた。

実際に人に向かって「いやぁ〜、僕2分に1回死にたくなるから、現実逃避と自己憐憫で、なんとかやり過ごしてるんだよねえ。」なんて言うことはもちろん無くて。

でももし誰かインタビュアーに「この50年の人生、いかがでしたか?」と問われたら、「ずっとこれまで現実逃避と自己憐憫でやり過ごしてきただけの50年でした。」と答えるんじゃないか、と自分の中で思っている。

脳内でこんなシミュレーションをしていること自体が、すでに現実逃避の妄想なわけで。もう癖として身体に染み付いているんだな。

(さすがに最近は生活も安定してきて、大きなトラブルも抱えていないので、「2分に1回死にたくなる」ことはないけれども。まあ、キャッチフレーズとして。)

生い立ちにいろいろ難ありのスタートだったので、物心ついた時から「何でこんな目に遭わないといけないんだ。」という理不尽な状況を受け入れることを科せられていた。

幼少の頃はそれを言語化することもできなかったが、なんとなく「あ、これは他人を羨ましいと思ったらキリがないな…。」ということは直感でわかっていた。

その当時は、自分のお父さんがしばらく塀の向こう側に入っていることなんて知る由も無かったし、お母さんは交通事故で亡くなったんだと聞かされていた。(当時はそれすらも理解していなかったと思う。で、それは高校生ぐらいまで信じ込んでいた。「ええっ!実際は生きてるの?」…)

その間、父の兄で自分にとっては伯父さんにあたる人の家に引き取られて、そこで面倒をみてもらうことになった。

実際に戸籍上はそこの養子となっている。のちに自分が結婚することになって新しい戸籍を作るまではその伯父の家の長男になっていた。ということは、子供の頃「お父さん、お母さん」と呼んでいた人…(その「次のお母さん」にいたっては、実父と婚姻関係すら無かった)との間にも書類上は親子関係は無かったということになる。

やむを得ずとはいえ、伯父さんにとっては自分の弟の子だからと引き取ったはいいが、実際に生活の面倒をみるのは彼の嫁つまり奥さんである。(当時はその人のことを「お母さん」と呼んでいた)

育ちざかりの実の娘が二人いて、家計もいっぱいいっぱいのところに、もう一人子供を押し付けられて、飯を食わせ服を着せと…いう状況は、かなりストレスフルだったのだろう。「何で私が我が子でもないこいつの世話やかなきゃいけないのよ!」と。今思えばその気持ちはよくわかる。

ただその鬱憤が「しつけ」という名目のもと、「折檻」という行為は正当化され、幼い自分にすべて向くことになった。

水風呂に沈められたり、熱い蝋を腹に垂らされるという折檻は幾度もあった。布団叩きでミミズ腫れが残るほど叩かれたこともしょっちゅう。

まだ油がジュージューいってる焼き茄子を口の中に突っ込まれて大火傷。今でも自分の舌はあちこちにひび割れがあり白く爛れているので、文字通り傷は刻み込まれている。

なにかと罰走を科せられた。「近所の公園を何周走ってこい。」とか。それを陰から見ていて、「何周足りてない。お前はズルをした。」と後で責められ、また何かしらの罰を追加される。

もちろん、きちんとご飯は食べさせてもらっただろうし、ちゃんと服も着て幼稚園にも行かせてもらった。基本的には可愛がってもらっていたのだろう。

しかし残念なことに、自分にとっての幼稚園の頃の記憶というのは、陰惨な状景しか浮かばない。そういう仕打ちはしたほうは忘れて、受けたほうはいつまでも憶えているもので。

のちに大人になってから、かつて「お母さん」と呼んでいた叔母に、当時のことを穏やかな表情で懐かしそうに語られた時には、複雑な思いがしたものだ。

その頃の自分が「隣のあの子のおうちの子になりたかったな。」…そう思うのは自然なことだった。

と同時に「そんなこと思っても無理だよね。」という諦め。そんなアンビバレンスが、4つか5つの歳には、はっきり植えつけられていたのだった。

そこから高校卒業して自立するまでの間も、自分ではどうにもままならない理不尽な状況というのは続くわけなのだが、自意識が芽生えていろいろ考えるようになるにつれて、いろんな自己防衛策を身につけていくことになる。

それはやっぱり反実仮想。「もし自分が王様だったら…。」「もし金持ちの御曹司だったら…。」「もし今が戦国時代で、武士の子だったら…。」とか、多かれ少なかれ誰でもそういう妄想に耽りながら成長していくものだろう。

そこに自分の場合は、現実とのギャップを埋める作業が必要になってくるわけで、そのギャップが大きければ大きいほど、よりディテールを細かく詰めて考えるとか、必死こいてやらないと妄想に没入できない。

必然的にそこに乖離が生まれるはずだが、そこで自分がその妄想の中の自分と現実の自分を繫ぎ止めるためにとった手段が、自己憐憫だった。

「そんなこと思ってもしょうがないよね。実際はそうじゃないんだから。」「金持ちだったらあれ買おうとか具体的に考えても意味ないよね。家に帰れば貧しい暮らしなんだから。」「偉くなったらこうしてやろうとか憤ってもやるせないよね。虐げられ続けてるんだから。」…とか引き裂かれそうな自意識の中で、「でも…こんな自分、いじらしいよな。」「それでも何とか頑張って生きてるよね。」「本来グレて犯罪者になってもおかしくないところを、よく踏みとどまってるよ。」と慰めて落ち着かせる作業を施さなくては、感情が暴走してしまう。

そしてその行為は必然的に現実逃避の妄想とセットになっていく。
つまりは「いずれ有名になった時、いいエピソードになるじゃないか。」「作家になった時、小説のネタになるじゃないか。」「自叙伝出したら話題になるじゃないか。」…そういう日が来るまでの、今はあくまでもネタ集めの時なのだと。あえて他人とは違う経験をしているのだ、と。

ただ当時はそこまで達観していたわけじゃない。そうやって堪えていたら、いつか誰かが「おお、かわいそうだね。つらかったね。よしよし。」と慰めてくれるんじゃないかと期待し続けていた。でもそんな人はいないから、自分で自分のことを「なんてかわいそうな、オレ。よしよし。」と慰めているだけ。まさに自己憐憫。

憎しみより憐れみを。」と言ったら綺麗事過ぎるだろうか。

不遇な境遇を誰かのせいにして他人を憎むより、自分で自分を哀れんでいたほうがまだましなんじゃないかと思っていた。

もちろん人前では平気な顔をしていたほうがいいという「やせ我慢の美学」みたいなものは、ささやかな矜持としてあって。自意識がどんどん強くなるティーンエイジャーの頃はなるべくポーカーフェイスでいたいと努めていた。

でも一方では、自分で自分のことを可哀想だと思っていることが恥ずかしかった。「同情なんかいらねえよ。こんなの全然平気だよ。」と言える強さがほしくもあった。

村上春樹・著「ノルウェイの森」の中で、登場人物の一人である永沢さんが語り手である主人公に向かって「ひとつ忠告していいかな、俺から。」と切り出す場面がある。

「自分に同情するな」と彼は言った。「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ。

…この場面を幾度となく読んで、その度に己を恥じた。下劣な人間…まあ、たしかに高貴な人間ではまったくないけれども。

と同時に、「ちょっと待ってよ、永沢さん。オレ、ずーっとこれでやってきたのよ。」という腑に落ちない気持ちもあった。

今では、これは「自分の弱さを前提として認めないという、行き過ぎた上昇思考を持った永沢さんという特異なキャラクター」を表す一例としてのエピソードなのだと理解しているが、自分のことを鋭く指摘されたような居心地の悪さは感じ続けている。

二十歳を過ぎて、自意識の空回りにいよいよ耐えられなくなったある日、池袋のある病院の精神科に診療を受けにいったこともある。

当時はまだ「心療内科」とか「メンタルクリニック」と言った呼び名が浸透していなくて、「精神科のお世話になる」というハードルは高かったので、かなり勇気を振り絞って診察に向かったものだった。

そこで、とりあえず生い立ちからざっと説明して、「こんなこんなで毎日こういう感情で過ごしていて、いろんな葛藤でやりきれなくなる時が頻繁にあるんです。」ということを一生懸命伝えたら、しばらく自分の話を聞いていた担当の先生に「うーん。それだけ自分できちんと言葉で説明できるってことは、あなたそれもうトラウマ克服されてますよ。」と言われて拍子抜けしたのだった。

あれから月日を経て、「若いうちならまだしも、おじさんになってもいまだに自意識との戯れが続いてるなんて、みっともない。」という自制心も働いて、だいぶましになってはきていると思う。

でも、基本的には自分はこういう人間なんだよなあ…とつくづく思う。

今回、半生を振り返って自分語りをするうえで、「決して貧乏自慢、苦労自慢がしたいわけでもないし、もしそう聞こえたとしても、それは今の自分を持ち上げるためでもなんでもないんです。」という言い訳をしておきたかったので(この辺がいまだ自意識過剰w)。

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