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「志村魂」は受け継がれてゆく。

振り返れば2020年の話題はコロナ禍一色だった。そして現在もまだ完全に収束する日は見えてこない。

中でも世間に大きなショックを与えた、コメディアン・志村けん氏の訃報。

ここで「志村?…志村と言えば『けん』じゃなくて『正彦』でしょう!」と、とぼけるのはさすがにわざとらしいとしても、その訃報を聞いた時の驚きの度合いで言うと同じくらいだったかもしれない。

気を抜いている時に、「それにしても志村が亡くなった時はびっくりだったねえ。」と話しかけられたら、「ああ、2009年のクリスマスイブだったよね。」と普通に答えてしまいそう。

自分の過去のブログを検索してみたら、12月25日にはこんな投稿をしていた。

「何故だ、志村…。」
まだ信じられない…。
けど、遺作となってしまった「CHRONICLE」で、自分のすべてをストレートに曝け出そうとしていたことが、突然の訃報の図らずも伏線になっていたような気もしてならない。
燃え尽きたとは思わない。まだまだこれからだったはずだ。
正直「CHRONICLE」はマイフェイバリットレコードにはならなかった。「TEENAGER」から、楽曲の出来に対して個人的には不満で、半ば失望しかけていたのだった。
それでもフジファブリックのほとんどの作品は買って聴いていたよ。
志村正彦というミュージシャンの才能は疑うところがなかったからだ。
今はいろいろ考え過ぎてこういう表現方法になっているけど、きっとまた純粋にメロディと歌に立ち戻る日が来るはずだと信じていた。
あの朴訥とした歌い方で、それでもグッと胸に迫るメロディを奏でてくれると期待していたのだよ。
たとえ過去の作品を超えられなかったとしても、フジファブリックというバンドはこの音楽不況もサヴァイヴして、いずれはユニコーンのように日本のロックシーンにゆるぎないポジションを築き、本人が敬愛してやまない奥田民生氏のように、ソングライターとしての高い評価を得るはずだと思っていたよ。
フィッシュマンズの佐藤伸治氏の訃報を知った時に匹敵するほどの大きなショック。残念で仕方が無い。
数多くいる彼の音楽のいちファンとして、ご冥福をお祈りします。

そして翌々日の27日にはこんな投稿も。

「個人的音楽葬。」
普通にカラオケ行っただけなのだが。
やはりフジファブリックの曲を歌ってしまう。
いきなり「笑ってサヨナラ」を歌ってしまったら、感極まってしまった。
だが、「モノノケハカランダ」を絶叫したり、「東京炎上」をダバダバ歌ったりしているうちに、だんだん楽しくなってきてしまった。
いい曲もたくさん残してくれたが、やっぱりワタシは志村のヘンな曲が大好きだ。
もうこの世から去ってしまったのかと思うと、どうしようもない寂しさは感じるが、よくよく考えたら、あくまでも自分は単なるいちファンであって、個人的に親交があるわけでもない。そこまで悲しむ資格がないというとなんだが、すでに亡くなってしまった人の残した楽曲を今でも愛聴しているということはよくあることで、その都度亡くなった人を偲んでいるかというとそういうこともないわけで。
この先新曲を聴くことが出来ないのかと思うと極めて残念だけれど、解散したバンドの限られた音源を繰り返し聴いていることなんて多々あるわけだから、これから自分に出来ることはフジファブリックが残してくれた楽曲をいつまでも聴き続けていくことだな。
そして歌い継いでいくよ(カラオケだけど)。
最後は「TAIFU」を熱唱してきたよ。「感情の赴いたままにどうなってしまってもいいさ」と思いながら…。

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個人的にフジファブリックにハマったのは、やはり「銀河」からだ。

出だしで「ま〜〜よ〜〜な〜〜か〜〜。」と、のっぺり歌い出された時は、「何だ、この朴訥とした歌い方は。新沼謙治か?」と思ったが、続く「タッタッタッ、タラッタラッタッタ…。」の奇妙な軽快さが気になってしまい、変なメロディに引き込まれ、ありえない転調に口あんぐり。聴き終わった時には「何なん、この曲?」ともう一度再生したくなる中毒性に、すっかりやられてしまったのだった。

そしてリリースしたジャストのタイミングで聴いた2nd アルバム「FAB FOX」のアグレッシブさときたら。1st アルバム「フジファブリック」のほうが、ポップソングとしていい曲が揃っているし完成度も高いと思うけれど、いろんなタイプの曲にあらゆるアレンジを試してみたという雑多な「FAB FOX」が、勢いのついたバンドの充実ぶりがそのまま詰まっている気がして、「これはライブもとんでもないことになっているに違いない。」と確信したのだった。

初めてライブを観たのは2006年7月14日のZEPP TOKYO、その後「ROCK IN JAPAN 2006」、年末には両国国技館にも行っている。メンバー個々の演奏力も高いし、バンド全体のグルーヴ感もいい。何よりこの志村正彦の作るヘンテコな曲をどうアレンジしてやろうかと楽しんでいる、いいヴァイブスが漲っていた。


ちなみに…ちょうどその頃、「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」のコーナーに藤井フミヤ氏が出演していた回をたまたま観た。

彼の息子さんが鼻歌を歌っているのを聞いて、奥さんと二人で顔を見合わせて「うちの子、ひょっとして音痴なんじゃ…。ミュージシャンの息子として、これはまずいんじゃないか。」と思ったそう。

フミヤ氏の息子さんは当時フジファブリックが好きだったらしく、その時歌ってた曲の元を聞かせてもらったら、「…合ってた!」と驚いたんだって。

このエピソードが志村正彦の天才性をよく語っていると思う。やっぱ変だもん、あのメロディは。(「桜並木、二つの傘」とかアカペラで歌ったら、絶対音痴だと思われるって(笑)。)


続く3rd アルバム「TEENAGER」には、共作曲や志村以外のメンバー作の収録曲も増え、バンドとしてのスケールアップを試みていた。(この頃は「ユニコーンみたいに全員が曲を書くバンド」になっていこうとしているのかな?とも思っていた。)

「若者のすべて」がシングルとしてヒットするなど、側からは順風満帆に見えたのだが。

志村正彦の中で、自分が表現したい100%とバンドの方向性にズレを感じてしまっていたようだ。

次のアルバムは全曲作詞作曲、アレンジまで志村がやることで、彼のアーティストエゴをすべてぶつけようとしたのだろう。大変な難産となった「CHRONICLE」はセールス的に成功したものの、その時の苦悩が彼を肉体的にも精神的にも追い詰めたことは想像に難くない。

死因不明の突然死だったから、彼の健康がどれだけ損なわれていたのかは知る由もないが、そこまで心血注いで作ったアルバムだったのだなと、後々聞いて「CHRONICLE」という作品の凄みを感じることになった。


メインのソングライターでヴォーカリストを失ってなお、バンドが継続していく例は数少ないと思うが、フジファブリックは今もサバイヴしている。

もう「フジファブリックは山内総一郎が歌うバンド」であることに異論を唱える人はいないだろう。

残された3人がフジファブリックを続けてくれて、本当に嬉しいしありがたい。

彼らが現役バリバリでやっていてくれるからこそ、志村正彦の曲がいつまでも色褪せないところがあるのは確かだから。

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ただ、古いファンでゴメン。自分の中では今でも「フジファブリックは志村正彦が歌うバンド」で停まってしまったままでいる。

今日もSpotifyで自分が作った「泣けて、アガる志村曲」というプレイリストを再生して「東京、音楽、ロックンロール」を感じながら、街を歩く。


(※「そっちの志村かーい!」とツッコんでもらいたくて、タイトルと冒頭でミスリードするような書き方をしていますが、志村けん氏の訃報を軽んじる意図はありませんので、御容赦ください。)

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