マガジンのカバー画像

あるセンチメンタリストの半生記

18
振り返ればいろいろありました。 壮絶な生い立ちからスタートしたけれど、特に何も成し遂げていない男の半生記。
運営しているクリエイター

記事一覧

固定された記事

半生記をつけてみる。

今年で50歳になるのかと思うと感慨深いようで。 「生まれ年から始まる100年カレンダー」とい…

コロナ鬱だったと結論付けてみる。

noteの更新が長らく滞っていた。 50歳になったのをきっかけに、「もうこんだけ生きてきてしま…

9

意外と一貫性があって今の仕事。

無駄の多い人生だ。 幼少の頃から「継続は力なり」と教え諭されるたびに、後ろめたい気持ちに…

愛人宅侵入と拘置所面会。

自分の実父が亡くなってから、もう20年ほどの月日が経つ。今の自分より若い年齢…50歳になる前…

中学時代は優等生?

1984年、地元鹿児島市の公立中学校に進学。 通うことになった学校が、たまたま県立大学の代用…

グレずに済んだ訳。

日本の端っこ鹿児島県で生まれ、1980年代にティーンを過ごした自分。 父親はジゴロでヤクザ、…

ガキの喧嘩をシノギにされる。

小学5年生の時の話。 自分が住んでいた国道3号線沿いの安アパートのすぐ近所に、本業は描き文字などの看板屋だけど敷地の一角にプレハブを建てて、そこにテーブルゲーム機を数台並べて、2プレイ50円とかで遊べる簡易ゲームセンターがあった。 放課後、そこに集まって「パックマン」や「ギャラガ」や「マッピー」や「ディグダグ」や「ペンゴ」に夢中になる小学生男子たち、自分もその中の一人だった。 自分も貧乏だったけど、親が空き瓶に溜めていた小銭をちょっとずつちょろまかしたりして、なんとかゲ

続・家出の話〜甲突川の橋の下で〜

小学5年か6年生ぐらいの時だったと思う。 今度は衝動的ではなく、わりとしっかり決意して家…

家出の話〜ばあちゃんちまで歩いて行く〜

国道3号線沿いの安アパート、17歳の時に出来てしまった息子を「育ての母親」の元に置いて放っ…

武士は食わねど本宮ひろ志。

ちょうど「ビー・バップ・ハイスクール」(きうちかずひろ・作)が流行っていた1980年代にティ…

ラム肉食べ放題の話。

地元では有名な「焼肉なべしま」というチェーン店があって、今では鹿児島以外の九州各地に展開…

プレゼントコーナーを潰される。

小学生の頃に、ちょっとしたクラスの人気者になりたいと思った時、どういう行動を取りますか?…

銭湯で同級生に遭う。

出身地・鹿児島は火山国なので、街の銭湯=(イコール)温泉でした。上京して初めて煙突のある…

絶望が慢性化するまで。

「幼少の頃、虐待を受けた。」「少年時代、いつも貧乏だった。」「母の愛というものを知らずに育ってきた。」「ヤクザな父のようにはなるまいと努力してきた。」…そんな人はこの世の中、ほかにもたくさんいるだろう。 いつまでも自分だけが悲劇の主人公ぶってるんじゃない。 それはもう自分自身に何度も言い聞かせてきましたよ。 「子供の頃は親のことが大嫌いだった。」「早く親元を離れて自分だけの力で生きていけるようになりたかった。」…そういう人だってごまんといる。 そして「いずれ自分が親に