マガジンのカバー画像

あるセンチメンタリストの半生記

20
振り返ればいろいろありました。 壮絶な生い立ちからスタートしたけれど、特に何も成し遂げていない男の半生記。
運営しているクリエイター

記事一覧

固定された記事

半生記をつけてみる。

今年で50歳になるのかと思うと感慨深いようで。 「生まれ年から始まる100年カレンダー」とい…

コリアンタウンに2ヶ月だけ。

2023年3月に、約17年の長きにわたって勤めた職場を離れることになった。 退職日目前まで次の…

「中年の危機」が10年遅れでやってきた。

結論から申し上げると、「サブカルをこじらせると、ミッドライフ・クライシス…いわゆる『中年…

17

コロナ鬱だったと結論付けてみる。

noteの更新が長らく滞っていた。 50歳になったのをきっかけに、「もうこんだけ生きてきてしま…

意外と一貫性があって今の仕事。

無駄の多い人生だ。 幼少の頃から「継続は力なり」と教え諭されるたびに、後ろめたい気持ちに…

愛人宅侵入と拘置所面会。

自分の実父が亡くなってから、もう20年ほどの月日が経つ。今の自分より若い年齢…50歳になる前…

中学時代は優等生?

1984年、地元鹿児島市の公立中学校に進学。 通うことになった学校が、たまたま県立大学の代用附属校という扱いで、「附属中」というのは別にちゃんとあるのだが、その予備としてモデル校のような役目を果たす指定校だった。 鹿児島県というところはなぜか教育県ということになっていて、特に我々第二次ベビーブーマーは大学受験者数が最も多かった世代だったということもあって、当時何かと教育に関する会議や参観授業などが多く開かれていた。 中1の時の担任の先生は、みんなに「ニカウ先生」とあだ名

グレずに済んだ訳。

日本の端っこ鹿児島県で生まれ、1980年代にティーンを過ごした自分。 父親はジゴロでヤクザ、…

ガキの喧嘩をシノギにされる。

小学5年生の時の話。 自分が住んでいた国道3号線沿いの安アパートのすぐ近所に、本業は描き…

続・家出の話〜甲突川の橋の下で〜

小学5年か6年生ぐらいの時だったと思う。 今度は衝動的ではなく、わりとしっかり決意して家…

家出の話〜ばあちゃんちまで歩いて行く〜

国道3号線沿いの安アパート、17歳の時に出来てしまった息子を「育ての母親」の元に置いて放っ…

武士は食わねど本宮ひろ志。

ちょうど「ビー・バップ・ハイスクール」(きうちかずひろ・作)が流行っていた1980年代にティ…

ラム肉食べ放題の話。

地元では有名な「焼肉なべしま」というチェーン店があって、今では鹿児島以外の九州各地に展開…

プレゼントコーナーを潰される。

小学生の頃に、ちょっとしたクラスの人気者になりたいと思った時、どういう行動を取りますか? 自分の場合はマンガやイラストを自由帳に書いてクラスメイトに見せて、「へー、上手いね!」とか言ってもらうことで、承認欲求がある程度満たされていたように思います。 小学校3年生ぐらいになると、ただドラえもんやキン肉マンなどを模写して見せるという段階から、ちょっとしたオリジナルストーリーを描き始めたりしだしました。 そうすると、自分の自由帳を「次、俺にも読ませて。」「新しいの描いた? 描