夜空に泳ぐチョコレートグラミー:町田その子:痛さを回避するために闇に落ちるのだが
「夜空に泳ぐチョコレートグラミー」(94/2022年)
こういう刺してくる作品って、女性の作家さんばかりの気がするのは、読者である私が男性からなのだろうか。
この発言自体、今の世の中では問題発言かもしれませんが、最近の芥川賞のノミネート作品も女性の作家の方が多いのでは。作家の価値を男女で決めるのはナンセンスだという考え方には完全に同意します。
でも、なんでしょう、この刺し方は痛いのです。ほど良い痛さ、とか書くと「上から目線」とか非難されそうですが、この痛さは様々な感情を引き起こします。
一般的には「不幸な状況」と判断される人たちの物語ですよね。そういう弱い人たちの物語を、恵まれた環境にいて弱者たちの生活や環境を味わうことなく生活し死んでいくと思われる「勝者」側の人たちが、こういう作品を読んで、世の中を過酷さを実感した気分になって悦に入る作品。
こんな感情が湧き出るのです、傲慢な思想が、痛さを回避するために。こんな気持ちにさせてくれる作品、読んで楽しいのかと問われれば、楽しくないのが楽しいという非常に捻じ曲がった回答をするしかないのですが、仕方ないのです、読みたいのですから。
でも、大きな間違いがそこにはある。登場する弱者は自分の境遇を不幸と思っていないかもしれない、と想像する力の欠如があるのだ。なぜ彼らを不幸と決めつけるのか。もちろん、一般的には「片親」の方が不幸の確率は高いという判断は間違っていないだろう。だがそれは確率が高いだけである。片親=不幸では決してない。この「確率」の概念を理解出来ない人は、本当に不幸なのかもしれない。
お金持ちは幸福の確率は高いだろう。でも確率を理解出来ない人は、金持ちを見るだけで「羨む」のだ。そして弱者に触れて「憐れむ」のだ。
小説は世の可能性を教えてくれる、正負両方向に拡がっていく可能性を。本作品に出てくる魚たちは、泳ぐのです、普通に、いつも通りに。
文章の温度感が心地よい素敵な作品でした。