南風吹く:森谷明子:やっぱり認めたくないんだけど…

「南風吹く」(100/2020年)

俳句甲子園、知ってますか?

それが舞台の高校生の青春小説であり、俳句に真正面から取り組んでいる超俳句小説でもあります。

で、作品としては爽やかで晴れやかで、もう一度高校時代に戻りたくなるキラキラを楽しめます。また、小さな島の分校という設定なので、主人公、航太がもともと運動部なのに文化部の活動、つまり俳句甲子園に取り組むことになる流れに無理がないんです。ここはうまい。いつのまにか、航太の気持ちに引き込まれる。また高校生なので、自分の進路で様々な悩みもあり、それを大きく包み込む自分たちの住む島自体の将来の問題もある。様々な問題に直面する若者の不安定な気持ちが俳句に表れてくるあたりもうまい。

ただね、この作品に何の問題もないんですが、俳句甲子園、やっぱ嫌なんだな。この作品が面白いは、俳句甲子園のルールに依るところも大きいのは確かだし、そこはエンタテインメントとしてOK、何の問題もありません。

ただね、そのルールが嫌なんです。相手の出してきた俳句に対する「問題点を指摘」して攻める。相手の指摘に対して「その指摘は間違っている」と防御する。一種のディベートなんですが、そこが気に障るんです。

確かに甲子園なので「勝負」の要素としてもディベートは面白い。そしてディベートのテーマが政治的、社会的なものではないので、誰もが比較的イーヴンな条件で戦えるところもゲームとして優れている。

でも、それって俳句の文学である側面の否定だと思ってしまうから、認めたくないんだよね。作品の好き嫌いはあって当然。評価の高い、低いも存在するのも当たり前。ただ、作品は発表した時点で作者の手を離れるべきだと思っているので、百歩譲って、相手作品への「ダメ出し」は許そう。だが、それに対する「言い訳」は、なんか気持ち悪いのだ。

また、このルールで行くと、相手の作品に感動して「感動した」と伝えることは自分たちにとって不利な行為となる。勝つためには、ダメ出しが必須である。ゲームとしては成立しているが、それは俳句に対して失礼ではないだろうか。良いものをちゃんと評価する、当たり前のことだろ。

でも、今回、本作品を読んで、この甲子園ルールを大人がやったらえげつないけど、高校生だからギリギリ許されるのかな、と思った。でも、それっって高校生の文化的資質を年齢という物差しだけで否定する気もするし。

いや、悩ましい。でも、俳句の楽しさを感じることが出来る作品であることは間違いないです。オススメ!

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