時代がようやく追いついた?29年目の「あいち国際女性映画祭 2024」
第29回 あいち国際女性映画祭
名前に「女性」と冠されている通り、世界各国・地域の女性監督による作品、女性に着目した作品を集めた、国内唯一の女性映画祭である。
日本でも少しずつ意識改善の兆候が見られるものの、世界経済フォーラムの発表した「ジェンダー・ギャップ指数2024」では、日本は146か国中118位と、未だジェンダー意識の後進国と言わざるを得ない。
映画祭が始まった29年前は今以上に課題が多かったであろう。しかし「あいち国際女性映画祭」は早くから女性映画人の活躍にフォーカス。立ち上げの1996年は、男女共同参画社会基本法が施行される3年も前のことである。
今回は映画祭を立ち上げた時のビジョンや、権利意識の変化とともに映画祭がどのように変わってきたのかなどについて、立ち上げ当初から映画祭に携わり現在はディレクターを務めるシネマスコーレ代表取締役の木全(きまた)氏と、映画祭のエグゼクティブ・プロデューサーの渡辺氏にお話をうかがった。
映画祭が始まったきっかけとは
ーー1996年当時、「あいち国際女性映画祭」を始めたきっかけはどのようなものだったのでしょうか?
木全:一番のきっかけは、現在も会場になっている建物「ウィルあいち」の開館です。1996年にこの建物ができるとき、開館に際して何かイベントをしようとなって。
当時の愛知県庁の担当の方がすごく映画好きで、私が支配人を務める映画館シネマスコーレのイベントにも足を運んでくれました。「アジア文化交流祭」という海外から映画監督を日本に呼ぶイベントで、これもかなりの反響をいただいていたのですが、それを見た県庁の担当者が「映画は注目度が高い」と思われたようです。
渡辺:それで女性会館としてオープンする「ウィルあいち」のこけら落としでは、「国際女性映画祭」だと。
前身は「愛知県婦人センター」という名前だったのですが、「婦人」という言葉を使うのはやめよう、その呼び名を冠しておくのは時代にそぐわないという背景もありました。現在は「愛知県女性総合センター」が正式名称です。
ーー国内唯一の「女性映画祭」の発祥には、建物のコンセプトがまずあったのですね。
渡辺:一般のお客さまに対して、映画という身近で親しみやすい素材を通して、男女共同参画や女性の一層の活躍、ジェンダーについてなど、いろいろ考えていただくきっかけになればいいなという想いで、この映画祭が出発したという部分もあると思います。
ーーそれが今年で29年目。かなりの長期になりました。
木全:イベントの企画運営を大きな代理店に依頼するとかなりお金がかかってしまうので、運営はなるべく自分たちでやる。そうやって、とにかく良い映画を招待することに予算の多く割くようにしています。大変ではありますが、そういった工夫もこれまで続けることができた要因の一つだと思います。
1997年の第2回目には、メイベル・チャン監督の『宋家の三姉妹』を上映。日本での初公開は、実は「あいち国際女性映画祭」だったんですよ。配給権を買ったのは東宝東和さんでしたが、ベルリン国際映画祭で上映の交渉をしたこともあり、初公開についてはこの映画祭で行うことができまして。
上映時には、この建物を取り巻くほどお客さまがつめかけ、入りきれないぐらいの行列ができたんです。映画祭の力は驚くべきものだという認識が、この時決定的になったように思います。
木全:自治体では知事や担当者が変わることで、こういったイベントの方針が変わることもあります。しかし映画祭はたくさんの方に来ていただけるという強い印象を残したことで、これまで長く続けることができました。
ーー県の建物だからこその事情ですね。
木全:とはいえ、予算は当初よりだいぶ減少はしましたが、作品のクオリティは維持し続けられたと思います。毎年きちんと映画祭を開催し、そして作品のレベルも高いという部分は、一般のお客さまからは見えにくいかもしれませんが、努力しているポイントです。
権利意識の変化が映画祭に及ぼす影響はあるか
ーー十分とは言えないまでも、少しずつ権利意識は変化してきたように思います。
渡辺:ジェンダーギャップ指数で日本は低位にありますが、映画業界でも商業ベースに乗れるような女性監督の割合は12%しかないという調査があるんです。いま現在でですよ。この映画祭が始まった頃はもっと女性監督の数が少なくて、現在は徐々に増えてきていますが、それでも12%しかいない。
「あいち国際女性映画祭」では女性監督の作品を集めているので、今後は女性監督が商業ベースに乗っていけるような、そのような場を多く作っていきたいという思いもあります。
木全:日本の女性監督たちは、昔は岩波映画(産業映画やPR映画など、記録映画を数多く制作した岩波映画製作所)や理研映画(戦前~戦後、1970年の打ち切りまで多くの記録・教育映画を製作)などの、ドキュメンタリーの監督が多かった。ドラマを撮る人が少なかったんです。
河瀨直美監督は第1回目から「あいち国際女性映画祭」に参加してくださっているのですが、河瀨さんが先陣を切って日本の劇映画を作る中核を担ってきた印象を個人的には持っています。そしてそれまでのドキュメンタリーの監督たちと、新しい劇映画を撮る監督たちが入れ替わってくる。ちょうど2000年ぐらいを境に変わってきたように思います。
あとここ10年は非常に動画を撮りやすくなったので、インディペンデントでは女性の監督さんがすごく増えていますね。割と厚い層ができつつあるので、ある日ドーンと来る、そんな可能性は秘めてると思います。
実は映画祭の立ち上げ当初は、30年も経ったら「女性映画祭」の「女性」を取ってしまってもいいんじゃないかと、そんな風に言う人もいましたが、今になってますますこの名が重要になってきたと思います。女性が映画人として生活できる環境の実現のために、まだまだすべきことは多いです。
ーー東京国際映画祭でも、今年から女性監督の作品、あるいは女性の活躍をテーマとする作品に焦点をあてた、ウィメンズ・エンパワーメント部門が新設されました。
木全:やっと時代が来た気がします。今までそれほど注目されてたわけじゃないので嬉しいです。
今年の招待作品の見どころ
ーーこれまでにかなりの数の映画を観たのだと推察しますが…映画自体には何か変化はありましたか?
木全:日本で言えば劇映画を撮る女性監督が増えてきたという傾向があり、これは大きな特徴です。
外国映画はその時々の政治によって変わることも多く、共通した傾向というものはありません。例えば中国映画で言うと、市場経済の導入と共に男性の映画人に投資するようになり、国威発揚の映画が増えた。それまでたくさんいた女性監督たちはテレビドラマ業界に流れ、映画界はすこし寂しくなっています。
しかし今年の「あいち国際女性映画祭」では、とても良い作品をご紹介することができました。しかも中国と台湾の映画を同時にお見せできる、このことが特に素晴らしい。
木全:加えて、映画祭というのは「プレミア公開」、つまり作品を世界初公開できることがひとつの”格”に繋がります。ですので、今年は韓国作品、カン・ジヨン(知英)さん主演の『ジンセン・ボーイ』をここで最初に公開できたのは非常に意義があることだと思います。
渡辺:日本の作品では、社会問題、それからマイノリティの人たちに目線を向けた作品をたくさん選ぶことができました。
ーー楽しみです。映画祭では、サブスクに配信されていない、DVDなどもない、そういった作品をたくさん観ることができるので、本当にありがたいです。
木全:権利が買われなければ外国映画を観ることはできないので、映画祭だけで終わってしまいます。「あいち国際女性映画祭」でお届けするのはいずれも素晴らしい作品たちですが、残念ながらこの映画祭だけで終わってしまう可能性もあるのです。ここで終わってしまうのは非常にもったいない。
ーー「あいち国際女性映画祭」には短編映画のコンペティションもありますね。
渡辺:今年はイラン、スペイン、中国、韓国、ベトナムなど世界中からなんと500本近いご応募をいただきました。年々増加傾向にあるのですが、去年は400、今年は500と100本単位で増えてきているので、事務局としては嬉しい悲鳴です。映画祭は来年でついに30年。これだけ長くやっていると、だんだん認知度が上がってきているのを肌で感じます。
木全:始めるのはいいけど、やっぱり続けることが重要です。やり続けると勢いがついてくるし、来年はついに30周年ですから、また大きくやってみなさんに楽しんでいただきたいと、沸々とそんな雰囲気になりつつあります。
ーーありがとうございました。
映画祭誕生のきっかけにもなった「ウィルあいち」は、今年のあいち国際女性映画祭の終了翌日から、予定では来年の8月いっぱいまで長い改修工事の期間に入る。これも来年の映画祭に合わせたスケジュールなのだろう。
建物が新しくなり、30周年の節目に突入する映画祭。今からすでに来年の「あいち国際女性映画祭」が楽しみでならない。