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海外へ向けて説明したい『君たちはどう生きるか』のポイント

とあるご縁から、海外向けに『君たちはどう生きるか』の記事を書くことになった。バイリンガルの翻訳家と一緒に映画を鑑賞し、どんなポイントが海外の方にとって伝わりづらいかを話し合ったのだが、いつもと違う視点と考え方で、新鮮かつ非常に面白い。

そこで英語に翻訳される前の日本語記事(少し日本用に整えたもの)を下記に掲載してみた。日本人による日本の解説は「当たり前」と思われる部分もあるかもしれないが、本来は海外向けであるので広い心で読んでいただきたい。


▼ここから記事(翻訳前)

宮﨑駿監督の10年ぶりの新作『君たちはどう生きるか』(2023年)は、何度観てもよく分からない、それゆえに何度でも観たくなる不思議な魅力のある作品だ。本作は多くの日本人にとっても非常に難解だが、日本の文化に基づく背景をいくつか紐解けば、海外の人にとっては理解しやすくなるポイントがあるかもしれない。

この記事では、そんな日本独自の視点についていくつかご紹介していく。

まずは映画のタイトルに注目したい。英語版は、主人公の眞人とサギ男を指す「The Boy and Heron」というシンプルなものだが、日本語のタイトルは「君たちはどう生きるか」という問いかけになっているのだ。

この日本語のタイトルは、映画とも時代的に近い1937年に出版された日本の小説からつけられている。原作ではなく、あくまでタイトルのみの引用だ。児童文学者、反戦運動家でもある吉野源三郎によって書かれたこの小説は、中学校の国語の教科書にも掲載されているほど、日本国内では教育的な価値があることで知られている。

その内容は、主人公である中学生の少年が友人たちと学校生活を送る中で、様々なことを知り、経験し、そしてその話を聞いた叔父さんが、主人公に対して「ものの見方」や「社会の構造・関係性」といったテーマを教えるというもの。少年が叔父さんの助けを借りながら、様々な体験を通して成長していくという物語の大きな構造は、映画とも共通している。

映画の序盤、主人公の眞人が部屋で矢を手作りしている時に、机に積んであった本の山を崩してしまうシーンがある。眞人はその崩してしまった中から、生前の母親からのメッセージが書かれている本を見つける。表紙が日本語で書かれているため分かりづらいが、この本が小説の「君たちはどう生きるか」である。

宮﨑監督はタイトルを引用する以外にも、小説を映画に登場させることでリスペクトを示している。またこの問いかけこそが、監督から観客への重要なメッセージとなっているのであろう。

ちなみに、英語版タイトル「The Boy and Heron」の「Heron」は日本語でいうと「SAGI」と呼ばれる鳥である。この鳥を指す「SAGI」には同音異義語があり、人を騙して金品を奪う「詐欺」の意味もある。映画に登場するのはアオサギという種類で、日本国内に広く生息しており、田舎の方に出掛けると水辺でよく見かけるようなそこまで珍しい鳥ではない。

眞人は家の近くにある古い塔から「下の世界」へと行くが、その案内人を務めたのが、アオサギの中から出てきた中年男性の顔を持つ、いかにも胡散臭いサギ男である。物語の中盤には眞人とサギ男が、とある質問への答えで言い争いになるシーンがあるが、それはこんな内容だった。

「全てのアオサギは嘘をつくとアオサギが言う。これは嘘か本当か?」

これは同音異義語である「鷺」と「詐欺」をかけた言葉遊びであり、日本語の意味が分かっていると、より面白く感じられるシーンなのではないだろうか。

ここで『君たちはどう生きるか』の時代背景を整理しておきたい。

1944年、第二次世界大戦中のある日、映画は東京への空襲警報のサイレンによって幕を開ける。眞人の母親が入院している病院が火事となり、彼女はそこで帰らぬ人となってしまう。その後、眞人は叔母であり父の再婚相手でもあるナツコが住む家へと疎開した。

多くの国と同様、戦時中の日本にも疎開という風習があった。攻撃目標となりやすい都市に住む子供、老人、女性、そして攻撃目標となるような産業などを分散させ、田舎に避難させていたのだ。軍需工場を営む眞人の父が、一緒に田舎に疎開してきたのはこのためである。

また映画をご覧になった方の中には、眞人の父親が、妻を失ってからまだそこまで時間の経たないうちに、その妻の妹(ナツコ)と再婚し、さらに妊娠までさせていたことを奇妙に感じた人もいるのではないだろうか。

これは「順縁婚」と呼ばれる実際にあった風習である。妻が亡くなった後、夫が妻の姉妹と再婚するというものだ。古来からの日本の考え方である、家柄や家系を大切にするという価値観に大きく関係している。

順縁婚の主な目的は、結婚によって築かれた家族同士の関係性や資産の喪失を防ぐことである。現代の日本では、慣習としてはほとんど無くなっているが法律では禁止されていない。

眞人の両親のケースで考えてみよう。疎開してきたナツコの家には、広大な敷地と魚が何匹もいるような大きな池、立派な和風の屋敷に洋風の離れがある。さらには自転車で送迎をする車夫と、お屋敷には7人の小人ならぬ7人のお婆さんがおり、相当なお金持ちの家であることが分かる。

また父親も、当時ではまだ珍しい自動車を持っており、戦闘機の製造という軍需産業に携わっていて、眞人が同級生にいじめられた時には学校に寄付金を払うことでもう学校に通わなくて良いようにするなど、羽振りがとても良い。どちらの家も、戦時の日本においては、桁外れの財産を所有しているということが映画の描写から分かるのである。

このような良い家柄同士の結婚となると、火事によって亡くなってしまった眞人の母親側の家族としては、家系を存続させるためにこの縁を維持したい。そこで妹であるナツコと再婚してもらおうと考えたとしても、当時の日本の価値観では不自然なことではないのだ。

そしてこの順縁婚には、もう一つの可能性が考えられる。それは日本古来の神話をモチーフにしているのではないか、というものだ。

日本に現存する最も古い歴史書は、8世紀に作られた「古事記」と「日本書紀」だが、それらにはコノハナサクヤヒメという非常に美しいことで有名な女神が登場する。コノハナサクヤヒメは、姉と一緒に同じ男神に嫁ぐことになるが、最終的には自分だけが結婚し、燃える産屋の中で「火」と名の付く神を3人産むことになる。

同じ男性に嫁いだナツコと、火を操るヒミ。その共通点は多い。これまでにも『もののけ姫』(1997年)や『千と千尋の神隠し』(2001年)などで日本の神話を取り入れてきた宮﨑駿監督が、『君たちはどう生きるか』でも改めて神話に触れるというのは十分あり得る話だろう。

最後になるが、先述の通り邦題の『君たちはどう生きるか』は、宮﨑監督から観客への重要な問いかけとなっている。

宮﨑監督は本作の製作開始から間もなく、スタジオジブリ創設以前から苦楽を共にしてきた、恩師の高畑勲(『火垂るの墓』(1988年)『平成たぬき合戦ぽんぽこ』(1994年)などが代表作)を亡くしている。そのあまりの喪失感に、彼の死後しばらくの間は絵コンテの作成が止まってしまったほどだ。

長い苦悩の末、高畑をモデルにした大叔父というキャラを作品に登場させることで、宮﨑駿監督は自分の気持ちに整理をつけようとした。『君たちはどう生きるか』というタイトルは、監督自身にも問いかけているのである。

この映画は難解であるがゆえに、どう感じるかも人によって大きく変わるだろう。日本語に込められた「どう生きるか」という姿勢を、ぜひ各々でも感じみてほしい。

最後までお読みいただき本当にありがとうございます。面白い記事が書けるよう精進します。 最後まで読んだついでに「スキ」お願いします!