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新手のスパイドキュメンタリー『83歳のやさしいスパイ』

『スカーフェイス』のアル・パチーノの怪しげな笑顔を背景に、このドキュメンタリー映画は幕を開ける。一体どんな関係が…?この映画の舞台はチリで、『スカーフェイス』はマイアミだったはず。繋がりは分からないが、なんだか血と女と嘘にまみれた内容を思わせる始まり方だ。

しかし、この映画はそんな血なまぐさいスパイ映画ではなく、思わず緊張の糸が解けるというか、頬を緩めてしまうような、そんなドキュメンタリー映画である。(女と嘘にはまみれていたが…)

(C)2021 Dogwoof Ltd - All Rights Reserved


キッカケは新聞の求人広告

本作の主人公であるセルヒオさんは、つい数か月前に奥さんを亡くしてしまった83歳のおじいさん。ある日、新聞で「高齢男性1名募集、80~90歳のすでに仕事を引退した方、長期出張が可能で電子機器が扱える方」という探偵事務所の求人広告を発見する。

今どき新聞で求人?と思うかもしれないが、全く問題はない。なぜなら、今回募集をかけているのは80~90歳のおじいさんだからだ。チリの多くのご高齢の方は、まだまだ新聞をしっかり読み込んでいるらしく、求人欄にペンで丸印を書き込んだおじいさんが数多く面接に訪れている。

「妙な求人があるもんだ」「普通は、年齢を言ってしまうと途端に不採用になる」「家にWiFiならある、ただし使い方は分からないがな」などと面接に訪れたおじいさんたちは口にする。全員が80歳オーバーだし、その口ぶりからスマホを自在に扱うということも難しいだろうと想像できる。

ちなみに今年90歳になる私の祖母は、最近LINEを使えるようになり、同年代の友人たちから「凄い」と尊敬を集めているらしい。仕事中も構わずLINE通話がかかってくることはともかくとして、それだけ「スマホ操作」のハードルが高いということだ。

セルヒオさん(左)と雇い主の探偵(右)
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結局、冒頭で紹介したセルヒオさんが採用されることになった。


潜入先は老人ホーム

仕事内容は、老人ホームに一般の入居者として潜入し、実際に中で見た・聞いたことを探偵事務所に秘密裏に報告するというもの。

監視対象となるターゲットもいる。同じくホーム内に住んでいるソニアさんというおばあさんだ。詳しくは明かされないが、依頼人はソニアさんの娘ということらしい。

彼女曰く、ソニアさんが職員から虐待を受けているかもしれない、高価なネックレスも無くなっている、盗難にもあったかもしれない、というのだ。そこで、セルヒオさんが潜入捜査を行うことで、この老人ホームの実態について調査するのである。

スパイ活動を進めるにあたって、通話の際の暗号までしっかりと決められている上に、探偵事務所が用意した小型カメラ内蔵のペンやメガネもなかなかに本格的だ。

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しかし83歳のセルヒオさんはスマホの操作すらままならない状態だし、暗号も覚えられないし、なんならターゲットであるソニアさんの顔すら怪しい。潜入捜査が始まってすぐは、誰がソニアさんなのかを把握するところから始まる始末だ。同居人も当然、高齢の方ばかりなので、セルヒオさんがソニアさんと思しき人物を発見し、周囲に「あの人の名前は?」と聞いても「忘れた」という回答が返ってくる。もはや「ミッション: インポッシブル」だ。

「こんな状態で本当にスパイ活動ができるのだろうか?」と一般的なスパイ映画とは全く違うスリルと緊張感のなかで映画が進行していくのが面白い。


スパイ活動の裏で

このチリの老人ホームは、日本の施設と同様に男女比率が2:8ぐらいで圧倒的に女性が多い。そんな女性がほとんどという施設に、セルヒオさんという物腰がとても柔らかく、紳士で知的で、清潔感のある男性がやってきた。

潜入捜査であることはもちろん秘密にしているので、聞き込み調査で聞きに徹していると、女性たちからは「聞き上手」のイメージが醸成されていく。「聞き上手」は南米でも女性から好かれる要素の1つのようだ。

それに加えて、亡き妻一筋で未だに忘れられないというエイドリアンを亡くしたロッキーばりの一途な一面が垣間見えたことで、女性たちからのセルヒオさんの好感度が爆上がりしていく。

そうなると、どうなるか。

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セルヒオさんは施設の女性たちからモテまくるというジェームズ・ボンドみたいな展開になるのだ。このドキュメンタリー映画は、ここからが特に面白い。


セルヒオさんを囲む女性たち

詩を詠むのが得意なおばあさん
毎日18時に脱走しようとするおばあさん
セルヒオさんに恋して花占いまでしちゃうおばあさん

ほかにも色んなおばあさんが登場する。魅力的な方ばかりで、話を聞いているだけでとても楽しい。セルヒオさんはどんどん周囲からの信頼を集めて、次第にみんなの良き相談役になっていくのだが、そうして話を聞いていくうちに、任務とは別に思いもよらないことが浮き彫りになっていく。

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潜入捜査の甲斐あって、結果的に老人ホームに対しての疑惑については、一応の解決を見る。しかし個人的に今作の最も見所だと思うのは、セルヒオさんのドキドキスパイ活動ではなく、入居者へのヒアリング活動を通して見えてくる「高齢者がどんな境遇に置かれ、どんなことを考え、感じているか」というドキュメンタリー性だ。

これはセルヒオさんの元来持つ人間性が素晴らしいものだったために見えた偶然の副産物だろう。

そもそもこのドキュメンタリー映画は、監督の探偵事務所への取材のなかで「こういう依頼ありましたよ」「それは面白そうだ」というやり取りからたまたま始まったものらしい。なので、計算されてない行き当たりバッタリな企画と、セルヒオさんの人の良さが上手く化学反応を起こした形だ。

結果的に、映画自体もかなり高い評価を受けて、2021年のアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞にもノミネートされている。

人形劇の『オオカミの家』や、独裁者ピノチェトを描いたNetflixの『伯爵』など、チリの映画が最近注目を集めることも増えたが、コロニア・ディグニダなどの暗めのテーマを持った映画が多かったので、こういった「やさしい」チリ映画にもぜひ注目していただきたい。


▼Amazon Prime視聴はこちらから
83歳のやさしいスパイ

▼公式サイト


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芦田央(DJ GANDHI)
最後までお読みいただき本当にありがとうございます。面白い記事が書けるよう精進します。 最後まで読んだついでに「スキ」お願いします!