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”インティマシーコーディネーター”についてあらてめて学ぶ

俳優が監督にインティマシーコーディネーターの手配を依頼したにもかかわらず、結局導入されなかったことで非難が集中するという一件があった。

その存在や業務内容について、なんとなくは知られているインティマシーコーディネーター。きっかけは非常に残念なものであるが、この機会にもっとよく知っておこうと思った方も多いのではないだろうか。筆者もその1人である。

そこで2024年7月現在、日本には数名しかいないというインティマシーコーディネーターの1人、西山ももこ氏の書籍を拝読。その内容についてや、調べてみた海外事情などについてをご紹介したい。

インティマシーコーディネーター(以下:IC)とは、どんな職業か。この本から言葉を借りると、下記の通り。

インティマシーコーディネーターとは、映画やドラマなどの制作現場において、性的描写やヌードなど体の露出があるシーンの撮影をめぐって、俳優の同意のもと、安心して演じられる環境を整え、それと同時に監督など制作サイドの演出を最大限実現できるようにサポートする職業です。

『インティマシー・コーディネーター 正義の味方じゃないけれど』より

興味深かったのは、「俳優のため」の存在と思われがちだが、それだけではなく「作品のため」にいるという観点だ。確かに、ICを雇っているのは俳優ではなく制作サイドという大前提もあるだろう。

次に、ICの仕事の流れを見ていきたい。西山氏の本ではかなり詳しく解説されているのと、実際の業務の中で「どんなポイントに気をつけているか」も、とても丁寧に記されている。あわせて読むことをおすすめしたい。

海外メディアに掲載された西山氏の記事より
TAIPEI TIMES「Japan’s ‘intimacy coordinators’
Photo: AFP

まず行うのは「台本を読むこと」だそうだ。一部だけでなく、全体を通して読むことで「ICが必要なシーンはどこか」を把握。該当シーンにおいて、どのような演出イメージを持っているのか監督やプロデューサーに確認をし、着衣なのか、露出があるのであればどこまで見せることを想定しているのかなど、細かい部分を確認する。演じる俳優に詳細を伝えるためである。

俳優には概要を伝えるとともに、「どう思うか」「演じることに抵抗があるかどうか」のヒアリング。「できるかどうか」よりも「やりたいかどうか」を重要視していると西山氏は話す。

このタイミングでNG事項なども確認しておき、お相手がいるシーンの場合は、そのNG事項をお互いに共有しておく。監督、プロデューサーなど制作サイドへのフィードバックの際には、NGを伝えるだけではなく、これはOKといったような代案を掲げて調整を図っていく。

西山氏が用意している様々な肌の色合いを想定した下着
TAIPEI TIMES「Japan’s ‘intimacy coordinators’」より
Photo: AFP

監督や俳優と方向性についての話ができたら、どのタイプの下着が良いか、どのタイプの前貼り(前貼りについては俳優の同意をまず得る)が良いのかなど、撮影にあたって準備に入るのが次の段階である。

「前貼り」とは、股間に貼り付けて性器を覆い隠す物体の総称で、パンツなどと比べても隠す面積は狭い。主な使用目的については、Wikipediaが分かりやすいので下記に転載した。

前貼りの使用目的
(俳優にとっての主目的)
・役者の性器を相手役者や現場スタッフの目から隠す

(撮影上の主目的)
・性器がフィルムに写りこむことを未然に防ぐ

・俳優による偶然または故意の挿入を防ぐ・挿入を拒否する意思の表示
・役者の性器の状態変化を隠し、両者の動揺による心理面への影響を抑える

Wikipedia「前貼り」より抜粋

リハーサルや本番撮影時にはあらためて、俳優へ事前に確認した内容で最終的に問題がないかどうかを確認することが重要だそうだ。打ち合わせ時にはOKを出していても、気持ちが変わるということもあり得るからだ。各所で非常に繊細なコミュニケーションが求められる。

また撮影の際には、制作サイドに人数を最小限に抑えるよう依頼(”クローズドセット”と呼ばれる)。俳優への心理的負担を少しでも減らすためである。筆者が「難しそう」と感じたのは、必要な人にはちゃんと残ってもらわなければいけないという点。必要な人が抜けて、余分にテイク数が重なるようなことがあると、俳優には逆に負担がかかってしまう。

インティマシーコーディネーターは、本当に一つ一つ慎重にクリアしなければならない仕事なのだと痛感する。

少し意外だったのは、俳優や監督との調整だけではなくて、メイク・衣裳部門とのやり取りも必要になるということだ(言われてみると「そりゃそうだ」と思うものの)。

ICが導入される前までは、日本ではメイク部、アメリカでは衣装部が前貼りなどを用意していた。ICのいる現場ではICに用意してもらうというケースが増えてきたことで、メイクや衣装部門など、本来の業務以外での作業負担が軽減。これもIC導入の意義の一つに数えられるだろう。

Women's Center at UMBC
“No Surprises”: Intimacy Coordinators on Film and Theater Sets, and What They Mean For All of Us

そもそもインティマシーコーディネーターという職業ができたきっかけは、ある俳優が性描写の多いシリーズに出演するにあたって、「こういう立場の人を現場に入れてほしい」という申し入れだったと言われている。

こうした要望があった中で2017年頃より#Metoo運動が起こり、映像業界における女性の権利運動と共に広がっていった。

▼#Metoo運動 参考映画

日本でも少しずつ広がりを見せているICだが、今後の発展において、日本の制作現場における予算の少なさが障壁になり得ると西山氏は指摘する。

前提として、どの現場も資金が潤沢にあるわけではない。そして新たにICを導入する場合、シンプルに今までかからなかった費用が掛かるということを意味する。それでもICを導入する作品が増えていることは非常に良い傾向である(日本特有の「あの会社も入れてるからウチも入れなきゃという、同調圧力がかかっているだけの可能性もある」とのことだが)。

Unsplash/ KAL VISUALS
VARIETY Autstralia
Sex on Screens: Why You Need an Intimacy Coordinator

冒頭触れた、ICを導入しなかった映画の現場については、監督は次のように主張している。

「女性として傷つく部分があったら、すぐに言って欲しいとお願いしましたし、描写にも細かく提案させてもらいました。」

しかし女性の俳優から男性の監督には、「性別」および「俳優と監督という立場」の2つの観点で、なかなか言い出すことは難しいということに、監督が無自覚だった可能性がある。筆者が度々参考にしている『差別はたいてい悪意のない人がする』という書籍には、こんな記述がある。

自分が特権を有することに気づく確実なきっかけは、その特権が危うくなる経験をした時である。もはや自分がマジョリティではない状況になり、以前とは違って不便になった時にはじめて、それまでに享受していた特権をようやく発見できるのだ。(中略)しかし性別のように、なかなか逆の立場を経験しにくい条件の場合、一生その特権には気づけないかもしれない。

『差別はたいてい悪意のない人がする』
(大月書店:キム・ジヘ著)より

なかなか気付きにくいということで監督を擁護するつもりはないが、特に忖度の起こりやすい日本の撮影現場で権利を守るためには、「言うべきことを言う」存在が必要だ。監督は俳優に言いやすい環境を作ったつもりでも、結果的に俳優が言いにくいのであればなんの意味もない。

そのためにも、やはりインティマシーコーディネーターは必要だろう。もちろん、最適な環境作りをすべてIC頼みにしてしまうのではなく、制作に関わる全員のリテラシーのアップデートが重要である。

ヨルゴス・ランティモス監督も
『哀れなるものたち』で初めてICを導入
photo by ATSUSHI NISHIJIMA
VANITY FAIR「How Poor Things’ Intimacy Coordinator Made All Those Sex Scenes Possible

日本よりもICが浸透している海外の実情はどうなのだろうか。いくつかの記事に目を通し、気になったものをかんたんにご紹介したい。

まずはCINTIMAというSAG-AFTRA(アメリカの映画俳優組合)公認の、インティマシーコーディネーター教育プログラムを提供している団体のブログ記事から。面白いと思ったのは、その考え方だ。

Intimacy Coordinators are artists and storytellers, and choreography is a privilege that allows us to resonate with an audience by shaping and sculpting bodies around the camera lens to create visual poetry.

インティマシーコーディネーターはアーティストで、ストーリーテラーであり、振付はカメラのレンズの周りで、身体を形作り彫刻することによって視覚的な詩を想像し、観客の心に響かせる特権だ。

西山氏は本の中で「ICは撮影が安全になされるために存在する調整役に過ぎない」と語っているが、この書き手は調整役にとどまらず、インティマシーコーディネーターの個人的な人生経験が、シーンに命を吹き込む最も強力なツールになるかもしれないと考えている。

これはアメリカでも、まだメジャーな考え方ではないかもしれないが、個性を発揮したいICが今後出てきてもおかしくはない。

もう一つ気になったのは、ジェナ・オルテガとマーティン・フリーマン主演『ミラーズ・ガール / Miller’s Girl』の現場で起きたことについてである。

この作品にICとして参加したKristina Arionaは、製作会社であるライオンズゲートとNDA(秘密保持契約)を締結したにもかかわらず、俳優がどのようにセックスシーンに関わったかをタブロイド紙に話してしまったのだ。

これによってICについてのルールは強化され、基準を守らないICについてはSAG-AFTRA(アメリカの映画俳優組合)の登録から削除される可能性もある。

このNDA違反は、さすがに個人のモラルの問題だろう。しかし今後、公認のプログラムを履修していない”なんちゃってIC”が需要の高まりを受け、いわば無免許のような状態で現場に入るようなことが横行すると、日本でも起きる可能性はゼロではない。

そういった未来を危惧してか、先駆者である西山ももこ氏や、彼女と同じIntimacy Professionals Association(IPA)で養成プログラムを修了した浅田智穂氏などは、すでに次なるICの養成に動き出している。




インティマシーコーディネーターは、業界への浸透度や権利意識の変化によってどんどん進化していく分野だ。

今回この記事を書いたのは冒頭触れた問題で注目を集めたからだが、いまの時点での自分と世間の価値観を記録しておきたかったからでもある。数年後に見直して「この時はまだ古い価値観だ」と言える世の中になっていてほしいし、そうなるように少しでも尽力できたらと思う。

最後までお読みいただき本当にありがとうございます。面白い記事が書けるよう精進します。 最後まで読んだついでに「スキ」お願いします!