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擦り傷のブルース

専門学校へ入学したばかりの頃、自分の前の席にいたAさんという女子と仲良くなる。
僕もAさんも極度の人見知りで、消え入るような声でぼそぼそと喋る、陰気な性格。似通った人格を持つ二人が自然と集まっただけだが、Aさんと過ごす時間は気分転換になった。
お互いに特別な感情はなかったが、クラスメイトからは好奇な目で見られる。孤立するよりはマシだと思っていたが、異性という関係が想像以上に僕たちを目立たせた。それでも僕たちは周囲の目を気にせず、何気ない会話を交わし、何気ない時間を過ごした。

二年生に進級し、席替えが行われた。
Aさんとは席が離れ、少しずつ会話も減っていった。お互いに消極的な性格もあり、妙な間や距離に弱く、自然に接することができない。学校から駅まで向かう途中で、偶然会った時にしか話さなくなる。そしてその機会すらもなくなり、親交は途絶えた。

気がつくと、Aさんはクラスの中心人物になっていた。消え入るような声でぼそぼそと喋る彼女の姿は、もうそこにはない。
聞いたことのないAさんの甲高い声が、連日教室に響く。超ネガティヴ思考のエネルギーを、笑いに昇華させたのだ。クラスのみんながAさんのポテンシャルに圧倒され、放つ言葉に魅了された。
僕はAさんほどの存在感はなかったが、同時期に気兼ねなく付き合える友人に出会う。Aさんとは疎遠になったが、お互いに孤立することなくクラス内で居場所を見つける。

平穏に月日は流れ、何事もなく卒業を迎えた。
最後のホームルーム。
Aさんが、クラスメイトに対する鬱憤を爆発させる。僕との関係を揶揄されたことに対する怒りだ。
昼食の時間を一緒に過ごしていた時のことや、駅まで一緒に帰っていた時のこと。決定的な動機は、研修旅行での出来事だ。研修では自由時間があり、そのほとんどの時間を僕はAさんと行動していた。自由時間に飽きたクラスメイトの数名が僕たちを尾行し、面白がった。その時に味わった屈辱をホームルームでぶち撒けたのだ。
自分みたいな日陰者と噂になってしまった苦痛なのか、それとも尾行に対する苦痛なのか。Aさんの中で、比重はどちらに傾いているのだろう。展開によっては、流れ弾で僕が重傷を負う可能性がある。そんなことばかりを考えていたが、真相を探れる空気ではなかった。
僕に対する怒りでないのは、Aさんの視線や態度で感じ取れた。でも、関わっているといえば、関わっている。
僕たちを尾行して楽しんでいた数名が、顔面蒼白でうつむいていた。実名は出なかったが、怒りの対象はそのひとたちだろう。
一緒にいる男女を見て、騒ぎ立てる気持ちも理解できる。限度はあるが、自然な現象である。
僕とのことは一年生の時の話だし、むしろ疎遠になってからの方が学校生活を楽しんでいるように見えた。僕たちを尾行していたクラスメイトとも打ち解け、仲良くしていたはずだ。
衝撃的な告白だった。影で嘲笑されていたAさんの根深い恨み。男女の存在に過剰に反応するクラスメイトの軽い気持ち。どちらにも共感できる。
Aさんはクラスメイト全員に対し、絶縁を宣言した。教室から去るAさんの後ろ姿にただならぬ気迫を感じた。
この場合、僕の立場はどうなるのだろうか。

隣にいた友人が、慰めるように僕の肩を二回叩いた。
この場合、僕の立場はどうなるのだろうか。
リフレインされるこの微妙な気持ちの揺れを、どうにかして欲しい。致命傷ではないが、擦り傷を負っている。
なぐさめなんて、いらねえわ。
浅い傷口から、じわじわと血が滲んだ。

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