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断酒の先にあるもの

アルコール依存症者(以下、アル症者)の生存率
(見方を変えれば死亡率)には諸説ある。

例えば「5年生存率6~7割」という説もあれば、
「10年で6割」という説もある。
ウィキペディアには「10年6割」と書いてあったし、
「毎日かあさん」の西原理恵子さんは「生還(生存ではなく)2割」
と言っているようだ。

統計上の母数をどう取るか、死亡原因をアルコール依存症とする
場合の要件をどのように定義するか、など、元となるデータをどう
設定するかで数字は大きくも小さくもなる。
どっちでもよろしい。

要は、それだけ深刻な病気なのだということと、
且つ、でも絶望するほどでもない、ということが
患者本人とそれを支える人たちに伝われば良いと私は思う。


アル症者が死なない方法は一つだけだ。もう酒を飲まないこと(*1)。

大切な人たちから見放されて、自分が誰かも分からなくなって、
死んだらみんながホッとする。

葬式なんか出してもらえない。やっても誰も来ない。
そんな地獄のど真ん中で死にたくなければ、もう酒は飲まないことだ。

とても辛い禁断症状が無くなって、酒抜きの生活にある程度
慣れてくると、今度は「飲まないだけでいいのか?」と思うように
なる(というか、「飲まないだけ」という日常に物足りなさを感じる
ようになる)。


そもそも自分は何故アルコール依存症になるまで酒を必要としたのか?

大抵のアル症者にとって酒は「逃げ道」だ。
自分の弱点や欠点から目をそらしたり、そんな自分を正当化したり
するために酒は非常に手軽で安易な方法だった。
だから依存した。

酒をやめたアル症者には、もうその逃げ道は存在しない。
だとすると選択肢は2つ。

別の逃げ道を探すか。
あるいは弱点・欠点を受け入れて「逃げない生き方」をするか。


前者は別の依存に簡単にスライドする。
ギャンブルだったり、セックスだったり、薬だったり。

仕事だったり、宗教だったりもするので、やっかいなことも多い。

「依存する」というのは「それなしには生きられない」ということ
なので、いずれにしても生きるのはとても大変だ。

後者はちょっと奥が深い。
弱点・欠点を「克服する」のではなく「受け入れる」のだ。
もちろん、「受け入れ」た後に少しずつ「克服」できれば
いいのだが、息の長い作業だ。

酒を手放したアル症者の中には、「人間としてとても魅力のある人」
がいる。
そのへんの「偉い人」が軽く見えるくらい「人として深みのある」人。
息の長い作業をしてきて、それを続けている人だ。
そういう人たちに共通しているのは「謙虚さ」。

謙虚になりたい。心の底から、自分もそう思う。

(*1)最近は飲酒量低減薬「セリンクロ錠10mg」という薬が承認された。最終的な治療目標は原則的に断酒の達成とその継続であり、飲酒量低減は
断酒に導くための中間的ステップと位置づけられているものの、
断酒できない患者にとっては「節酒薬」として使用されているのでは
ないかとも思われる(あくまでも私の想像です。仮に私が専門医療につながったばかりの患者なら、この薬での節酒に真っ先にトライするだろうから)
現在の私自身はせっかく断酒が続いており、併発している双極性障害への
影響も分からないので、あえて試したいとは思わない。

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