見出し画像

地獄また地獄

20代の頃、私はよく山に登っていた。
一人で登るのもいいが、仲間がいるのもいいかもしれない。
そんな軽い気持ちで都内のある社会人山岳会に入った。

山岳会では、2週に1度、平日の夜に例会があり、山行計画の
検討、山行報告の質疑などが行われていたが、私の楽しみは
例会後の酒盛りであった。

いつもの安居酒屋、ビールは乾杯の一杯目という決まりで、
そのあとはアルコールの味しかしない焼酎のボトルが
ひたすら空いていく…そんな飲み会であった。

当時の私にとってこれは「天国」だった。
どれだけ飲んでも、自分以上に飲んでいる「仲間」がいるのだ。

やがて僕はうつ(今から思えばアルコール性うつ)になって、
そんな「天国」のような飲み会にも出られなくなった。

仕事を休職・自宅療養となった私は、朝から延々と飲み続けた。
給料はまだ半額は支給されていたので、「自分の金で自宅療養して
何が悪い?」と、完全に開き直っていた。

心の中は孤独と恨みと自己憐憫でいっぱいだった。
家のものを叩き壊し、幻覚に泣き叫んだ。これが数週間続く。
そして、その数週間は、本人の体力が続く限り、何度も何度でも
続くのだ。

そんなに辛いなら飲むのをやめればいい。

酒と酒の間の、ほんの少しの時間に思う。その通りだ。
そうしよう。この焼酎を飲んだらそうしよう。

それから間もなく、僕はアルコール依存症と診断され、断酒の
自助グループにつながった。
自助グループの仲間に支えられて、断酒に取り組みながら、
何度も何度も失敗(再飲酒)した。

理由はいろいろあったが、今から思えば、「あの地獄」を
もう一度覗いてみたかったのだと思う。
依存症の最も恐ろしいところはこれなんじゃないだろうか?
その先が「地獄」だと知りながら、そこに吸い寄せられる。
意志の力で踏みとどまるのは極めて難しい。
そして多分、それはこれからも続くのだ。

ここまで考えると、現在飲んでいない自分が本当に不思議である。
「もう一度あの地獄に」という思いは、頻度は落ちたものの、
今でも時々私を襲う。
それでもこうして飲まずにいられるのは、同病の仲間達の支え、
理解ある家族の支え、「それでも友達だ」と言ってくれる友人達の
支えのおかげだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?