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140 敬老の日

はじめに

今日の教育コラムは、9月18日ということで、敬老の日にちなんだお話を少ししてみたいと思います。
ちなみに敬老の日の起源は、正確にはわかっていません。しかし、有力な説が2つあります。まずはそこからお話をしてみたいと思います。

聖徳太子

1つは、聖徳太子が現在の大阪市に悲田院(ひでんいん)という身よりのない老人や病人、貧しい人たち救うための施設を開いた日にちなんで制定されたという説です。悲田院は、平城京にも設けられていました。
こうした宗教施設が支援事業をするようになった史実は、歴史的に見ても古くからあり、各地に悲田院と同じような機能を果たした寺院が存在します。

門脇政夫 村長

もう1つの説が、1947年のことです。兵庫県多可町の門脇政夫村長が「としよりの日」というものを定め、現在の敬老の日の原型をつくったとされています。
この考えのもとには、お年寄りの知恵を借りて村を作っていくというものがありました。1947年から農閑期に当り気候も良い9月中旬の15日を「としよりの日」と定め、敬老会を開くようになりました。
これが1950年からは兵庫県全体で行われるようになり、1954年には国民の祝日として制定され、全国で祝うようになりました。
後に、「としより」という呼び方については様々な意見が出て、「老人の日」になり、その後「敬老の日」という名前になりました。

高齢者の増加

2014年の0~14歳の人口比率は約13%でした。人口推計は予想できる未来の中でもかなり正しく予測できるものです。2014年から約10年間の人口推計は、予想通りの推移を示していることからも、この先に異次元の少子化対策がよっぽどうまくいき出生率が2%を超えた場合は、いい意味でこの予想が裏切られます。
人口問題研究所の中位推計では、現在のまま進んでいけば2060年には14歳以下の人口比率は9.1%まで低下し、その後も同程度の水準で推移し続けることが見込まれています。高齢化率(65歳以上)は現在は、約26%ですが、このままの推移が続けば、2060年には約40%になります。
その後も増加を続けていきますので、敬老の日には、子どもがたくさんのおじいちゃんやおばあちゃんに手紙を何枚も書くような時代が来るはずです。

どこからが敬老?

総人口に占める高齢者人口の割合の推移をみると、1950年の時点では、約5%でした。1985年には10%を超え、2005年には2倍の20%を超えました。2020年は約30%となり、そしてもうすぐ40%です。敬老の日が、国民の約半数近い人に感謝を述べる日になるかもしれません。
「どこからが【老】なのか?」という問いは、若者が多くの高齢者を支える年金制度や社会福祉の在り方に関わるものかもしれません。若い人に負担をかけたくないと考える高齢者も増えてくるため、現役世代の時に自分の生活を確かにする方策をとるようになるか、現役期間を延ばして働き続けるようになるわけです。
すると年金の支給開始年齢が引きあがることが論じられるようになります。今日の日本では、政府が国民に対して個人個人で貯金よりも投資を行い、将来のお金を備えるようにすすめるありさまです。

未来へ

将来に対する不安は何も大人だけではなく、子どもにも広がっています。まさに価値観の変化を迫られている今日において、「敬老の日」という考え方自体が変わりつつあるのかもしれません。
年齢によって分断するのではなく、様々な立場や年齢を乗り越えてもう少し先の未来を楽しいものにしていくための社会づくりのできる子どもたちを育てていくための教育を考える必要が、私たちにはあるのかもしれません。

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