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193 役人の心構え

はじめに

財務省とは何かと聞かれたら、それはとても一言では説明できないほどに大変に多くの行政に関わる仕事をしている省庁の一つです。
例えば、国のお金を扱うという仕事がありますが、この場合お金とは税金を意味します。税金は国民の生活を安定させるために使われるもので、そのために必要なお金を集めてその使いみちを計画したりするのも財務省の役割です。
また、税金の仕組みについて国会で議論するための案を作成することをしています。さらに、国が保有する土地や建物を管理する仕事や、国と国の経済の結びつきを強めていくための協力体制を構築したり、世界各国との貿易協定などのルールを決めたりもします。
このように財務省とは大変に大きな権限を有している中央省庁だということがわかります。
さて、この財務省の副大臣が税金の滞納を繰り返していたというスキャンダルが浮上しています。

事件

この副大臣は、税理士という税のスペシャリストであります。そのため副大臣の職務に適した人材だと判断されたのかもしれません。
しかし、国会で話題になっているのは、この副大臣が代表取締役をする会社が納税の義務を怠り、4度にわたり差し押さえを受ける等、納税の義務を果たしてこなかったことが話題になっています。
この問題について自身も認めており、議員としての職務が多忙のためこうした納税の義務を果たせなかったということでした。

責任ある行動を示す

国会議員であると同時に副大臣というものは、ある種の役人の一人であると言えます。こうした権力をもつものがその権力の源泉である法律により定める立場をわきまえた行動をとらないとき、国民の心は国家のありようから離れていくものです。
それは、不道徳な不誠実な姿に嫌悪感を多くの国民が持つためです。そうした現象が国全体に広がっていた時代は、実は日本の歴史には数多くあるのです。中でも国を挙げて憲法を定めなければならないほどに役人の務めが乱れていた時代として有名なのが「飛鳥時代」です。

十七条の憲法

十七条の憲法とは、憲法という言葉を用いていますが、今日のように国の在り方を定めたものではありません。むしろ貴族や官僚、豪族達の行動規範を示したものと言えます。理想の国家を作るためには、どうしても理想の役人の心構えを説く必要があったのです。言い換えれば、理想的ではなかった役人たちに心や考えを改めさせる必要があったとも言えます。
もしも理想的だったとしたら、役人の心構えをこうまでして大々的に示す必要はなかったのでしょう。聖徳太子の苦労がここからも容易に想像できるわけです。能力のある正しい規範意識に基づく行動のとれる優秀な人材を冠位十二階で集め、そして、そうした人材を中心に不誠実なものを正していくという過程の中で、仏教を取り入れ国家の礎を築いていったわけです。

公地公民から五か条の御誓文へ

十七条の憲法の第12条に注目すべき一文があります。
「地方の役人は、勝手に税を取り立ててはいけない。なぜなら、国民を治めるのは大王しかいないのだから」という一文です。
この考え方は「大化の改新」の重要な政治方針となる「公地公民」の考え方につながります。公地公民とは、すべての土地と人民は天皇が所有するという考え方です。
聖徳太子は、天皇を中心とした国家でありながらも、多くの人が話し合って物事を決めていく国を作ろうとしていました。その時に多くの人々が、規範意識のない役人を目にすることは、国家への信頼を著しく失い、まともな話し合いなど成立しないことを知っていたのです。
また、この12条の条文は、後の明治維新にも受け継がれていきます。その様子は「五箇条の御誓文」の内容に見られます。
五か条の御誓文は明治元年、1868年に発布された明治新政府の基本方針です。この中に「会議を開いて広く意見を聞く」という基本方針が書かれています。これは、まさに17条の憲法の意志を受け継いでいるものなのです。
いつの時代も、役人は大きな権限を手にしています。だからこそ謙虚にそして誠実な行動と判断を求められるのです。
財務副大臣の今回のふるまいは、納税者に対して、役人としての心構えを示す上でどれほど不適切なものであるかを考えていくとよくわかると思います。自らがどんな立場であるかを考えて行動すること、権限を持つ者であるからこそ誠心誠意向き合っていくべきであるということがいかに大切であるかを感じさせられる一件と言えるでしょう。

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