119 畏敬の念
はじめに
夏休みが明けて、学校生活が再開されました。夏休みということでゆったり過ごしていた子どもたちも多かったようで少し疲れ気味の様子も見受けられます。
秋になると学校では、教育週間や特別活動や行事など気候の良さを活かして様々な取り組みが展開されます。そのような教育活動の一つに、専門家と学ぶ取り組みが実施されることがありますが、皆さんの学校ではいかがでしょうか。専門家から学ぶ取り組みといっても様々で博物館の学芸員の方だったり、起業家の方だったりします。
こうした取り組みの大切さには次のようなものがあります。
①本物に触れること
②普段の授業の枠組みを超えること
③社会とのつながりを強めること
この3つがそれぞれの学習目標とは別に得られる学びとなるわけです。それだけに、教室の中だけの授業では味わえないようなワクワクするような学びが体感できるのです。
もう一つの要素
そして、もう一つ大切な内面的な育ちとして「畏敬の念をもつ」という効果があると考えられます。
「畏敬の念をもつ」とは、何を意味しているのでしょうか。この言葉の意味を調べると「畏れ(おそれ)て敬う心情のこと」と辞書などでは説明されています。「畏れる」はつつしみをもって相対する心情のことを意味します。怖がるというような「恐れ」とは別の次元の意味合いです。
日本人は、漢字を分け「畏れ」という言葉を主に神仏などに対して用いてきました。普段の学習の枠組みや内容を超えた社会(世の中)にあふれる多くの魅力ある学びは、その価値に触れたものに畏敬の念を抱かせます。簡単に言うと「すごいな!」「不思議だな!」「鳥肌が立つ!」などといった感想をもったとしたらこれは、畏敬の念を抱いたに違いありません。
学びたいと思ったことへの感情
学んでみたいと思ったことを選び、その講座のもつ魅力を楽しむという行為は、高度な学びの営みなのです。遊んでいるか学んでいるか、それともその両者が無意識的に共存しているかは、いかにその学びや内容に対して「畏敬の念」をもてるかにかかってきます。これは、中学・高校・大学、そして、生涯にわたる学びにつながる大切な、心の内にあるべき「学びの心得」だといえます。
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