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231 東京駅


はじめに

今日、12月18日は「東京駅の日」として有名です。
今から109年前の1914年(大正3年)の12月18日に東京駅の完成式が行われました。今日の教育コラムでは、東京駅の完成した日にちなんで少し、関連情報をお伝えしたいと思います。

2024年から新しい紙幣へ

2014年は、東京駅開業100周年を迎えた年でした。当時、開業100周年を迎えたことを記念してJR東日本から記念Suicaが発売されました。
限定、1万5000枚の予定でしたが、希望する人が殺到し、実際には、販売総数は約430万枚になったほどでした。鉄道ファンのみならず、多くの人に愛される東京駅ですが、実はこれまで紙幣のデザインに用いられてきたことはありません。
そんな鉄道のデザインが、2024年(令和6年)に新たに発行される紙幣に採用されます。新しい一万円札の表面には、渋沢栄一先生が印刷されます。その裏面には、丸の内駅舎が描かれています。
来年度入学の皆さんの入試には、新しい紙幣の話題が出題されるのではないかという予想も聞かれます。そんなときですから、少し、一万円の裏面に描かれる東京駅について歴史的に見ておくことにします。

東京駅の歴史

1889年(明治22年)に決定された鉄道建築の計画がありました。それが、新橋駅と上野駅を高架鉄道で結び、その中央に中央停車場を建設するというものでした。
建設は、日露戦争などで中断される時期を経て、1908年(明治41年)に工事が再開されます。約7年の歳月と当時の金額で280万円という費用をかけて完成しました。その駅舎こそが「東京駅」だったわけです。
東京駅は、江戸時代からの繁華街であった京橋付近ではなく、建設当時はまだ野原であった丸の内に建設されました。完成式が行われた2日後の1914年12月20日に開業し、東海道本線の起点が新橋駅から移されました。

辰野金吾

赤レンガ造りの丸の内口駅舎は建築家は、辰野金吾さんの設計です。近年、赤レンガの丸の内駅舎を創建当初の本来の姿に近い形態に復元する工事が行われました。2007年から5年間をかけて行われた工事ですが、2012年に完成したときには、多くの人がその姿に感動しました。
辰野金吾さんの設計した建築物は、いまも各地に残されていますが、その中でも、東京駅や日本銀行本店などは代表的な物です。
2019年は、没後100年を迎えた年でした。明治から大正時代は、日本が急速に西洋化していった頃でした。辰野金吾が設計した近代的な建築は、新時代を象徴する、人々の希望そのものでした。
近代建築の父それこそが辰野金吾なわけです。ふと考えると、新札の一万円札の表面が「近代経済の父である渋沢栄一」そして裏面が「近代建築の父である辰野金吾の代表作である東京駅」というのも素晴らしい組み合わせではないでしょうか。

【現存する辰野金吾の建築物】
辰野金吾は、現在の東京大学工学部の第一期生として建築家を志しました。現在もその建築物を目にすることができるものを7つ次に紹介します。
1 東京駅
2 日本銀行本店本館
3 南天苑
4 日本銀行旧小樽支店金融資料館
5 大阪市中央公会堂
6 西日本工業倶楽部会館(旧松本邸)
7 旧唐津銀行本店 辰野金吾記念館

興味のある方は、見たり触れたりすることが多いものばかりですので是非機会があれば、辰野金吾の世界を体感してもらえたらと思います。

2024年という年は、暦の上でも閏年ですし、新しい紙幣が出たり、オリンピックイヤーだったりと様々な出来事があります。来年から新しい環境で学ぶ皆さんにとっては、大変楽しみな年でもあるわけです。
今年の入試は、そうした意味でも2024年という数字が何かしらの問題と関連してくるのかもしれません。

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