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391 運動会

はじめに

スクールを訪れた子どもたちが、昨日が運動会だったらしく楽しそうに報告してくれました。
かけっこで1位だった、玉入れで勝った、綱引きで負けたなどと頑張って取り組んだ種目の様子を自慢げに誇らしげに話す様子はとても素敵でした。
そんなやりとりをしていたら、ふと20年ほど前のある運動会での出来事を思い出してしまいました。

クラス対抗リレー

私のクラスには、普段は車いすは使いませんが校外学習や長時間の移動が伴う活動や立っている状態が続くような場合には車いすを使うようにしている子がいました。
骨がもろく、転んだりしてしまうと大きなけがにつながってしまう病気でした。勉強もよく頑張り、成績も優秀だったその子は運動もできるものはゆっくりと安全に友だちとぶつからない程度に頑張っていました。
しかし、運動会では一生懸命になる子どもたちの中では、どんなに気を付けていても衝突や転倒が予想されるため、様々な工夫をして競技の外側でアナウンスや応援をするようにして取り組みました。
本人も自分にやれることを一生懸命にやるという方向で頑張ることを大切にしたいと考えてくれていましたので、とても充実したものとなりました。みんなの競技を盛り上げるアナウンスを考えたり、運動会で使うクラスカラーの鉢巻きを40本も手縫いでつくって配ったりと私は、当時自分の教師としての力なんて友だち同士のつながりの前では本当に小さなものであるということを痛いほど感じたものでした。
クラスメイトもそんな取り組みを応援していたことは分かっていましたが、私は、運動会当日の後半、自分の想像を超えた大きな感動をすることとなりました。

20mの直線

クラス対抗リレーは、6年生に許された小学校最後の種目としてその学校で位置づいていた伝統の種目でした。どんな学校にも運動会と言えばこれというものがあるかと思いますが、私のいた学校では何といっても最後のクラス対抗リレーが一番の盛り上がりを見せる種目でした。
この種目だけは、紅白のチーム戦の外側にあり得点も関係ないものでした。ただ純粋に6年間の運動会の集大成として、運動会のエンディング的なものとして全校児童が紅白の勝ち負け関係なくみんなで6年生を応援するというものでした。
勿論、私のクラスも運動会に向けて朝や放課後子どもたちと一緒にリレーの練習をしていました。走る順番も何もかも子どもたちが決めて、取り組むこの種目にかけていた思いはよくわかっていました。
スタートの合図を出すのは学年主任の先輩でした。私は、もう一人の新任の隣のクラス担任と一緒にゴールテープをもって子どもたちの走りを見守っていました。アナウンス席には車いすに乗ったあの子の姿が見えました。
「いよいよ、6年生の最後の種目クラスリレーです。皆さん大きな声でご声援よろしくお願いします。」とマイクを使っているのに割れんばかりの大きな声でアナウンスするその子の姿がとてもまぶしかったです。
「よーーーーい・・・パーン!」という合図とともにグランドを4つに分割して40人に1チームのリレーが始まりました。
私のクラスは、スタートから快走を重ね、1位をキープし続けていました。割れんばかりの完成の中、クラス最速の男子が後半の女子の第一走者につないでもその勢いはとまりません。他のクラスも追い上げ、バトンパスをミスしたらどこからでも大逆転あるような拮抗したレースとなりました。
どのクラスも残す走者はあと3人となった時でした。走り終えたクラスの大柄の男の子3人が座って待機する列を離れてアナウンス席に走っていくのが見えました。座るように注意しようとしましたが、ゴールテープが間に合わなかったらと心配になり、そのまま見守っていました。
すると残り、2名のところでアンカーの子どもが待つバトンゾーンに向かって車いすを3人がかりで事故が無いようにしっかりとした手つきで押していく男の子たちの姿が見えました。
私のクラスのバトンは、アンカーのクラスの女子最速の子に一位で手渡されました。しかし、次々と後続のクラスが私のクラスのアンカーを抜き去り、ゴールに向かいました。私は、4つのクラスがゴールテープを切った後もまだ私は、自分のクラスの子どもたちの姿から目が離せませんでした。
彼らは、決めていたのです。順位に関係なく、どうであれ最後は彼女が遠慮しようとも安全に一番最後にゴールすることをです。急ぐわけでもなく、ゆっくりするわけでもなく、彼女が手で車輪を前に進められる精一杯のスピードで進む姿は、目の前が涙で何も見えなくなるほど感動しました。
左右と後方を自分たちで他のクラスが抜く時に接触しないようにガードしながら、アンカーの子はバトンをもち、必要な分だけ車いすを押しながらゴールに近づいてくるその姿に会場中から大きな拍手が上がりました。
先にゴールしていた他のクラスまでゴールの近くに集まり、そこには6年生皆が集合していました。顔が真っ赤になるほど汗をかいた表情で、ゴールをきったその子は大きな声で「ありがとうございました。」と待っていた皆に叫びました。

共に生きる

6年生の時はクラスは違えど、6年間の生活の中で学年皆がその子と共に過ごした瞬間があったはずです。その時々で同じクラスだった子どもたちは、その子を理解し、車いすを押してあげたり、逆に勉強を教えてもらったりと、互いに支え合ってきたことでしょう。

実は、運動会に向けた活動の中で、6年生の子どもたちが、勝ち負けを楽しみながらも、勝ち負けを超えた形でクラス対抗リレーをしようとこっそり話し合っていたことを、学年の5人の先生たちが知ったのは、だいぶ後のことでした。
知ったのは、卒業文集の思い出作文を添削している時のことでした。6年間で一番思い出に残っている出来事を一人ずつが作文にまとめ、文集にしていたのですが、修学旅行の思い出と同じくらい運動会のあの瞬間について書いている子どもがとても多かったのです。
一人一人の作文を読んでいくうちにどんな思いで計画し、準備していたかを知りました。

インクルーシブな社会

インクルーシブの意味は、「すべてを包括する、包みこむ」というものです。 障がいの有無や性別、性的嗜好、人種など、私たちには同じ人間であっても様々な違いがあります。
このような違いを認め合い、すべての人がお互いの人権と尊厳を尊重し合いながら生きていく社会、すなわちインクルーシブ社会を目指していくことはできないのでしょうか。答えは「できる」のはずだと私は信じています。


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