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313 あれから13年

はじめに

東日本大震災から明日で、13年が経とうとしています。災害からの復興はいまだ終わっていません。その大きな要因は、原発事故です。地震と津波だけならばなんとかなったという声は、当時から今でも現地の多くの皆さんも口にされていますが、その通りだと思います。
また、福島第一での原発事故から日本の原子力発電への考え方、エネルギー政策の転換が叫ばれるようになったことは多くの人が認識しているところです。今日は、あれから13年が経ち改めて日本に住むということはどのような心もちで暮らす必要があるのかということについて地震という観点から考えてみたいと思います。

全国の活断層

次の地図は、地震調査研究推進本部が発表している、日本の活断層を地図上に表したものです。危険度が最も高く、赤い線で示された「Sランク」の活断層帯は31あります。

全国の活断層(出展:地震調査研究推進本部)

このように活断層が明らかになっているところでは、その存在を承知してそこから遠のくこともできますし、日常から備えを行いリスクに対応することもできます。
しかし、日本近海には未知の活断層が数多く存在しています。例えば、2004年の「新潟県中越地震」や2008年の「岩手・宮城内陸地震」などは、これまで知られていなかった活断層などがずれ動いて地震が起きたケースです。また、今年のはじめに発生した「能登半島地震」は主要活断層帯として調査されていない石川県の能登半島付近にある活断層で発生したとみられます。
日本海側ではこのほかにも海底の活断層が多く確認されていることからも、どこでいつ地震が発生してもおかしくない状況なのです。

地震と共に

日本人は、農耕民族として社会を発展させてきました。また、日本人の歴史は震災と復興の歴史と密接に関係しています。日本人らしい協調性や温和で優しい心は、互いに支え合い慈しみ会う行為の中で育まれたとも言えます。狩猟民族とは違い、自然と共生することで自然の恵みを手にしてきた私たちは、大変な時間をかけて実りを得るわけです。だからこそ食材に深い感謝の念を持つといったことを教育の中でも、家庭でのしつけとしても大切にしているわけです。また、土地や領地に対するこだわりの高さもここから来ます。農耕民族にとって耕作地はお金であり、命であり、社会そのものです。また、そこに注ぎ込む水はかけがえのない資源なわけです。そうした理由から日本人は幾度となく国内で戦をし、多くの命のやり取りをしてきました。
生まれた土地や地域への愛着の高さはそうした祖先から受け継がれてきたことのなかに存在している何かが影響しているのでしょう。
同様に私たちの震災との向き合い方もまた、たくさんの伝承により形作られているのです。伝承の形には様々ありますが、その被害の大きさや有りようを伝えることで非難の方法や備えにつながります。また、復興の道のりを伝えることで希望をいかにつなぐかを学ぶことができます。

破壊と再生は、社会や人間の人生において避けては通れぬ営みなわけです。だからこそ、その過程に何が存在しているのかを伝え続けていく、伝承という行為は、重要なのです。
伝承とは、歴史を学ぶ大切な要素であり、未来につなげる行為だともいえるのではないでしょうか。明日の、午後2時46分に黙祷をささげる先に、私たちはどのような未来を誓うのでしょうか。

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