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374 水俣病被害者の声を消す環境省


はじめに

環境省は、環境庁として1971年に誕生した比較的若い省庁です。今から53年前の日本では、公害による健康被害の拡大が大きな問題でした。経済の発展の犠牲になった人々の多くは、長い年月をかけてその保障と尊厳の回復に努めてきたわけです。
行き過ぎた高度経済成長の開発は、生活を豊かにし利益だけを求めた社会は環境を破壊し続けてきたともいえるわけです。共生、持続可能な社会などという考え方はこの当時の日本には足りなかったのでしょう。
この公害問題に政府が対応する必要性の高まりの中で誕生したのが生活環境の保全を目的とする国家行政機関としての環境庁だったわけです。つまり、環境庁の設立は、四台公害に代表されるような問題に対応するためだったと考えていいのです。そんな環境庁、現在の環境省の取った対応が現在大変な話題となっています。
今日の教育コラムでは、先日の水俣病被害者に対する環境省大臣が同席した会での対応について感じたことを少しお話してみたいと思います。

事実の確認

水俣病の患者・被害者の方々から話を聞く会が行われたのは5月1日のことでした。伊藤信太郎環境大臣は、熊本県にあります水俣市で懇談会に出席しました。被害者側に対して各団体ごとに3分という短い時間でそれぞれの思いを発言する時間が与えられました。
しかし、数十年の体験と多くの方々の思いを代弁するのに3分という時間はあまりに短く、ご高齢の方々のお話しぶりも感情も相まって時間通りには話すことが難しい状況でした。貴重な、懇談の機会を大切にしようとする被害者に対して、環境省側は3分を過ぎても話をまとめられない発言者に対してマイクの音を切るという暴挙に出ました。
テレビで公開されたこの状況は、まさに被害者への冒涜が繰り返される異常事態でした。事実として、多くの国民がこうした対応に心から嫌悪感を抱きました。そして、林芳正官房長官も、この状況に対して「適切な対応とは言えないと考えている」と述べています。
正に官房長官の言葉を借りれば、「水俣病対策のご意見を丁寧に聞く重要な機会において環境省の対応により、関係者の方々を不快なお気持ちにさせた」わけですから、この懇談会の開催の趣旨に反していますし、環境省設立の原点にも背く行為なわけです。

認識していない大臣の行動から

懇談会の最中にマイクの音を切る行為について会場に参加した被害者の関係者からは、指摘が起こっていました。伊藤信太郎環境大臣に対して、マイクをしぼることについて所見を求める発言がありました。その際に認識していないとの回答が会場でなされました。認識できる状況があったことは見れば誰もがわかります。しかし、役人の発言者の話を定刻通りに、長くならないように奔走する行為を制止することもせず、そうした環境省の悪質な対応を諫めることのできる唯一の存在である大臣すらも機能しませんでした。
私は、その様子を見ていて、これまでの行政の在り方そのものを、映す鏡のように感じると同時に、「こういうこと」なんだと感じました。
「こういうこと」とは、これまでの政府の対応というものが、公害問題に苦しむ人々の立場になっていなかったということです。
公害問題で苦しむ人々の声に気づき、その救済に本気になるとは様々な状況に敏感に反応し、そして適切に正しい判断と行動をしていくことが求められます。
昨年の懇談会が終わった時点で、環境省の役人は、いかに話を短く時間通りに終わらせるかということに終始する対応を考えていたと言われています。
問題解決に向けて真剣に話を最後まで聴く姿勢が無かったと見えてしまうのではなく、実際に役人にとって大切なことはもっと別のことだったのでしょう。
最後に、二つの作品を紹介し、こうした役人や大臣の態度がいかに問題であるかを問いたいと思います。いずれも、水俣病の事実を伝える大変重要な作品となります。

水俣病

水俣病の姿やその被害を世の中に伝える映画と言えば、多くのドキュメンタリー映画を発表しつづけてきた土本典昭(つちもとのりあき)監督の、水俣を描いた「水俣」であります。また、「水俣一揆」も重要な長編記録映画と言えます。
土本監督の「記録無くして事実なし」という言葉通り、この映画には事実があります。人間の尊厳をかけた闘いの記録は、まさに公害問題の本質を学ぶ上で私たちが知っておく必要のある事実だと言えます。

土本典昭監督


もう一つ作品を紹介します。それが、2021年に後悔されたジョニー・デップが制作主演をした「MINAMATA」です。伝説の写真家ユージン・スミスと水俣の実話から生まれた衝撃の感動作です。
この映画のオフィシャルホームページを紹介しておきます。この作品を鑑賞すると心の中にわいてくる複雑な心境は、怒りに近いものと人の尊厳への深い思いが私には湧いてきます。
公害問題を「なかったこと」にすればという企業の思惑と経済の発展を優先した国の思惑の中で対応が遅れていった水俣病に対する対応に対して、「なかったこと」にすることを拒んだ人たちの壮絶な戦いの記録だと言えます。

ジョニー・デップ制作/主演


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