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休校ぐらし最終回 総評

今日、一斉休校はひとまず解除となり、娘の小学校3年生生活がスタートしました。始業式の時間は短縮され、10:00前には学童へ移動する変則的な初日です。

娘の話を聞くところだけだと、担任の先生も優しそうな感じ。お便りの写真を見るに、おっとりしていて雰囲気も温かい感じの女の先生です。「よっしゃ行くぜ!」な元気な先生よりは、マイペースでのんびり屋の娘とは相性もよさそう。新しいクラスも凄く明るい雰囲気らしく、ほっとした様子で帰ってきました。親友も一緒とのことだし、親としては楽しい学校生活になることを願うばかり。

ただ、授業参観は中止になったりと、完全にこれまで通りと言う訳にはいかないようで…。娘の様子を見ていても、どこか「いつもと違う…」といった迷いがあるような感じ。届くところへ手を伸ばしたはずが、思ったよりも手が伸びていかないような、そんな雰囲気。

きっと子供達に限らず、大多数の大人もそうなんだと思います。

ちなみに僕もそんな一人。子育て支援、イクメンイクボスを推進するNPO法人の理事として、また、ハラスメント対策や育休の推進を専門とする支援者として、2月末辺りから研修や講演のキャンセル・延期が続きました。

幸い、大学との協働事業の清算等があったため、ゼロ勘定は回避しましたが、それでも夜中に何度も目が覚めるくらいに、今後どうしていこうか…と新たな一手を考える日がゼロではありません。まぁ、依頼する側としても「それどころじゃねぇよ」というのが本音でしょうし、感染者ゼロの地域でもこの有様なので、緊急事態宣言の該当区域ではもっとえげつないことになっているんだろうと推察します。そう思うと、僕達はいかに日々の生活をカネに依存しているのか、生きるためにそうせざるを得ないのかを痛感した期間でした。

だからこそ、マスク2枚で「ふざけんな!」という声も多かったんでしょう。冷静に考えたら、医療従事者へ優先的に配布するため一般の方に配布したとか、色々視点を広げられるのでしょうけど、そんな余裕すらなくなった労働者がごまんといる訳ですし。みんな生きる事に精一杯。そう思うと、自粛要請なのに出勤…なんてケースが続くのも無理ないと思うんです。

ですが悪いことばかりでもないと思ってます。こんな中でも工夫して、クライアントの相談をオンラインで受けたりした体験を積めたことはプラスだったと思います。今日も地元ラジオの収録を電話中継でこなしましたが、スタッフの皆さんの対応もあり、いつもと遜色なく出来たかなという気がしています。

それに時間が思いのほか生まれたことで、積ん読や自分の研修資料の精査、知人の事業の支援等をすることができ、新しいインプットや繋がりを得ることも出来ました。そしてそれで誰かが喜んでくれたのがまた嬉しかったり。

一つ一つは些細なことですが、工夫次第でやり様は幾らでもある。姿勢次第で幾らでも学ぶことは出来る。それに気付けたからこそ、例えば余力のある平時に「働き方改革なんて無理だよ」なんて口にすることは、ただ単に変化への対応から逃げているだけ、そしてそれに順応するだけの学びを得られていないだけなんだろうなと、より強く思えるようになりましたし、今後はそうしたケースに対し、より強く「組織のリスクを抑えるための戦略としての働き方改革、そしてその柱となるイクボスを育てることの重要性」を伝えられるだけの自身と知見も得ることが出来たと思います。

それに、いつもよりも多く子供達と一緒の時間も過ごすことができました。普段から、そうした時間を人より多く作ってきた方だとは思っていますが、終日相手をしながらPCに向かうようなことはそこまで多くはなかったので。普段家で仕事している時、如何に学校や学童が大きな存在だったかを改めて痛感しました。だからこそ、今まで以上に先生方にも自身のライフをより充実させてほしいし、そうして心身ともに充実した状態で子供達に笑っている大人の背中を見せてほしい。そのために僕も今まで以上に出来ることをしたい。素直にそう思います。

そして改めて、世の中のママさんの大変さを痛感しました。世間一般では、未だママが家庭の事であったりをその肩に背負いこんでいるケースが根強いです。ウチみたいな地方の田舎町だと余計にそう。高齢者も多く情報リテラシーも低いため、職場だけでなく自治会やスポーツの場においても、中々新しい情報や常識が認知されるにはハードルが高いですし、そうしたことを学ぶ機会も少ないです。脳の機能が衰えてくる中では、新たな価値観を受け入れることには相応のエネルギーも必要ですし、変わらない方が楽なんですよね。

そんな中でこれまで多くのママさんがワンオペしてきたんです。否が応でも在宅しなきゃいけなくなって、この現実に多くの男性が気付く契機になったはず。
※そうであって欲しい願望も込みで

僕達個人だけでなく、企業や地域も変わらなきゃいけません。そうでなくては、人口減・後継者不足・制約を多く抱えて仕事をこなすことといった課題への効果的な取組はいつまでも進まないでしょう。今回のコロナはそれを改めて気付かせてくれる試練のようなものだったのではないか…とも思います。

勿論、それを学んだかどうかは各個人に委ねられます。その結果何が待っているか。それは今後具現化されていくんだろうと思います。残念ながらそこで学びや気付きを得られなかった人や組織にとっては、きっと最悪の形で。でもそんな状況はノーセンキューです。

だからこそ僕達に出来ることは、過去を美化して懐かしむのではなく、今を見つめて、10年後、20年後といった未来をどうしていきたいのか…を見据えることではないでしょうか

個人としてなら、人生100年を迎えるにあたって、仕事・家庭・地域において、自分の進む道をどのように方向付けるのか。そしてその為に何を学び、どこに属し、どのように自身の価値を高めていけるのか。

組織としてなら、本質的なミッション・ビジョンを実現し、後の世にどういった価値を生み出していくのかを見定め、資金や株主だけでなく、共に戦う仲間の想いと向き合って、チームの錬度を高めていくのか。

そして、こうした時代を担っていく子ども達のために、何を残し、何を変えていけるのか。子供達が笑っていられる未来を築いていくために、一人一人が幸せになるために。

不本意な形かもしれませんが、今まさにコロナと対峙しているこの経験は、老若男女問わず誰にとっても、これからのことを考えるトリガーとなったのではないかな…。そして、いまそこで日々得ていること、学んでいることを活かさないと意味がないと思うんです。僕らは東日本大震災を経てそう学んだはず。このままウイルスごときにやられっぱなしなんて、シャクだし、志村けんだって浮かばれません。

みんなでこの難局を乗り切って、笑顔で令和の時代を彩っていきたい。その為に何が自分に出来るのか。そんな事に向き合わせてくれた休校期間に、今はほんの少しだけ感謝したいなと思います。

でもね。なるべくなら早く落ち着こうぜ、コロナさん。いつかは共存できるかもしれないけど、ちょっとはしゃぎ過ぎだよ、あんた。

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