真理と言い訳
今朝、さんさんと光が降り注ぐ素敵な自部屋にいながら、ああこの文明は自然を侵略してのものだから
やがてしっぺ返しがあるだろう
と思って、さらに、でも私たち、日々目の前のことを一生懸命に生きるだけで何も悪気はなかったのです…
と思った
しかしもちろん、しっぺ返しは変わらない
ひずみを生んだからには、バランスは整わねばならない
しかし、真理に対して言い訳は通用するのかどうか、という問いに興味を持った
私たちの意思や祈りや手を貸してくれるより大きな存在もあるかもしれぬ。が
一時凌ぎはできる。
さらに、問題を横や先にずらすことはできる。
それだけかもしれない。
でも、ところで、しっぺ返しが、必ずしも悪いこととは限らないのではないか。
うちの観葉植物の一つが、成長し切ったのか、成長が止まった。
これは捨て去らなければならなくなった。
他の一つは、随分成長したので丸坊主に刈ったら、また新芽が出てきてまたより良い緑になった。
話を戻すと、真理の働きは、恐らく、すべてをより良く成長させるように働く。
さらに成長し続けるためには、不完全であり続ける必要も同時にあるのではないか。
タイトルの、真理に対して言い訳は通用するのか、
これは通用しない、というより、言い訳をして我を通したりうまく世を渡るという働きも真理だよな…
禅問答みたいになってきた…苦笑
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