単身赴任ぐらし
海外赴任
になったのが、11年前だったか。東日本大震災の後、フクシマの行方を気にしながら、家族で東南アジアへ。
当時、4歳、6歳の娘を連れて、何もかも新鮮な毎日。家の中を走り回るヤモリにキャーキャー騒いでいた日々が懐かしい。
インターナショナルスクールに入れてみた子供達。初日から絶好調ウキウキの上の娘、一方、お腹が痛いとトイレで泣いたこともあった下の娘も卒園式では、誇らしげな笑みを見せた。
お引越し
彼の地で4年を過ごした後、近隣の別の国に家族でお引越し。
テロ騒ぎもあったけど、新しい学校でもたくさん友達ができて、どんなに感謝したことやら。
とにかく、元気に生き延びてくれれば、と思ってるうちに、二人とも知らず知らずたくましくなり。
家族の帰国
このまま、永遠にこんな楽しい日々が続けば、とは思ったが、仕事的に海外に根が生えていくうちに月日はすぎ、子供の教育環境も考え、3年前に家族が帰国。
とうとう単身赴任に。
君たちは久しぶりに日本に帰るんだけど、パパはもちょっとお仕事が続くから、ごめん、ちょっとだけ、離れ離れなんだ…
と告げた夕食の場。上の娘は「それは絶対ダメ!」と即答。普段はドライな下の娘も、顔を歪ませて天を仰ぐように上を見上げた。今でもその二人の表情が焼き付いて離れない…
それでも、いろいろ考えた挙句、やっぱり、家族は帰国へ。
海外単身赴任生活スタート
日本での住まいを探しに一家で帰国し、都内ゆえに手狭ではあったが落ち着いた地域に何とかアパートを決め、一安心。ホッと胸を撫で下ろしながら、とたんに一人で赴任地へ戻る辛さと言ったら…
帰りのフライト上では、冗談抜きに、映画を見てるふりをしながら、涙を拭う体たらく… ここまで自分は弱虫であったかと…
唯一助かったのは、ネットのつながりやすさ。毎日、欠かさず、TV電話。
しかし、今にして思えば、ほんとに、ヘタレという他ないが、とにかくTV電話繋がってないと不安なあまり、朝食をタブレットごしに一緒に済ませながら、その後も切ることができず、夜中まで繋ぎっぱなし。散髪に行ってる間も繋ぎっぱなしのこともあったか…
家族もよく呆れずに付き合ってくれたもの。
やりきれなくなると、私費で週末に帰ったこともあったが、うん、これならなんとかやれるかも、と、踏ん張りながら過ごす日々。
さらに、今度の春休みは久しぶりに遊びに行くね、という家族の言葉に、どんなに励まされたか。
Covid-19
と思った矢先に、コロナ騒ぎ…
春休みの家族の移動は、強制的にキャンセル…
本当に泣く思いだったが、今度は、会社からコロナ感染を恐れての帰国命令。
当時は2週間隔離ではあったがその後、東京から海外の案件を在宅勤務で対応。
つまり、24時間家族と一緒!
あれは天国だった…
復帰
とはいえ、それも続いて3ヶ月。まだまだ、状況は厳しい中、現地に復帰。
その時の辛さ、あれもなかなかだった。
その後は、なかなか一時帰国すら、ままならぬ日々。
なんとか1年に2回は帰国はするんだが、いやはや、こんなはずじゃなかったぞ、と。
そうこうするうちに、2年半が過ぎ、そろそろ本帰国を期待しつつ、この年末年始も家族と過ごせたのはありがたい話。
モチベーション
かえりみるに、家族にべったりだった自分が2年以上も海外単身赴任を続けられたのは、ひとえに、この地での仕事を全うして、また、家族の待つ日本へ帰って、また4人でバカやりながら楽しく暮らすこと、そのモチベーションがあったから。
時差もある中、日本の朝食に合わせて早起きし、部屋の中は、子供たちの生まれた頃から今に至るまでの写真で埋め尽くし、子供たちからもらった毎年の誕生日カードを並べて、絶対帰るぞ、と…
成長
が、気づいてなかった… 2年半も経てば、その間にどんだけ子供達が成長するか。
日本でも、それぞれ、仲の良い友達に巡り合い、興味も増え、どんどん自分の世界を作っていく。見ていて頼もしい限り…
一方、成長のない親父は、「絶対、また4人で暮らすぞ、待ってろよ、みんな!」と毎日毎日、自身に言い聞かせてるだけ…
気づいたら、帰ろうとしている自分と、どこか広い世界に羽ばたこうとしている子供たち…
日本から距離を超えて海外へ飛び、異文化という距離の中で、家族の絆という距離を確かなものにし、その後、単身赴任生活という距離を乗り切りつつ、さあ、家族の距離に戻ろうと考えていたら、子供達は、きちんと、自分達の世界、距離を育み、徐々に親との距離をとりつつある。
一人、置いてきぼりを食らったような、浦島太郎のような気持ちになりつつ、いや、子供たちは、きちんと羽ばたこうしているではないか、こんな喜ばしいことは無い、そう思いつつ、やっぱり、寂しさは禁じ得ず。
思い返せば、海外単身赴任を決める前後、その他の選択肢もあった筈ではなかったか。あの時、もし違う決断をしていれば…
あの頃の未来へ
せめて、子供たちが大学に行く前に、も一度家族で暮らし、そう、彼女たちが羽ばたいていく様子をみよう、そう思うそばから、実はまたしても、東京ではなく、第三国へ異動となりそうな今日この頃。
仕事的には悪い話ではないのに、しばらく塞ぎ込みつつ、でもなお、僕たちは家族として、きちんと、あの頃の未来にいるよね、と思う。
後ろを見ても仕方あるまい。
今日から、さらなる未来に向けての距離を目指して。
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