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お肉が苦手になった話。

はじめに


最近私はお肉を避けるようになりました。

あんなに大好きだった牛乳も卵も
前は美味しいと思えていたのに。

今では罪悪感と気持ち悪さを抱え込みながら
栄養分を補給するために胃へ流し込みます。


思い返せば、中学校の頃は動物愛護に関して弁論大会で発表するほど、動物虐待や動物への虐殺へ強い嫌悪感を抱いていました。

でも、あの頃の私はお肉が好きでした。
動物を酷く扱うのには反対だ、
でもお肉は食べてしまう。

こんな矛盾した気持ちを抱え込みながらも、
「食物連鎖」がある以上、お肉を食べることはしょうがないことなんだと言い聞かせることで、自分を正当化していました。

しかし年を重ねるうちに、
この世に出回るお肉の多くが「機械的」に作られていることを知ります。

動物たちは、身動きできない小さな柵の中に入れられ、「動物(食用肉)を生み出すため」だけに生きなければなりません。
繁殖能力が無くなれば、殺されてしまいます。牛や豚は牧場でいきいきと生活しているものとばかり思っていたので、本当にショックでした。

更に、お肉だけでなく卵や牛乳も「機械的」に作られているものが多くあることを知ります。

この現状を知ったとき、私はビーガンにならなければならないと思いました。これは食物連鎖なんかじゃない、と。


週一回のビーガン生活から始めました。

お肉を食べないようにすると、学校で販売している食事のほとんどを食べることが出来ず、更に家でお弁当を作る暇もなかったので、毎回雑穀ご飯のおむすび一択。お昼ご飯を楽しみに生活していた私にとって、この選択肢の狭さはとても辛いものでした。

周りにはビーガンの友達や先生がいましたが、毎日この生活を続けるのは精神的にキツイものがありました。

そして何より辛かったのは、機械的に作られているお肉の現状を知ってもなお、お肉を美味しいと感じていたことです。

美味しいと思っているものが目の前にあるのに、食べられない。その選択肢を選べない。ご飯だけを楽しみに勉強しているのに、楽しめない。
なんで私はお肉を美味しいと思えているんだろう。
自分に腹が立ってきました。

ビーガンへの道のりは遠く長いものだったのです。


アメリカでの転機

そんな中、私に転機が訪れます。アメリカでのインターンシップが決まり、アメリカで一年間生活することが決まったのです。

アメリカ出身の先生に、アメリカにはビーガン向けの食べ物が沢山あるよ!と教えてもらっていたので、私の生活はちょっぴり変わるんじゃないかと、少しワクワクしていました。環境任せにするなって話ではありますが。

でもまさか、お肉を受け付けなくなるなんて夢にも思っていませんでした

アメリカのスーパーで初めての買い出しの日。業務で忙しくなるからと、鳥、豚、牛肉をすべて買いだめしました。お肉を食べつつ、ビーガンの料理にもチャレンジできたらいいなあなんて軽く思ってました。

甘かった。

驚いたことに、私は購入したお肉を受け付けることが出来ませんでした。獣臭いというか、生き物の感触があるというか。その時初めて、お肉ではなく、「動物」を食べている気持ちになったのです。1ミリも美味しいという感情が湧き出ず、全て残してしまいました。(ごめんなさい)

また別の日に調理法を変えて試してみましたが、無理でした。この経験がきっかけで、私はアメリカで買い物をする時に、お肉は買わないようになりました。無理に辞めたのではありません、以前と変わって、もう、美味しいと感じることすら出来なくなったのです。

卵も買わずに、牛乳はアーモンドミルク。最初は薄くて水のようでしたが、次第に慣れ、むしろ牛乳の方が飲めなくなりました。お肉は全部、フェイクミート(植物でお肉を再現したもの)。

ビーガン生活は、想像以上に難しくありませんでした。
どんなレシピも、代替品で対応することができたからです。

お肉一つとっても、様々な代用肉があります。卵ももちろん、卵に似せた商品が多くあります。ケーキだって余裕で作れます。牛乳も、アーモンドミルク、ココナッツミルク、ソイミルク。選び放題です。チーズなんかも、本物そっくりのものが沢山あります。レストランに行っても必ずビーガンのオプションがあり、特に困ることはありませんでした。

寮生活では、ビーガンの友達と一緒に、ハンバーガー、タコス、ケーキ、色んなビーガン料理を作りました。どれも代用肉を使っているのに、本物のお肉と変わらず、「すごい!面白い!」料理をするたびに、そんなワクワクがいっぱい増えました。

正直、お肉という選択肢を無くすことによるストレスや辛さは、1ミリもありませんでした。



日本の障壁

しかし日本へ帰国すると、新たな障壁が訪れます。
それは「代用の肉や卵がスーパーに用意されていない」ことです。

海外から来たビーガンの友達や先生が、日本は生きづらい。と口を揃えて言っていましたが、この時やっと身をもって実感しました。

日本のお肉は臭みが少ないので、アメリカで一度はビーガン生活を送ったものの、頑張れば食べることができます。しかし、どことなく罪悪感と気持ち悪さに包まれます。そんな日々を送るうちに、今ではほとんどお肉を食べることができなくなりました。

昔は、動物を守るためにお肉は食べたくないけど、好きだから食べてしまう。「ビーガンの人達はすごいなあ。」そんな気持ちでしたが、今ではお肉を食べないことに対して辛さは全くありませんし、無理して食べていないわけではありません。「お肉食べること=しあわせ」ではなくなったということです。日本でも、お肉を極力避ける生活を送れています。

とはいえ、この環境に満足はできていません。海外に比べ、日本はビーガンに対するオプションが多いとは言えません。むしろ少ない。

みんながビーガンになるべきだとは、全く思いません。世界には宗教など様々な問題がありますし、食のスタイルを強制するつもりもありません。
でも、お肉を少し食べないようにしたいなって思う人達のためにも、その一歩を手伝うためにも、日本にもっとビーガン向けの選択肢が広がってくれたらいいな、と思います。

動物にとっても環境にとってもきっとその方がいい。私も100%ビーガンではありませんが、その方がきっと、もっと、皆にとって生きやすい世の中になるんじゃないかと思っています。

食の選択肢が増やせるよう、将来的には自分でこの現状に何らかのアクションを起こしたいな、と思っています。

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