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やっぱり夫婦は合わせ鏡なのかもしれない

認知症になると不安を埋めるかのように、お金に対する執着心が強くなるという。


もうすぐ88歳の義母が、お金に対する執着心がすごいと分かったのは、認知症になってからだから、そうなのかもしれない。


だけど、数十万というお金を渡しても、隠してしまって再度せびりに来たり、義父が入院先で床に臥しているときにも「故郷へ帰りたいからお金をちょうだいと言われたらやってくれ」と言っていたことを思えば、そのような習慣があったのだろうし、挙句の果てには「わしに援助してくれやなあかん」とまで言い出す始末。


ちなみに、案の定、幾度か義父が言った通りのことを義母は言ってきたが、今現在自分で運転できない義母は故郷へ帰ることができないし、故郷への帰路にはコンビニひとつない道を帰っていく。

月曜から土曜まで、デイサービスに通う義母は、お金を使う機会がないが、デイサービスの「買い物」の日には、お金を入れた財布を持って出かける。

先日は、財布からお金だけを抜き取り隠してしまったため、買い物へは行けなかった。

夫が探すよう促すと、ポケットティッシュのなかから、金額が大きくなって出てきた。


義母がいつの日か隠したものだと思われるが、本人はもしかして悪気がないのかもしれない。

もともと、動かさなくてよいものを、動かしたりしまい込んだり、仕舞いには、「人のモノは自分のモノ。自分のモノは自分のモノ。」とばかりに、都合よく自分のモノにする習性もみられた。


だけども、義父が亡くなってからの断捨離中に、義父が隠したであろうお金が、所どころから出てきたのは驚いた。

義母が隠したであろう、お金もでてきた。

夫婦似たことをしていたのだろうか。


義父は、義母のことを「お金の使い方を知らないやつだ」と言っていたが、義母が口に出すことを聞いていると、お金に対して固執する考えがあるようにみえる。

認知症になって、その部分が強く表れているのかもしれない。


「お金」に対して、ものすごく、執着していて、こだわりがすごい。


一方で、義父もお金に関して、ものすごく執着していた。
遊び金が欲しかっただけかもしれないけど、ふたりとも執着していたのは確かだ。

そんな私はどうかって?

誰でもお金が欲しいのは確かだから、その気持ちがゼロではないことは確かだけど、私は働いた対価だったり、幸せの価値をお金に求めることを辞めたから、そこまで執着していない。

「辞めた」よりも、「諦めた」が正しいのかもしれない。


私の日常であり、人生ともいえる「仕事」に対して、働くことに対して「別の対価」を得ようと切り替えた時から、気持ちが解放された。


そこから、数年単位で、私の結婚生活は変わっていった。

精神的に余裕ができ、脳みそには「ゆとり」が生まれた。

「ゆとり」が生まれると、不思議なもので、お金が巡ってきた。

もちろん、それなりのことがあってのことだが、「お金」から気持ちを解き放ったからこそ、動かなかった歯車が動き出したような不思議な気がする。


「お金」に執着しないのは、今もそう。
剪定を終えた時期に頂くことになった賃金は、数か月たった今も、まだ夫から回ってこない。


「お金があってもなくても生活はそう変わらない」とは夫と同じ考えで、拘らないのは私が運がいいだけのことだけど、お互い「執着」から解き放たれているから、私たち夫婦にお金のめぐり合わせが、結婚30年近くになってようやく回ってきたと思っている。

育児を終え余裕ができたことを差し引いても、結婚当初には考えられなかった、めぐり合わせが。


一方で、義父母のばあい。
お互い「執着」から解き放つことができないから、どちらもお互い首を絞めていることになり、夫婦のあいだで「お金」が循環せず、結局は堂々巡りで、義母は納得できない形になったのではないかと思う。


義母の口をついてでる言葉から、私は想像を張り巡らせた。


仕事に対する姿勢もそう。

8年ほどまえに、義父母はそろって畑仕事をしなくなったが、どちらか片方が「身体が動く限り、少しでも農作業をしよう」という気持ちがあったのなら、その後も農作業をしていたのかもしれない。

それは、それまでの仕事に対する姿勢から生まれたものだと思う。


義母はもともと農家へ嫁ぐことが本望ではなかったが故に、私からすると、仕事に対する姿勢もグダグダだった。

「あんたは、農家へ嫁ぎたくて嫁いできたんやから、何ができても当たり前」と、その意味合いが含まれている私に言った言葉通り、義父と一緒で、さいごまで仕事を生き甲斐にはできなかった。


一方で、年齢相応にしか働けなくなったが、「身体が動く限りは、働こうと思う」という、今もなお畑に出ている夫は、少なからず私の影響を受けていると思う。


「なんで夫は働かへんのに、わしばっかり・・・」と義母。
「なんでお金は回ってこおへんのに、これだけ働かなアカンねん」と夫。

私もその空気に引き込まれ、悲壮な面持ちで仕事をしていたけれど、一番に抜け出し、仕事にやりがいを見出したのは私だ。

私は夫に、仕事の良い事や、やりがい、魅力などを次々と伝えた。


夫はそんな私に、少なからず影響を受けて、姿勢も変わっていき、仕事に対する愚痴もなくなった。


若いころには、私が畑で愚痴をこぼしているうちは、畑で喧嘩ばかりしていたけれど、最近になって、私がさらに自立心を見出したこともあって、お互いほどよい空気感で仕事ができている。

もちろん、息子が継いでくれることになって、余裕ができたこともあるけど、年齢相応にしか働けない夫に対して、責めたことはない。
(これは、「note」で頂いたnoterさんからのコメントで「気付き」を得たことも大きいのかも)


「母ちゃんが、文句を言わないから、あれでも父ちゃんなりに、畑で仕事するねんで。まあ、あれでもじっちゃん(義父のこと)に比べたら仕事してるねんし、放っとき」と、休みがチョイっと多い夫に向かって不服そうな息子に言う。

「母ちゃんが文句を言い始めたら、父ちゃんは畑にこおへんようになると思うよ」と。


「ワシばっかり・・・」とは、義母がさいごまで言っていた。

息子には「母ちゃんも同じように助けることは出来ひんようになるから、はよ、良いパートナー見つけたほうがいいよ」と加えて言った。


夫婦のあいだが上手くいっていない場合、夫婦どちらかが、相手と向き合う姿勢をみせない限り、さいごまで夫婦の距離感は縮まらない。

向き合わないから、相手は逃げる一方で、相手も自分と向き合おうとしない。

そんな気がする。

もちろん、全てが当てはまるとは限らないけど、少なくとも、義父にしても、実父にしても、そこまでの悪人ではないと私は思う。


義母が・・・。実母が・・・。向き合う努力をしていたら、もうすこし最後の終わり方も違ったのかなと、嫁の立場の・・・。娘の立場のわたしからするとそう見える。


そういう私たち夫婦関係はどうだか分からないけど、私が逃げずに向き合ってきたから、まぁ、それなりに・・・。


私は、そんな義両親、実両親をみて、いろいろ学んできたのかもしれない。
夫も案外そうなのかもしれない。

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