子供のさいごの卒業式でも、結局は涙した。
あしたで、3月が終わろうとしている。
「note」でも、「卒業」に関する記事を書いていらっしゃるのを、よく見かける。
今回は、卒業式にまつわる記事を書いてみようと思う。
私が車を運転できないこと。あと、自営業で時間の融通が利くので、子供たちの保育園の卒園式から、高校の卒業式まで、主人とふたりで子供たちの卒業式に出席した。
最後の卒業式は、3年前の娘の高校の卒業式。
中学の卒業式までは、感極まって泣いてしまったけど、高校はサラッとしたものだろうと思っていた。
その2年前の息子の卒業式も泣かなかったし、高校生ともなると、子供の著しい成長も緩やかになって、あと、学校と関わることも、そうそうない。
子供も、親離れをはじめるころで、思うことはあっても、中学生までのころほどでもない。
娘は片道1時間以上かかる市内のスポーツが盛んで、県内いちばんのマンモス高校(当時10クラスほどの規模)へ通った。
入学式の時は、体育館で執り行われたが、卒業式は市内の大きなホールで執り行われた。
会場までは、主人が運転する車で娘と一緒に向かい、
じゃあね・・・
と別れた。
駐車場に車を止め、ホールの中へ向かい、着席して卒業式が始まるのを待った。
こんなに大きなホールで、生徒が入ってきても、自分の娘のこと分からないんじゃない?
だなんて、主人と話していた。
私たちが、高校の行事で参加したのは、入学式とそのときの卒業式、あとは、先生との二者懇談くらいで、体育祭も文化祭も行ったことはなかったが、大勢の人数だということは分かっている。
果たして、こんなに大きなホールで大勢の生徒が、薄暗いなか、あの出入り口から入場してきたところで、自分の娘が分かるだろうか・・・
と、一抹の不安を覚えたところで、卒業式は始まった。
娘は真ん中位のクラスだったから、出てくるまでに少し時間がかかったが、心配するほどのことなく娘の姿をとらえた。
随分大きくなった娘が、階段を一生懸命皆の歩調に合わせようとして、一段一段降りて入場してくるのを、幼い娘を見守るように、「がんばって!」と、心の中で願いながら、娘を目で追う。
娘はどんな気持ちで、松葉づえで歩いているのだろう・・・
娘にとっては、はた迷惑な親心だったかもしれない。
部活を引退していたというものの、2月に助っ人として参加したサッカーの試合で、膝の靭帯を切ってしまって入院。
手術ののちに、2週間ほどで退院。
その後、松葉づえ生活が続く中、リハビリ中だった。
家では、松葉づえにも随分慣れて、車の運転まで始めていたから、一緒に生活している分には、何てことなかったのに、大勢のなかに交じって自分ひとり松葉づえで歩いている娘の姿は、可哀そうで。
リハビリを終えると、普通の生活に戻れるのだから、必要以上に同情することではないのかもしれないけど、松葉づえで歩く娘を見ていると、ひょこひょこ自分の足で、歩き始めた幼い頃からのことを思い出し、感情がひときわ大きくなり、こらえきれずに涙した。
反対に、小規模の保育園からはじまり、年齢を重ねるにつれ、多くの同世代と接する環境に身を置き、さいごはこんなに大勢のなかで、松葉づえだけども、どこか堂々としているようにも見える娘の姿が誇らしかった。
途中流されたスライドショーでは、「個人」が写る尺は限られていたようだが、部活が盛んな学校で、サッカーを頑張ったお陰なのか、眩しい娘の姿も取り上げられ流れた。
生徒の大多数は地元市内から通う子が大半で、娘は遠距離通学に入る部類だったので、まさか娘の姿が流れるとは思わず、不意打ちで流れてきたので、もう少しで見逃すところだったけど嬉しかった。
その後、県外の大学へ進学。
初めの数か月はリハビリに時間を費やし、サッカーが出来ず辛い思いをしたようだけど、あれから3年。
無事にリハビリを経て克服し、サッカーに復帰後は思い切り部活を楽しんだよう。
いまは、休部して就活はじめ将来のことへ向けて頑張っているみたいだけど、来年の大学校卒業では、どんな心境で卒業するのだろう。
まだ、コロナ禍に突入する前に、主人とふたり、高校までの卒業を見届けてから、これが最後と決めていた。
大学は、子供自身が二十歳を越え、自立するべき年齢だから、はじめから卒業式はいくつもりはない。
入学式も行かなかった。
田舎で、割と夫婦そろっての出席率も高かったこと。
自営業で、主人も時間の折り合いをつけてくれたこと。
私の持病で、私自身が車を運転できなかったこと。
いろんな偶然が重なって、保育園の卒園式から、高校の卒業式まで、無事に主人とふたり、入園式、入学式もあわせて、子供の晴れ姿を見送ることができたのは、ありがたかった。
このご時世、式への出席は各家おひとりまでというのが、普通のようだが、私自身の式は母親のみの出席で、中学校までだったかもしれないし、片親のみの出席が多かったように思う。
子供にとっては、有難迷惑だったかもしれないけど、幸せなことだったんだろうなと思う。
来年の大学卒業のときには、娘の目の前にはどんな光景が繰り広げられるのだろうか。
あと1年の大学生活を、楽しんでほしいと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?