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若い頃はちょっとしんどい位が丁度よい。

私は、今、52歳。

若いころほど農作業はできないけど、とても楽だなと感じる。


年齢に応じて、働き方を緩やかにしていけるのは、自営業の特権だと思うが、若い頃、体力精神力共に限界を超えるような働き方をしてきたからだと思う。

自分で決めて、義両親が同居の農家へ嫁いできたけれど、働きづめの毎日だった。

誰かれなしに、農業が未経験の私を、気遣ってくれる様子は微塵もなかった。

元はと言えば、明治生まれの夫の曾祖母が仕切っていたというが、曾祖母の教えや考えが、そのまま残っているような、そんな家だった。

「休むことは許されないこと」そんな教えをそのまま受け継ぎ、それが正しいと思っている姑や夫、それをいいことに、仕事を一番しなかった舅。

舅は家のいちばんエライ人だった。


それでも、「雨にも負けず風にも負けず」の宮沢賢治の世界を想像して嫁いできた、農家と縁もゆかりもなかった私は、それが普通の農家だと信じていた。


言葉の通り、雨の日も風の日も働いた。


そのこと思えば、今は楽だね~。
雨の日は休みだし、晴れでも時々休み。時短で働くこともあるよ♬


「農家ほど良い仕事はないぞ。誰かの元で働かされるということなしに、誰にも気兼ねがなくていいぞ。サラリーマンほど・・・・」と、繰り返し言っていた舅。


いいや!
あなたたちの元で、私たちは働いているでしょうに。


なんど心の中で毒づいたことか。
だけど、今となっては、その意味合いが分かる。

若い頃に、新卒就職した会社で、数年パワハラ上司にも耐えた経験も、その思いを際立たせる。


ほんと、いまは天下をとったような働き方よ。誰にも気兼ねなく働けるものね。若い頃は、畑でも姑と一緒だったけど、今は違うしね。
ほんと、楽。


舅も姑も、昔は私を目の敵にしていた。

誰かれなしに喋るのが好きな舅は、愛想が悪い私のことを好まなかった。
嫁のことなんて、働き手の一員としか考えていないから、扱いも粗末なものだった。

負けず嫌いの姑は、私に負けじと何かと私と張り合うようにして、仕事をしたり家事をしてきた。
私に軍配が上がるとなると、横から手出し口出しが絶えなかった。


そのこと思えば、舅はさいごは年老いて自分が動けなくなるとなると、それまでの私の頑張りもふくめて感謝してくれたし、姑もタダの認知症のばあさんになった。


ほんと、嫁いできた当時のことを思えば楽よ~。
若い頃には泣かされたことも幾度もあるけど、何てことない。
姑だって、今じゃ何にも言わないし、時々私を頼ってくるんだもの。


いちばん自分を苦しめたのは、自分の性格だったかもしれない。

「~しなきゃいけない」「サボることは許されない」「世間の標準からズレてはいけない」


だから、新卒で就職した会社だって3年勤めたし、嫁いできてからも、自分にノルマをかけてまで働いたし、定時キッカリまで働いたうえで、家事もしたし、「良い嫁」になるために一生懸命だった。

何もかも自分をがんじがらめにして、心身共に限界を超えて、結局は潰れた。


そこから、ゆるゆるに生きている。


だから楽。


年を重ねていくと、体力もなくなって、若い頃と同じではいかなくなっちゃうわよ。


だから、年に応じて自分を緩めてあげると、すごく楽。


両親が揃っていて、ずっと衣・食・住が揃っていた地点で、自分はものすごく恵まれていたけど、それでも若い頃はとてもしんどかった。


だけど、なんだかんだ言って、若い頃は健康でさえいたら、意外と何でもできて、無理も利いた。我慢もできた。その最中にいるときは、ただただ辛いだけだったけど、体力や気力がぜんぶ解決してくれたところがあった。

人間って限界を超えると、記憶が飛ぶとかいうけれど、その時期の記憶はほとんどない。だけど、それ位頑張ってた記憶はある。


「年を重ねると、緩く生きてもいい」だなんてフレーズが、巷に広がっているけど、年を重ねた時に緩める「何か」がないと、年をとってからしんどいんじゃないかなぁ。

「働き方改革」だの「ゆとり」が流行る世の中、その時代に乗っ取って、なんでもかんでもユルユルで生きてると、後がしんどいよー。


「若いうちは買ってでも苦労をしなさい」っていうけれど、体力や気力がみなぎっている若いうちに、少し位しんどい思いをしてでも、何でも経験しておくほうが、後が楽。


まだまだ人生折り返し地点に居る私は、全部を緩み切っては後がないことは、頭に置いておくことにして。

年を取ると身体は老いていくから、何をしようとしても、根気だとかやり遂げる力だとか我慢強さだとか、若い頃以上に必要になってくる。

仕事にしても家事にしても、例えばそれが、趣味だとしても、そうかもしれない。
「目の老化」がすすんでピントが合いづらくて見にくいし、更年期のせいか、「膝」にこわばりや痛みがきたりして、今年の山椒採りは例年以上に大変そうと、ちょうどいま感じているところ。

年をとると、予期しないところで、身体が変わっていく可能性も多いってことね。

あと、何をするにも、筋力が必要よ。
ペットボトルのふたも、若い頃のように、すぐには開かないんだから。

少しでも負担を減らそうと思えば、筋力を鍛えなければならないけど、それをするにも、根気や継続力が必要。

その時に活かされるのが、若い頃に得た力。根気や我慢強さや継続力や体力。

年をとる度、筋力や体力は落ちていくから、対処をしている人、いない人とでは、個人差はあいていくのかもしれない。

人と比べる必要はないけれど、「健康」を追求していくのが幸せの象徴だと思っている私は、その力を若い頃に蓄えておいてよかった。

「健康」を追求していくにしても、根気が必要だからね。


だけど、心身のバランスを崩すと、とんでもなくしんどいから、「多少」頑張る程度でよかったのかな。 


先週、息子の農薬散布を手伝った。

3日目。
「なーんか楽すぎひん?私ら、いま、一日何リットル(散布)してるん?ひとりでするとき、何リットルするん?」

「ひとりでするとき、2000リットル!
ふたりでするとき 2000リットル!」

息子は平然と答える。

「なんでやねん!ひとりでするときと、ふたりでするときと同じ量でどうするねん!」

3日目にしてやっとツッコミを入れた私に、息子はヘラヘラと笑っていた。

「それはアカンやろ!」

若い頃は父ちゃんと母ちゃんで、一日4000リットルしてたわ。最近でも一日3000リットルはしてたで。
通りで楽やと思ったら、どうゆうことやぁっ!

若い頃に多少無理しとかな、あとがしんどいで。年いったときに同じように身体動かへんで。

今の時代ともなれば、「老害」ともとれるかもしれないが、息子にどこまで通じたのか定かではない。相変わらず、ヘラヘラしてた。

若い最中に居ると、ずっと身体は同じように動くと思うよね。
私もそうだった。
だけど、いつまでも同じように手伝うこと、できひんで。


次の日、朝早くから取り掛かって、散布量を増やした。


その日の夜、「ギンギラギンにさりげなく」をマッチが歌っているのを久しぶりに見た。

還暦近くのマッチが、あの振り付けで歌って踊るのは大変そうだった。

だけど、若い頃以上に、渾身の一曲に魂を捧げているように見えた。

もちろん、あれだけ歌って踊るだけの体力を維持するには、年齢相応の努力をされていると思う。
それでも、あの忙しすぎた若い時代を生きたマッチにとって、今の方が楽に生きていらっしゃるのかなと、歌っているマッチを見て思った。

若い頃の苦労があってこそ・・・よね?!

失礼ながら、ファンでも何でもないが、今の方が好感がもてる・・・かな(笑)心なしか、表情が柔らかく穏やかで優しそう・・・。


私もそうだといいな。

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