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「創作を楽しみ続けること」は、贅沢なことかもしれない。

先日の私は、いつもと違った。

だって、夕食を作るのに、ルンルン気分だったから。

灯油を買いに行くという主人を「行ってらっしゃい」と見送り、さあ、夕食作りをしましょう!と、台所へ向かった。

気分はルンルン気分だから、鼻歌まで出てくる。

・・・とここまできて、そんな自分に驚いた。

いつもの夕食作りだと、鼻歌交じりで手を動かすだなんてことは考えられない。

薪で風呂を焚きつつ、時間に追われ、さすがに昔に比べれば料理に対して苦手意識はなくなったけど、その時間はせわしい。

ところがところが、その日は、予定外の雨が降ってきて、お昼からの仕事はお休み。

義父と義母はそれぞれお出かけ。

めったにないだ~~~~~~~れもいない家で、開放感あふれる気持ちで、余裕のある時間を使ってお料理。

たいしたものは作れないけど、何を作ろうかと気分も乗ってくる。

いつもなら息子に合わせてがっつり食べられる一品料理を用意して終わりだけど、今日はちょっと時間をかけて作ろう。

魚の香味焼の魚に塩コショウ、スパイスをかけてねかしているうちに、大根と人参のきんぴらを作って、最後は卵焼きまで作った。

味付けはどうしようか。料理の工程はどうしようか。

考えているうちにワクワクしながら作った三品。

料理は創作とよくいうけれど、ワクワクしながら考えながら創り上げることは、贅沢な気分にさせてくれた。

普段は料理をするのに、そこまでワクワクしない。

魚をねかせる時間の余裕が、あってのことだろうか。

今回は創り上げる工程を考えているあいだ、脳にドーパミンが分泌されていたかもしれないくらい、ワクワクしていた。

このワクワクした気持ちを感じたとき、「あ、『note』が書けるじゃん」と気づいて、「出だしはどうしようか。」「ワクワク感を伝えるにはどうしたら」と、思い始めると、今度は『note』を書くことが楽しみでワクワクしてきた。

楽しく考えている間は、日常から離れて、異時空間にいるような錯覚でさえする。

それがなんとも贅沢な気分にさせてくれる。

『note』で「一番大事なことは、創作を楽しみ続けること」と言われているように、楽しめなくなっては続けることが出来ないかもしれない。

今回は、時間のゆとりが気持ちに余裕をもたせ、料理を楽しめた。

1年ほど前、「note」に【私が今たのしんでいる『創作』2選】と題して、「note」と、今もやっている「(柿の木の)剪定」を挙げて、創作の過程を楽しんでいることを、書いた。

今でも基本楽しみ続けているが、どうしても気持ちが行き詰ることもある。

現に今回「note」に関しても、もう書くことがないかもしれない・・・と、少し焦っていたし、「(柿の木の)剪定」も、マンガで書かれたように枝が欲しいところにあるとも限らないので、樹勢がアンバランスな木だと考えるのが疲れたり、面倒になってくる。

料理も時間に追われていると、作ることで精いっぱい。

気持ちに余裕がないと「楽しむ」というところから、どうしても遠ざかってしまうけど、「創作」することは本来ならば楽しいことで、「創作」を楽しみ続けることは贅沢なことなんだと、今回の夕食作りで再確認できた。

これからも、「創作」を楽しむために、気持ちに余裕を持つことが大事だと気づかされた。

久しぶりに楽しみながら作った夕ごはん、いちばん美味しそうに食べてくれる娘に食べてほしかったな。

















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