お帰り。また帰っておいでよ。

何人かのフォロワーさんが参加されている「企画」が、少し気になります。

松下友香さんが企画されていて、多数のフォロワーさんが参加されていて、皆さん、銘々に素敵な記事を載せていらっしゃいました。

他のクリエーターさんが、今までの経験や、実際言われて嬉しかったことを書かれているなか、私は「言われたいこと」「もし、言われたら嬉しいこと」が真っ先に頭をよぎりました。

自分の気持ちのなかに、まだそんなモノが残っているのかと思うと、複雑な気分になりましたが、気持ちを整理するためにも、よい機会かもしれないと思って、書いてみようと思いました。

私には、両親が揃っていて、衣食住何不自由なく、健康な身体に育つよう、ほんの少しのことではへこたれないよう、母がそれはそれは気をつけて育ててくれました。

にもかかわらず、大人しく無口な父は一昨年亡くなりましたが、母との関係は悪く、今も疎遠の仲。

そんな私は自分が思っていた以上に、自分が恵まれていたことを、この「note」でもさまざまな境遇の中生きてこられた方に出会い、さらに思い知ることになりました。

だから、こんなことをさらすのは、恥ずかしい事なのかもしれない。
まだまだ甘いのかもしれない。

だけど、「言われて嬉しい言葉」。

このフレーズを聴いて、思い出すのは自身の育児のこと。

いま、この年になれば、母は母なりに、不器用ながらも我が子である私のことを思いながら、育ててくれた面もあるのかなと思うようになった。

だけど、「言葉」は時として、ナイフのように人の心を突き刺す。

いくら想ってくれていても、発する「言葉」ヒトツで、人は離れていく。

例え、血のつながった家族でも。

かつて、母から私へ向けられた言葉は、愛情のかけらヒトツ感じられなかった。
若いころ、実家を離れてもなお、しばらく足を運んでいたのは、その頃はまだ、親の愛情を求めていたからなのかもしれない。

だけど、足を運んでは追い返されを繰り返し、心休まる実家を諦めた。

いま、考えると何をどう言われたのか、細かなことは覚えていない。

いま思えば、母は満たされない思いを、ぶつけやすい私にぶつけていただけのように思う。
この間の久しぶりの電話だってそうだった。
すごい剣幕で私にぶつかってきた。


あのとき、私は、いつでも泣いて帰路に着いた。


辛い思いをするのならばと、実家から足は遠のいた。

義両親のいるこの家に嫁いできて、若い頃は、何度帰ることのできる実家がないことに、絶望したか分からない。


そんな私は、母のことを反面教師に育児してきた。

「ことば」ヒトツで、人の感情は動かされるんだと実感した私は、とりわけ自分の発する子供に向ける「言葉」について、気を付けた。

もちろん、子供に媚をうるわけでもなく、ウソをつくわけでもなく、真実を。

大事なことを伝えるときには、感情のまま伝えるのではなく、冷静に。

母に言われて嫌だった言葉はかけずに、自分が言われて嬉しい言葉を。

自分だったら、どう言葉をかけられたら嬉しいだろう。

どう言葉をかけてほしいだろう。


私はいつだって両親にかけてもらったことのない、その言葉を探しながら、子供に接していたような気がする。


どうも親とのコミュニケーションが少なかったからか、子供へもどう接していいのか分からないときもあった。今だってそう。

娘は、ちょうど私が実家と距離を置き始めたその時の年齢となるから、少し戸惑う。

4年前、県外の大学へ通うことになった娘は、下宿することになった。

この春卒業で、引き続き、ひとり暮らしを望む娘が実家に帰ってくるかどうかは分からないが、卒業すると戻ってくる。

娘が大学に通った4年間のあいだ、幾度か我が家に帰省しにきた。

娘が帰ってくると、「お帰り」と必ず声をかけ、下宿先に帰るときは、主人が娘を車に乗せて帰るときに見送る庭でも、時々は、地元の駅で見送る車の中でも、同じ言葉をかけて見送った。


また、帰っておいでよ。また、帰ってきてくれるの、待ってるで。


もしかして、娘にとって負担だったのかもしれない。

いや、別に何とも感じていないか。
信じられないくらい、帰ってこないしね。
それは、回りまわって自分に返ってきたのかもしれないけど、年に数回しか帰ってこない。
だけど、帰ってきたら帰ってきたで、ホクホクとした表情でいるし、気にすることないのかもしれない。



だけど、そうやって見送ってくれる人いたら、私やったら泣いちゃう。


そんなん言ってくれる人いたら、めちゃくちゃ嬉しい!


言われたかった。母にそう言ってほしかった。


いちどでもいいから言ってほしかった。


実家を出た娘の立場として、いちばん言ってほしい。


だから、娘だけでなく、主人の兄弟が来ても見送りの時に、自然にその言葉はついて出る。


ありがとう。また、来てよ。


そういえば、思い出した。

「note」をはじめてしばらくたったころ、調子が思わしくないパソコンが直って、数日開けることができなかった「note」に戻ってきたとき、多数の方が言ってくれた、「お帰り」。

これも嬉しかったな。

大人になって、「お帰り」って言ってもらえたの、この時だけかもしれない。

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