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完全同居に関して、夫よ、私はそうやって今まできたのよ。

この時代、老々介護とはよく聞く言葉だ。

介護する側、介護される側のどちらも、65歳以上のことをいうそうだ。

ご自身も老人の域となる65歳以上の方が、それ以上に年老いた親の世話をするとなると、かなり心身ともに辛いものがあるのかもしれない。

夫も年齢が達していないにも関わらず、自分のことを「老人」と定義し、「老々介護はつらい」とこぼす。

夫自身が60をまわって、身体の状態がそれまでと違う状態というのは、見て取れるので分かる気がする。

もともとのキャパもどうだか分からないけど、更にキャパがちいさくなり、義父母に対してイライラすることが多くなってきた。

義母の認知症の症状が現れるたびに苛立つ様子をみて、自分の母親が変わっていくサマを、受け入れられないのかなとも思った。

ときどき、義母に強い口調で罵るほどあたってた。

また、薬を規定通りに飲まない義父に、苛立ったりもしていた。
筋力が劣っていくからと、歩くことを進めても、長続きしないことにも、ヤキモキしていた。


そのうち、私に義父母のことを愚痴るようになった。


もうええやん。

義父さんも義母さんも、ちょっと年とっただけやん。
基本的な性格はなんにも変わってないで。

あなたは、義父さんや義母さんのことを、自分の思うように変えたいと思っているだけじゃない?


一瞬間を置いた夫は、珍しく素直にうなずいた。


そうかもしれんなぁ


気のせいだろうか。
それから、義父母に対する接し方が柔らかくなった。


義母なんて、「認知症がすすんだ老人に対して、家族のあたりがキツイところもあると聞くけど、何でも優しく問うてくれるから嬉しい」と、夫のことを絶賛したともきく。


私との会話のやりとりで、自分の両親の老いを受け入れつつあるのかなとも思う。


「もう何いうても仕方がないやん」と、諦めにも似た言葉をこぼしていたけれど。


一概にいえないけど、いま、介護される側の80代90代の方って、分かりやすく言うと、いきなり高齢者になった感があるのかもしれない。

ご自分の親が、長生きの域に達した場合もあるだろうけど、親の介護をすることなく見送った割合も多いのではないだろうか。

義父母も、全く介護の経験がないまま、自分自身が高齢者になったことになる。



義父は、母親を幼い頃に、父親を40代のころに亡くしている。

私が嫁いできてから、義母の母親は90代で亡くなったが、認知症がすすでいたものの、介護らしい介護は必要なかったようだ。

義母の父親に関しては、夫が幼い頃に亡くなったときいた。

さらに言えば、義母が嫁いできたときには、義母の義祖母にあたる夫の曾祖母がいらっしゃったというが、90代の高齢まで生きたにもかかわらず、認知症は全くなく、やはり介護は必要なかったという。



そうかんがえると、女性は平均寿命がながいだけあって、丈夫なのかな。


とはいえ、自分の「老い」と向き合いながら、親の「老い」とも向き合わざるを得ない「老々介護」は、何のしがらみもなしで出来るものではなく大変そうだ。

うちはまだまだ「介護」の域に達していないにもかかわらず、そう感じることが多々あるので、実際はもっと大変だということが想像できる。


だけども、老々介護の域に達していて、今現代の60代70代の介護する側の方たちは、大変な思いをしながらの介護をしつつ、自分自身が高齢者になる準備を整える期間に充てることができるのではなかろうか。


ヘルニアになった夫は、医者に農作業を止められているが、全くしないとなると、筋力が衰えていくといって、少しずつ仕事をやり始めている。

義父の終焉に向かっている延命治療についても、いろいろ考えさせられることがあるみたいだ。

私自身も、義父母の傍に居てるせいか、「老化」についてよく考えるようになったし、「老化」は自然に行くまま受け入れるつもりだけど、なるべく子供たちに負担をかけないようにするためにできることを探している気がする。


その思いは、義両親の傍にいるから感じるということも外せない。


ときどき、夫と年老いた義両親を、他人事のように観察している自分の存在に気付く。

家族うちのことなのに、どこか冷静に居られるのは、義両親の介護の度合いが軽いからなのか、私が夫と年が離れているお陰で若いからなのか。

いずれにせよ、実祖母ふたりと、実父を見送ったときとはちがい、日常的に義両親と接することによって、完全同居でなければ感じなかっただろう、人間の「老い」を肌で感じながら、大事なことを学ばせて頂きている気がする。


そんな環境のなか、高齢者になるための準備期間を与えられていることは、めぐまれているのかもしれない。


だけど、言えなかった。

「あなたは、義父さんや義母さんのことを、自分の思うように変えたいと思っているだけじゃない?」のあとに、「わたしも途中気付いて、路線変更してきたのよ」と。


わたしも、そうやって今まできたのよ。と。

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