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娘の帰省

また、帰ってきてね。待ってるよ。


娘を見送るのに、必ず言うようにしている。

見送ると同時に、ほっとする気持ちと寂しい気持ちと。

先日、わずか数日の滞在の後、娘は下宿先へと帰っていった。

数か月に一回帰ってくる娘は、帰ってきても忙しい。

幼なじみに会い、町内の中学の友達に会い、市内の高校の友達に会い、県外のサッカー友達に会う。

家で食事をとることは少ないけど、娘の分も用意しておくことにしている。
次の日に、かならず食べてくれるから。

凝った料理もできないし、いつもと同じ手抜き料理だけど、知らず知らずのうちに、いつもは居ない娘のためにと、力が入る。

買い物へ出かけると、娘が食べるであろうデザートを用意して、これくらいなら持って帰れるであろう、手荷物を持たせて見送る。


何かしら私の好物を用意して、「おかえり」と出迎えてくれる実家は、お腹も心も満たされて、「また、帰っておいで」と、待っててくれる人がいることを実感しながら、また自由な日常の生活へ戻れることを嬉しく思いつつ、少し寂しさ感じながら帰路に着く。


そんな、実家がよかったな・・・。

そんな、お母さん、居てほしかったな・・・。

とうの昔に実家へ対する気持ちも、折り合いをつけたのに、娘を迎え入れながら、ムクムクと湧いてくる感情。

もういい年なのに・・・。

だけど、育児で自分が、親にしてほしかったことをして、煮え切らない感情を埋めたように、これもまた、帰ってくる娘を迎え入れることで、埋められていくのだろう。

私が最後に帰省したのは、まだここまで疎遠になっていなかった、結婚して子供ができるまでのこと。

結婚してから、その一回きりだったから、「〇〇さん(主人)と、喧嘩でもしたん?」とお見通しのことを言われたけど、お茶の一杯もでなかった。

夜おそくに、自分で車を運転してやってきたものの、別に母とケンカしたわけでもなかったけど、なんだか居心地わるくて、早朝にとんぼ帰りをした。

自分で運転できた当時、大阪の実家まで二時間ほど、車の混む時間帯でなくて、爽快に走れたことだけが記憶に残っている。

その後、数年たって父が定年をむかえ、こちらの故郷に戻ってきて、両親は新居を構えた。
新居へは行ったことがない。


私の知る実家は、もうない。


そんなに良い想い出のある実家ではないけれど、ないものねだりなのか、帰れなくなったと分かると少し寂しかった。

だけど、こちらに嫁いできてからの年数が、実家で過ごした年数を上回り、「住めば都」で、ここの自然いっぱいの環境は好きだし、実家はもうなくてもいいか・・・だなんて、強がりを言ってみる。

主人の兄弟が帰ってくる場所であり、娘が帰ってくる場所である、この家で、出来る限りのことをして出迎えることができるのも、また幸せと思うことにしようか。


食べ物いっぱいありがとう


手渡す時間がなくて、娘が友達に会いに行っている間に、手提げ袋のなかにねじこんだ、手土産のお礼のラインが娘から入った。

その一言だけで、嬉しくなる私って・・・。(*ノωノ)










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