「コメント欄」が教えてくれた、私と成人した娘のこれからのこと。
県外の大学に通う娘は、大学の近くで下宿している。
実家へ帰ってくるのは、年に3回か、4回ほど。
今春、卒業し、社会人になる娘は、帰ってきても、ほぼ部屋に閉じこもりきりだ。
あとは、ほぼ友達との約束で埋まっていて、私たちとの関りはなく、2泊ほどして、あっという間に、また元の下宿先へ戻っていく。
別に、親子喧嘩をしているわけではない。
もともと、親子関係がサラッとしている。
ラインのやり取りもめったにしない。
来るといえば、「遠征費いるねん」「教材費いるねん」などの「仕送りプラスお願いね」の要件だ。約束通り、レシートの画像も一緒に。
「note」で同世代のお母さんとお子さんの話しを見聞きするが、うちほどサラッとしている関係は珍しいのかなと思う。特に母と娘の関係でいうと。
それはやはり、私自身が、両親と良い関係を結べなかったが故のこともある。
それくらいの年代の子は、親に構われたくないのよ。
と、放っておいたのは私。
だけど、ここに至るまでの経緯があった。
娘は、もともと私を必要としてくれた。
いつも、私を呼んで必要としてくれた。(息子は、そんなに呼んでくれなかった)
女の子って、こんなにもお母さんのこと、好きなんだと驚いたくらいに。
その状況が変わったのは、彼女のなかの世界観が、広がっていったからかもしれない。
山のちいさな学校から、統廃合のため、高学年で町の小学校へ転校。
その後、中学校、高校となるにしたがって、どんどん世界は広がった。
心配した友達作りも、もともとの性格もあって、器用に作っていったみたいだけど、中学生の頃からガラケーからスマホに変わり、スマホを駆使して、彼女の世界はどんどん広がっていった。
一方で、部屋に閉じこもり、スマホを触る時間は増え、通学時間のかかる市内の高校に進学すると、通学と部活でいっぱいいっぱいだったので、会話する時間はどんどん減っていった。
休みの日は部屋にいたが、もともと土間の台所から靴を脱いで、義母がよくテレビを見ているリビングを通って行く、となりの娘の部屋へはどうしても足が遠のく。
私が母屋の部屋に上がるのは、仏壇にご飯を供えるときだけだ。
子どもとの会話が減っていくのは、親離れ子離れが順調よく進んでいるのかもしれない。
だけど、あまりにもサラッとしすぎじゃない?
まだ、息子の方がすこし喋ったりするかも。
幼い頃のように甘えることはなくとも、もう少しすり寄ってきてくれてもよいのにだなんて、都合のよいことを考えるが、私自身が他人に会話を介して、歩み寄っていくのが苦手なので、どうしても面倒に感じるのも本音。
別に、それで不都合も感じないし、私が作ったおかずは、いちばん美味しそうに食べてくれるし、なんてことなかった。
そのまま、家を出て大学に入学してから、ずっと状況が変わらないだけだ。
だけど、決めた。
娘が帰ってきたら、少しでもいいから、私から会話をしに行こう。
ひと言でもいいから。
2~3週間何も連絡なかったら、「元気?」でもいいから、ライン送ろう。
そう決めて、前々回に帰ってきたときは、母屋の上がり小口のところで、話しかけた。
前回帰ってきたときには、部屋まで行って、娘と目線をおなじにして話しかけた。
少しだけドキドキした。
娘と同じ年のとき、わたしは母と、まともに話しをしていない。
何を話せばよいのか分からなかったけど、とりあえず、一番聞きやすい部活の話しを聞いた。
あと、友達の話しを聞いた。
すこしだけ。
娘からの返事は、つっけんどんではなく、意外にもふわりと返ってきた。
うわぁっ!意外!
娘から、会話を振られることはなかった。
だけど、普通に会話ができた!
よかった!
私にとって、22歳の娘と話しをすることは、ちょっとハードルが高い。
どうしても、あの頃の自分が、見え隠れするから。
鬼の形相をした母。おそらく私もそんな形相をしていたのかな。
罵りあう私たち。
何をそんなに、私のことが嫌いなのか。
別に叱られることを、したわけでもないのに。
泣きながら、会社の寮へ帰った日々。
そのうち、足は実家から遠のいたけれど・・・。
だから、久しぶりに普通に会話できた安ど感は、半端じゃなかった。
娘は、私じゃないと分かっていても・・・。
私は、母じゃないと分かっていても・・・。
ほんとに、よかった。
5年後、10年後のことを考えて、出来ることをしていこうと思ったのは、「note」でのコメント欄で、様々な方とお話しさせて頂いて、思ったから。
何気ない会話って、大事だなぁって。
すこしでも会話を重ねると、イメージしていた、その人の「人となり」が、変わることがある。
さらに優しいほうへ。
会話の内容によるのだろうけど、皆さん、どの方も優しい。
だから。
娘とも、すこしでも会話しなきゃ。
そう思った。
まずは、一言でも、いいから話しかけてみようと思った。
それが、私のいま出来ること。
小さな小さなことかもしれないけど、ちいさな積み重ねが、5年後、10年後の、私たちの関係を築いていると信じて。
先日は、娘が可愛がっている犬が、雪と戯れている写真を、ラインで送ってみた。
あとは、年になんどか、娘の好みそうな食べ物なんかを、仕送りしている。
「想いよ届け」とばかりに。
「ありがとう。こっちは全然、雪、降っていないよ」と、返事がきた。
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