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ヨシ!文化祭の思い出を書こう!

と、思わせてくれたのは、いつも明るく話しかけてくださるフォロワーさんのららみぃたんさんが、なにやら面白いことをしていたから。

noteで文化祭をするだなんて、思いつくなんてすごいよねぇ。

いろんなコーナーを設けて、参加できるコーナーに応じて、記事を投稿してね!ってな催し。

わたしは、クラスのなかでは目立たないし、行事も参加していないようなもの。

企画に感心はするけど、今回は参加はないかなと思案しながら、各コーナーを回ると、あった!

わたしにも参加できるコーナーががあって、ふと立ち止まった。

そういくつもネタを持ち合わせていない私が、学生のころにわずかに残っている思い出のなかで、「note」を始めるときに、いつか書く機会があれば!と思っていた私に、ピッタリのコーナーだ。

そのときの写真が確か1枚あったはず・・・。

「あれば」書こう!とアルバムを引っ張り出すとあった!

参加する意欲は、更にマシマシになった。


私が通った高校は、地元の他の中学校からもかなりの数の子供が通う高校だった。

クラスの子のうち7割から8割は、その高校に通ったから、そう偏差値の高くはないふつうの学校だったけど、1学年12クラスのマンモス校だった。

最終学年3年にあがるときには、「就職希望」「文系大学進学希望」「理数系大学進学希望」のクラスに、自分の希望で振り分けられる。

わたしは、12組の理数系のクラスに在籍していた。

私が理数系を選んだのは、数学が得意科目だったからという理由だけだが、理数系のクラスは、12組のひとクラスのみで、女子がクラスで5人だけのそのクラスは、ちょっと存在的に浮いていたのかもしれない。

私たち5人は、すぐにおしゃべりできる仲になったが、どの子も積極的に男子と絡むタイプではなく、クラスの中ではいつも女子だけで固まっていた。

そんな私たちに、高校最後の文化祭の日が迫ろうとしていた。

担任の社会科のおじいちゃん先生が、クラスの皆に呼び掛けた。


今回の文化祭は、クラス皆で「気球」を作ったらどうかね。


どうやら、物理の先生が、中国発祥の紙と竹でできた気球、「孔明灯(こうめいとう)」を作ったらどうかと持ち掛けてきたらしい。


私たちのクラスは、まとまりがなかった。

やんちゃな男の子たちが数人、クラスを盛り上げたりはしていたけど、大人しく真面目な人が多かった。

担任の先生も、定年をまじかに控えたおじいちゃん先生だったから、良い先生だったけど、クラスを引っ張って先頭に立つということもなく、盛り上げに欠けるようなクラスだった。


そのクラスの子たちが、その日から、放課後、大きな型紙を広げながら、「孔明灯」作りに精を出した。

教室がちょっと狭かったくらいに大きな型紙を広げていたのを、覚えている。

枠は、竹ひごか何かを使っていた気がする。

いまとなっては、記憶が定かではないが、作業を進めていく数日のうちに、私たち女子は、男子が中心となって作業を推し進めていくのを見守っているわき役だったが、同じクラスになって初めて会話を繰り広げた。


クラスの半分以上の子が作業に加わり、とうとう当日、文化祭の日がやってきた。

グランドに、クラスの大半の子がでてきた。

男の子たちが、完成した孔明灯を、大事そうにゆっくりゆっくり運んできた。

私たちもそれを見守る。


よし、いくぞ!


ひとりの男の子が、孔明灯の底のランタンの部分に火をともす。


しばらくして、孔明灯の内部は、さらに膨らみを増したかと思うと、空にひっぱられるようにして浮き始めた。


孔明灯を持っていた数人の男の子たちが、手を離すと、ゆっくりと浮きはじめていたのが、スピードを増して、更に空高くゆっくりと上がりだす。


わぁっ!



あがった!あがった!



皆、目線を同じにして、空高く舞っていく孔明灯を見守りながら、思い思いの歓声を上げる。


クラスが、あのとき、一番まとまった瞬間だったかもしれない。


グランドの空高く、校舎とおなじくらいの高さまで舞い上がった孔明灯は、数十秒から数分の旅をおえて、再びグランドに降り立った。


文化祭がおわると、私たちのクラスは、元の雰囲気に戻った。

あの瞬く間の、文化祭のあいだ、そして、準備に取り掛かった時間、いかにも高校生らしくはしゃいでいた。


地元をはなれ、年をとって、過去のことを思い出すなかに、そう私自身のきらめくような思い出はない。


だけど、文化祭といえば、唯一この時のことを思い出す。


当時は感動はしたものの、そこまで煌びやかな思い出として残るとは思わなかった。


歳をとって、当時の担任の先生のイメージも変わった。


とても感謝しています。


孔明灯をあげることを発案してくれた、物理の西ピー。

そして、普段は担任として何を言うでもないのに、あのとき、私たちに言葉を発してくださったしょうちゃん。


ありがとうございました。

           ※先生のなまえは、私たちの間の愛称です。

                         << 完 >>


今回、この記事を書くにあたって、「孔明灯」をググりました。

記憶が定かか自信がなかったので。

覚えているもんだなぁ・・・と、感激しました。

書いていくうちに、当時の教室にタイムスリップしたような、そんな感じがしました。

教室の様子、空高く舞い上がる孔明灯、目の前になつかしく浮かび上がり、楽しかったです。

素敵な企画を立てて下さり、ありがとうございました。

私にとって、自ら参加した二度目の文化祭かもしれません。

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