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赤瀬川原平写真展「日常に散らばった芸術の微粒子」_230303

きっかけはInstagramの広告だっただろうか。赤瀬川さんという写真家も、ピラミデという場所も知らないまま、そのキャッチーな写真に心惹かれた。

金曜の午後、仕事をさぼって(いや、リサーチの一環だろう!)六本木のピラミデビルにやってきた。よく調べずに来てしまったが、私でもその名を耳にしたことのある、ペロタン、TARO NASU 、オークションハウスのフィリップスなど含めた10ほどのギャラリーが1つに集結するビルだったので驚いた。(普段歩かない場所を散歩するとやはり発見があるものだなぁ)

今日のお目当ては3階SCAI PIRAMIDEの赤瀬川原平写真展。入口がわからず軒先を若干うろうろしつつ、怖気付く気持ちを整えて扉を押す。ギャラリーに入るのは、高級ブティックに入店するときのようでいまだに緊張する…

あたたかな午後の光も相まってだろうか、ギャラリーの中の空気は思いのほかとても柔らかく、拍子抜けしたのを覚えている。
白い壁には、壁ごとに20枚ほどの写真が並べられていて、近くのキャプションを読み込んで本展の趣旨をやっと把握する。

赤瀬川原平という写真家が1985年から2006年までに撮り溜めて、自宅の書斎に遺していた約4万点未発表の写真の中から、6名の現代美術のアーティストが自身の目線で厳選した約120点を紹介する展覧会だそう。

▲ギャラリー内の様子。
写真が小さめなので一見地味だが、
各アーティストのリスペクトと愛があふれていて大いに見応えあり

初めて見る赤瀬川さんの作品には不思議な魅力があった。日常風景を切り取った写真が多いのだが、ちょっと変な景色だったり、なんか可愛いと思ったり、ちょっとした「!」や「?」を見逃さずに、いちいち記録しているような。肩肘の張りすぎない、社会への斜めの目線というかいたずらな茶化しみたいなのが、120の写真たちから空気に伝播しているような空間だった。

赤瀬川さんは1960年代は前衛芸術家として活躍し、70〜80年代は漫画やイラストを雑誌などに寄稿されながら、86年には路上を観察し機能を失った美しく無用なものを「トマソン」と名づけ観察する〈路上観察学会〉を結成・活動していたそう。

「トマソン???」得体の知れない言葉に戸惑いながらも、ふつふつと嬉しさが込み上がったのはきっと私だけではないような気がする。
だって、日常の景色、人との会話や身体動作には、思わずツッコミを入れたくなるようなちょっと変なことが散りばめられているから。他の人に言っても仕方がないだろうなぁと思うそのどうしようもない違和感を、流さずに掬い上げるのって、アリなんだ!しかもそれって芸術だったんだ!と子どもの頃からの自分を肯定された気分。身体が柔らかくあたたまっていく感覚は、今日の私をも励ましてくれている。

(これってもしかして”芸術の力”ってやつなのか・・・!?)

▲選者の1人、風間サチコさんのあまりにも鮮やかで素敵なキャプション。
(写真があり得ないほどボケて泣いた)
「野次馬的観察眼で、社会をおちょくらずにいられない衝動」が赤瀬川さんにはある。それは自分の中に「『時代の不要物を保護しなさい』という天啓」をもたらしたそう。

火照った頭で出口に向かうと、ここSCAI PIRAMIDEは外からはすりガラスだが、中からは外が見えるマジックミラー仕様であることに気が付く。
急に冷静になり軒先でグダグダ入室をためらっていた自分が見えていたのではと一気に気恥ずかしくなる。と同時に、今まさに同じようにまごついているガラス越しのお兄さんが私にはどうにもおかしく、いとおしく見えるようになっていた。

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