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アイスランドから見る風景:vol.3 電気羊とアンドロイドーSF論①

アイスランドの自然を連想させる文芸作品と考えたとき、どのジャンルが一番初めに頭に浮かんでくるだろうか。最近は北欧のミステリーが人気のようだが、わたしは迷うことなく、サイエンス・フィクションとファンタジーをあげるだろう。その二つのうちでも、アイスランド内陸独特の、他の惑星を思わせるような、岩と石だらけの乾燥した無機質な荒地は、まさにSFにうってつけの舞台のように思える。事実、アポロ計画に参加したNASAの宇宙飛行士たちは、1965年と1967年にヴァトナ氷河の北の内陸部で月面を想定した訓練を行っている。

そんな不毛な土地に足を踏み入れることができるのは、たいてい夏の時期に限られる。高度が高いために、風が強く、気温も低い。地面に這いつくばるようにして育つアイスランド在来の高山植物でさえも、その植生が危ぶまれるほどの厳しい環境である。しかも、歩きにくいこと、この上ない。岩や石のひとつひとつが武骨に大きく、下手に上を踏みでもすれば、足首を捻るには造作ない。斜面でバランスを崩し、止まる足場もない砂利に足を取られれば、滑って転倒するのも簡単だ。

しかし、そんな肉体的な困難よりも、アイスランドの荒地には、もっと恐ろしいものが待ち受けている。それは、自然の持つ別の顔、無慈悲な無関心だ。自分の存在が壮大な自然の中に無に等しいところまで還元され、しかも周りに何の生き物を感じることができない風景の中に身を置いたとき、ひとはこれまで体験したことのない、恐怖にも似た孤独を知る。偉大なものの前では、ひとの生死に意味はない。屹立した自然は、わたしたちに生きる意味を教えてくれないどころか、わたしたちの存在にさえ気が付かない。わたしは、ひとが宇宙に出たときにも、きっと同じような孤独感を感じるのではないかと思う。

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そんなことをつらつらと考えるとき、わたしは、フリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1977)を思い出す。この題名を聞いて、すぐにどの作品か分かる人は、間違いなくSFファンだろう。『ブレードランナー』(1982) という映画のタイトルのほうが、ずっと人口に膾炙している。リドリー・スコット監督、ハリソン・フォード主演のこのSF映画は、独特の世界観を持つ映像の斬新さで新しいSFのジャンルを開拓した。2017年に続編の『ブレードランナー2049』が公開されたことで、1982年の映画を再度見たファンも多いと思う。現在この映画を観ても、花弁が開ききって濃厚な芳香を放つ薔薇のような、1980年代のあの退廃的な空気が感じられて大変興味深い。

舞台設定や時代背景こそ類似点が多いものの、映画と原作はストーリーが大きく異なる。1回目の読書では、感動的だった映画の再体験を期待して本を手にしたので、小説と映画のあまりの乖離にがっかりした記憶がある。しかしその後の再読で、以前には読み取れなかったストーリーの陰影がよく理解できるようになった。それだけ年を取ったのだろう。

両作品とも、”生命”の持つ肉体と精神がテーマだ。しかしながら、原作においては、対峙する他者への見方が変わったのは、共感という能力を持つ人間だけで、アンドロイドは感情から隔絶されたヒューマロイド・ロボットの域を出ない。言ってみれば、人間側からの歩み寄りが多少あっても、関係は依然平行なままだ。それに対し、映画では両者は違う立場ではあるものの、限りある生命に対する賞賛とその儚さへの哀しみを共有することで、お互いが相手と向かい合う。人間とアンドロイドの機能的な境界線が薄れていく中、それでも間隙を埋めることが困難であるとするのが原作、埋めることができる可能性を否定していないのが映画、と言ってもいいのかもしれない。

わたしがアイスランドの自然を想起するのは、原作の方だ。映画では舞台はロサンジェルスだが、原作ではサンフランシスコになっている。どちらでも、ストーリーの大部分は、荒廃した都市部で起こる出来事だ。しかし原作では、小説のクライマックスー主人公のリック・デッカードが世界と自分との関わり合いを理解するーその決定的な場面の舞台が、郊外の荒地になっている。モノの残骸がまだ残っているオレゴンに近い場所、という設定ではあるものの、全体としては、「家ほどもある大きな岩」が「隣りあってにょきにょき立っている」(『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』早川文庫/浅倉久志訳)場所だ。作品を読んだわたしの心象風景が、アイスランドの荒地に合致したのだろう。

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この連想は、世界認識の変容が起こったトポス、という意味合いで考えていただいて差し支えない。6体のネクサス6型との遭遇を通して、賞金稼ぎ・デッカードの世界観は崩壊した。そしてそれに絶望した主人公は、荒地で死を選ぼうとするが、ここで一種の啓示が起こる。わたしの場合は、小説ほどドラマチックではないが、アイスランドの荒地で、自分よりも何か大きいものの存在を知った。そして、その偉大なものの前で、自分の生に何か意味を見つけようと格闘することが、まったく無意味であることを痛感したのだった。”啓示”というよりも、”気づき”というほうが、わたしの場合はしっくりするが。

アイスランドの自然とサイエンス・フィクションの融和性が高いのは、ハリウッド映画の撮影が数多くアイスランドで行われていることからも推察できる。例えば2012年に、前出『ブレードランナー』のリドリー・スコット監督はマイケル・ファスベンダー主演で『プロメテウス』を、ジェゼフ・コシンスキー監督はトム・クルーズを主演に据えて『オブリヴィオン』をアイスランドで撮影している。スター・ウォーズのスピンオフ『ローグ・ワン/スターウォーズ・ストーリー』(2016)も同様に、アイスランドを借景とした。

今まで、サイエンス・フィクションに興味がなかった方たちは、ぜひともこの機に試していただきたいと思う。わたし自身、まずは視ることからSFの面白さを知ったので、視覚・特殊効果を駆使した映画のほうが、この世界に入りやすいかもしれない。でも、その後は、小説を読むことをお勧めする。想像した世界を、実際の自然の中に見つけたときの喜びは、そう何度も味わえるものではないだろうから。



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