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アイスランドから見る風景:vol.1 いそぐ夏

夏休み、と聞いて頭に浮かぶのは、八月葉月だ。早朝のラジオ体操を終え、スタンプをもらって家に帰る頃には、日差しは強まり始め、方々から蝉の声が聞こえてくる。舗装されたアスファルトの空気が、太陽の熱にゆらゆらと踊るように動く。庭に撒いた水が、辺りの温度を下げるのもつかの間、地面の染みが吸い込まれるように短時間で消えていった。手から振り払った黄色と黒の模様の蜘蛛、甘いものに群がる蟻の群れ、黒と白のやぶ蚊のお腹が血を吸って大きく膨らむ様子。わたしの記憶の日本の夏は、熱気と強い日差し、そして昆虫たちに彩られている。

アイスランドでは、そんな夏の盛りは七月だ。ただ、同伴者は沈まない太陽と冷えた空気、そして小雨があることが多いものの。

アイスランドの夏は、暦のうえでは四月の終わりから始まる。しかし、五月は夏にはまだ足りない。風景は未だ灰色のままで、草木は用心を解かず、地表から顔を出しもしなければ、新芽も固く締まったままだ。ところが、この様相があっという間に変貌するのが六月だ。日照時間が長くなり、7~10度くらいで気温が安定してくると、昼夜を問わず、植物たちは競い合うかのように、緑を深め、空へ向かってぐんぐんと伸びていく。そのあまりに性急さに、わたしはどうしても慣れることができない。夜の不在を好都合に、太陽が必要な植物たちは、休む暇もなく光を取り込み、成長を続ける。そして、その最盛期が七月なのだ。

夏のクライマックスが七月なのは、アイスランド人にとっても同じだ。アイスランドでの夏休みは、子供の学校が終わる六月二週目ごろから始まる。その一カ月後には、幼稚園も四週間閉まるため、小さい子供のいる親たちは、だいたい七月に入ってから休暇を取る。八月第一月曜日の祝日までが、夏休みの正念場だ。この二カ月の間の天気が、この国の住人たちの行動を文字通り”支配”する。彼らは太陽を求めて、いや、正しくは太陽を追って、島中を奔走することになる。彼らの多くは、夏に気温が上がる北部と東部を目指す。

アイスランド人が、この時期まとめてバカンスを取れるのは、労働契約上保障された権利があるからだ。アイスランドでは、少なくとも1年のうち、週日24日は有給休暇として認められている。勤労年数によって、休日日数はさらに増える。職場によって差はあるものの、例えばアイスランドの国家・地方公務員は、夏に20日間の有給を一度に取ることもできる。これは、週末を含めて考えると丸1か月に当たる長さだ。

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休暇が徹底していることの証に、公私企業を問わず、夏休みには”夏の仕事 (Sumarstörf)”という、すでに公用語になった、季節限定の仕事がある。正規社員がバカンスを楽しんでいる間、足りなくなった労働力を補うために、学生や非正規雇用者が従事する仕事の枠だ。これには、休暇を取る側にも、短期間限定で働く人たちにも、大きなメリットがある。

例えば学生たち。夏の労働を通し、新学期に必要な小遣いや学費を貯めることに勤しむ。数年後に就職を念頭に置いている大学生たちは、学業に関連のある職種を選ぶことで、実地研修も兼ねることができる。夏休みが長い学校の先生は、例えばバスの運転やガイドなどの観光の仕事をして、臨時収入を増やしたりする。夏の間くらい、異なる社会背景の人たちと交流してみたい、という勇敢な理由から、観光バスを運転する年金生活シニアもいる。中学生くらいの子供たちは、市や地方自治体が提供するアルバイトに従事する。道路の清掃や街路樹の植林、芝生刈りや草木の手入れなどが、その主な仕事だ。さすがに相手は子供だ、仕事のでき具合には、正直目をつむるしかない。それでも、この年齢で労働に対価が支払われることを学ぶのは、彼らにもいい社会経験になるに違いない。

休暇を長めに取る大人たちは、この時ばかりと家族サービスに力を入れる。天気予報をチェックしながら、キャンピングトレーラーで島を周る旅を計画したり、サマーハウスを借りて、一所でゆっくりとハイキングや釣り、乗馬を楽しむ家族もいる。子供たちのスポーツイベントも、夏の時期は地方で開催されることが多い。参加後に周辺のエリアで、子供の友達家族と一緒にキャンプをすることもある。夏は、共働きが基本のアイスランドの家族には、親子の絆を深める季節でもある。そして、他に空いた時間は、家屋の修理やメンテナンス、増築に使ったりするので、休暇を取っている大人たちは、仕事以外のことでも大忙しなのだ。

そんなふうに、アイスランド人は夏をいそぐ。アイスランドの植物とたがわず、白夜で長い一日の、一分一秒を惜しむかのように、遊び、働き、旅をして休暇に励む。一年のうち、この時期が一番短く感じられるのも、不思議ではない。それだけ、全身全霊で短い夏を堪能しているのだろう。

ワクチン接種も7月13日を最後に、夏休みに入った。ワクチンの保存や接種条件も理由の一つではあるだろうが、それでもアイスランドの厚生省と各地方自治体の保健センターは、”夏休み”を念頭に、接種計画を作り、そして予定通りに実行した。医療関係者が休暇を取れるように、そして国民たちが、ある程度安全な環境の中で、夏休みを楽しめるように。

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