Notes of a Dirty Old Man in Philipines

暫くお休みをしました。

十日の夜の八時頃に関空で飛行機に乗りました。
マニラに下りたのは、日が代わる夜中前だったはず。
何のトラブルも無く、イミグレーションを通れ、
一生懸命にゲットしたイートラベルは誰にチェックされることも無く、
入国出来た。ベリーハッピー。

直ぐに国内線のゲートへ向かい暫し休み、
セブ行きの飛行機を待ち、四時に飛行機が飛び立ち五時頃には、
これも無事にセブに着きました。
そう十一日火曜日の早朝のことでした。

面倒は嫌いで荷物はリュック一つ、身軽な旅のつもりが文庫本が主ですが、
十冊程も持っていたので重たい限り、
重い絶不,調から立ち直ってまだ日が浅い身にはこたえる。
恥ずかしながらリュック一つを台車に乗せて歩き出した、とさ。

そしてつまらない行き違い故でしょうか、
イクサイトを出れば迎えてくれるはずの私を今回もアシストしてくれるはずの、
彼女が居ない。
ワットハプン、分かりません。

ドメスティックエアポートはそんなに広い訳じゃ無く、
少し見て回っても二階からグラウンドと残りなく。
やはり居ないので、勝手知ったる飛行場のこと。
台車を押してアウトサイドのタクシー乗り場へ。

いつものお得なホテルの名を言えば六百五十ペソだって。
ビックリしてセブシティーまで行っても五百だったのは覚えてる。
三年前と但し書きが付くけどね。
客引きに言えば、オーケーオーケー、ファイブハンドレットに落ち着いた。
シニアシチズンプライスなんてふざけてる。
笑えない話し。

だからアシストをお願いした彼女を恨んだ。
メータータクシーも何処かに居るはずと思うし。
飛行場の中のイクスチェンジでペソをゲットしといて良かったねの話し。
一万円がアバウト三千八百だった。
分かっていたことだけど、これにも少し腹が立っていた。

早くも六時過ぎにホテルに入った。
食事でもして少し話して十時くらいには、のつもりだったけれど。
早速ホテルのWi-Fiを登録してメッセンジャーで彼女に連絡を入れた。
アーリーチェックインで割り増しを取られて三度目の少しの腹立ちを、
のみ込みながら、飛行場にいるみたいな彼女に、
直ぐにホテルに来るようにと拙い英語でのテクストのやり取り。

先回の彼女の最後のジョブは、
日本に帰るのに必要なペーパーを役所で貰うのをアシストして貰ったこと。
三年前のことです。
想えば三年間飽きずにメッセンジャーで連絡を取り合ってたんだな。

誕生日が来て三十九だったはず。
歳が違い過ぎてガールフレンドじゃあるまいし、
単純にアシスタントと私は呼んでる。
良い仕事に就いて無いみたいで、
その都度の小遣いは良い実入りのはずだったろう。

さて、
今私は最初の書き下ろしを始める切っ掛けを貰った、
同じレジデンスに居るんだけれど、やっと少し落ち着けて、
早いものでもう二十日だ。

七夜をホテルにいて同じ十八日火曜日の昼過ぎにチェックアウトをして、
私の目論見に彼女も都合を付けてくれて一緒にセブシティーへ向かった。
タクシーを上手く拾えないのでホテルの前からトライシクルで、
グランモール前まで。
タクシーに乗り換えて、メルカド(パブリックマーケット)近くの、
フェリーターミナルまで。

のんびりした船旅が良い、二十分程のこと。
これも私はシニアシチズンプライスだ。
セブシティーのピエールスリー(第三埠頭)に付き、タクシーでこちら、
ルイムビルディング(サントニーニョレジデンス)に到着。
四時過ぎだったはず。

ここで一緒に来た彼女をカルボンでお店を持って頑張っている、
私のガールフレンドに合わせるつもりの話しでした。
彼女も友達を連れていてロビーで少しのお話し。
そしてカルボンの彼女との約束の二人で私の部屋へ、しばしのこと。
ロビーに戻れば親しく彼女の友達とアシスタントの彼女が話してた。

カルボンの彼女が言い出して、ご飯を食べようとなりにけり。
私の行きつけだった近くのチャイニーズレストランへ。
あの頃とは比べようも無く多くのおかずが並んでる。
女三人寄れば姦しいはフィリピーナにも通じるようで、
ビサヤで話されれば私は蚊帳の外だった。
しかしデカい声だ。

カルボンの彼女の仕事が好調らしく彼女が払い持ち。
私を立ててくれてのことかもね。
うぅぅ~
貧乏年金生活者、助かった。
たった三ヶ月だけの顔を合わせてのお付き合いだったんだし、
三年も行き来は無くてのメッセンジャーでのやり取りだけでも、
さすが私のガールフレンドだ。

私が間に立っての経緯はまた明日のお楽しみ。
~~続く

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