香木への招待
まさかこれほど愛しく思うものと深い付き合いになるとは、その時は思いもしなかった。今でこそ香木が持つ精神的な、そして経済的な価値は理解しているつもりだが、その時の私には悪魔の誘惑とも言える、あまり良い出会いではなかったかも知れない。
今から9年ほど前の、神楽坂の会員制Barが「香木」との出会いの場だった。もう終電もない深夜、仕事でご一緒させていただいている、高齢の強面に1対1で誘われて入った。映画でしか見たことのない、店が来る人を選ぶような、まさに大人のBar。その圧倒的な雰囲気に気圧されていた。私はまだ新卒で入社して1年も経っていなかった。
強面の彼は静かに“仕事の流儀”を語ってくれた。博学の彼は仕事以外にも様々な話をしてくれた。どういった流れかは覚えていないが、正倉院の蘭奢待の話が出た。隠れ文字について、そして「香木」について。それまでの私は「香木」という存在・言葉すら知らなかった。まさに白紙状態。そんな“若いもん”が、高齢の彼には少し可愛く映ったのかもしれない。「お前はなーんにも知らないなぁ」と言いながら、彼は手帳を出した。分厚い年季の入ったまさに“黒革の手帳”。その中からひとかけらの木を出して、おもむろにZIPPOで炙り、その木の固まりに恍惚の表情で鼻を近づける。気持ちよさそうに何度か大きく呼吸した。「これなんだよなぁ」と語りつつ、木の固まりとZIPPOを預けられた。「君もやってみなさい」。
──私は正直、危ないものだと思った。Barにはもう私たち二人しかいないし、バーテンダーも店じまいの用意で遠くにいる。この機会を狙っていたのか?
早く出世したかった。ここで断ったらせっかくの大型案件がなくなってしまいかもしれない。迷った……。心の中の天使が「やめなさい!」。一方で悪魔がささやく「早く上に行くには必要なことだ」。私は悪魔に魂を売ってしまった。強面を真似してZIPPOで炙り、鼻を近づける……。
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