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【読書】2024年1月に読んだ本

仕事で大変な思いをしてしまい、うつが再発してしまいました。あらためて心療内科に相談に行きます。リハビリも兼ねて今月読んでいた本を紹介します。


ヒューバート・ドレイファス、チャールズ・テイラー『実在論を立て直す』(村田 純一監訳、染谷 昌義、植村 玄輝、宮原 克典訳、法政大学出版局)

社会人は「戦略」という単語を「この武器はいま手元にないけど入手できたらこんな成果があるよ」という物語に参加してほしいときに使用します。この意味で本書はすぐれて戦略的な本です。また、その武器(戦術)の仮称と所在や、さまざまな武器の来歴にまつわる議論をうまく管理し─pros/consをうまく整理し─、経験可能な物語として説いています。
すべての戦略コンサルはドレイファスを読もう

p262には、著者が説く武器と、成果達成にとって役不足な武器が列挙されています。

したがって多元的で頑強な実在論は、科学は存在の様式のすべてを説明すると主張する還元的な実在論を避けることができる。またこの実在論は、宇宙は様々な種へと切り分けられており、種の名前のあらゆる使用者は、わたしたちの自然種名が指示するものを指示しているのでなければならない、と主張するような科学的実在論を避けることもできる。しかしそうでありながらも、多元的で頑強な実在論は、科学における真の言明が事物のそれ自体におけるあり方に対応するということは理解できないというデフレ的実在論の主張を拒否できるのである。

p262

多元的で頑強な実在論を手にすると、何が嬉しいのでしょうか。つまり成果は何なのでしょうか。それは、「わたしたちに対して現れる日常的な世界のものごとへの身体的な直接的アクセスと、科学が記述するのはわたしたちの身体能力や対処実践から独立したそれ自体であるがままの宇宙のものごとであるという実在論的な見解との両方を擁護」(p216)できるようになる、という成果です。

本書では、第4章「接触説:前概念的なものの場所」でその擁護にいたる11ステップを示し(p145)、また、その階梯を登る前に外しておくべき鎖の所在を示しています(例えばp167、p129、p118、p92、p77)。

哲学ではこの擁護はとても困難なことだとされてきました。新旧様々な著書でその困難を確認できます。多様な意味があるのは間違いない。意味は人間の身体から生まれる。では、人間に随伴した意味を維持しながら、どうやって人間の諸活動から独立な科学的事実を認めることができるのか。本書はできると断言します。そのための新規の武器はp246のこの箇所だと思いました。

それ自体であるがままの宇宙という考えをもっているからこそ、わたしたちは、自分たちの自然種の定義が、誰がいつどこで使うのであれ、それらの語が正しく使用されたときの意味をとらえているという主張にコミットするのである。

p246

言語の行為性や可能世界論を踏まえた存在論的コミットメントのように見えます。なんかズルい気がするな・・・と感じてしまうのは、「それ自体であるがままの宇宙」はまだ完全に入手されておらず、経験的に検証されるもので、しかも完成されず開かれたままのものと捉えられているからだと思いました。

それは私が、完成されたものこそ良いものだ(未完で未検証のものには価値がない)という描像(buildないしpicture)に囚われているせいなのでしょう。


20年前に科学的実在論や科学哲学から入って人文科学系の本を細々と読んできた身としては、本書にはこれまで見聞きしてきた諸説の棚卸しと新ギミック発明に一気に立ち会ったような味わいが感じられ、大変よい本だと思いました。

読後に私の読書傾向を20年前に決定づけた小林道夫『科学哲学』(産業図書、1996年)を読み返していたら、第11章「科学的世界と日常の生活世界」に本書と同じようなスタンスが書かれていて、なにやら円環めいたものを感じてしまいました。

なお、トップ絵は、本書と同じような登場人物で同じような課題を扱った門脇俊介『理由の空間の現象学』に知覚の例として登場するニッコウキスゲ。
こういう花だったんですね。


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